きみとの恋は儚い雪のように
るるぱんだ
第1話きみと出会った冬
冬の季節だった。
時が流れるにつれて、雪が僕らの心を白くそっと埋めていったあの日。
君は、僕の隣で凍えた手を優しく握ってくれたよね。その時の温もりは、今も忘れられない。
僕は、冷えた心を溶かす、目の前で見せてくれる君の柔らかい笑顔が大好きだった。
そして……この先も守ってあげたかった。
けれどもう、その笑顔を見ることはできないから。
君のいない切ない冬が、また終わろうとしている。君との日々が一つ昔の思い出へと変わる。
それでも僕は忘れない、君に出会えた奇跡を。
この先何十年経っても、君という存在は、僕にとって一番の宝物だということを……覚えていてほしい。
1
背中の窓から見える、白くて小さくて儚い雪。
そしてここは、静かでほのかに檜の匂いがしてくる町中の本屋。僕はレジの椅子にて、コーヒーを飲みながら新たに入荷した本を読んでいる。
一口飲むと、ほどよい甘みの中にある苦みがだんだんとやってきて、僕は幸福にさらされる。
使い古した暖房からは、証拠に弱々しい風しか送られてこず、手もかじかんで思うように動かせない。
建物自体古いため、扉は強風によって今にも外れそうだし、変なところから風が入ってくるし、照明は相変わらずぼんやりとしていて暗い。
でも僕は、これが好き。
僕がここで働いているのも、この古い雰囲気を気に入ったのがきっかけ。
そして僕にとって幸せなものと言えば、もう一つ。
「あれ、まーた本読んでる」
扉側から声がした。澄んでいて、可愛らしい声。来てくれたんだ。
その声に、僕の心は嬉しさで満ち溢れる。靴の音が次第に近づいてきて、僕の足元で止まる。
「眼鏡曇っちゃってますよ」
眼鏡の霞が晴れたと思えば、目の前には一人の女性が立っている。
「藤崎さん」
僕が言うと、彼女はふんわりと微笑んだ。
この人は、藤崎美雨さん。僕の一つ下で、近くのカフェで働いている。
艶やかで柔らかい印象の黒髪、コートの下から見える細くて綺麗な足…そして、雪のように今にも溶けてしまいそうなほど白くて透明な肌。
彼女と目が合うたびに、僕はいつも緊張してしまう。理由は言うまでもない。
僕が彼女に恋をしているからだ。
出会いは一年前…好きな作家が偶然合ったことで意気投合し、話しはじめるようになった。
その時間は藤崎さんが訪れるたびに増えていき、僕は彼女の趣味だけでなく、人柄や優しさまで知るようになり、次第に惹かれ気づけば好きになっていたのだ。
「ちゃんと仕事してますか?」
「暇だったんで…」
「もー、そういうところですよ望月さん」
藤崎さんは少々呆れたように僕を叱る。
「すみません…」
僕は体を縮ませながら謝る。
でも目の前の彼女はやっぱり可愛くて、顔がどうしてもふやけてしまう。
「また来てくれたんですね」
「はい。買いたい本があって」
そうして棚と棚の間を歩きながら無数の本に目を通していく藤崎さん。
来てくれないかな、って思っている時に彼女は必ず来てくれる。
「あのー、修先生の本を探してるんですけど…」
修先生は、僕が高校生の時から尊敬している憧れの作家だ。そして彼女も同じ。
こんなこと僕には運命にしか思えないけど、藤崎さんは違うんだろうな……。
「これ、今日入荷したやつです」
積み重なった本の中から抜き出したのは、修先生の最新作。
今すごく売れてて、どこの本屋にいっても完売していてないって話は聞いている。
「そうです!これ。今日もずっと探してて…ここならあると思ってたから、よかった」
安心したように顔を緩ませる藤崎さんも、やっぱり可愛い。
修先生、僕に彼女と出会うきっかけをくれてありがとう。
「それならよかったです」
僕が嬉しくて笑ったら、藤崎さんも嬉しそうに微笑む。
この笑顔が、僕にとっては本当に宝物みたいで…。
「僕も早く読みたいな」
「今日みたいに仕事中とか、先に読み終わっちゃうのだめですからね?」
「分かってます」
この時間は、幸せ以外のなにものでもなかった。
窓の外を見ると、近くの公園で開催中のイルミネーションが光っているのが少しだけ見える。
今年は藤崎さんと一緒に見に行きたい…と思っているのだが、怖くてなかなか誘えないのが今の現状だ。
失敗が怖くて。
藤崎さんみたいな、可愛くて優しくて華のある女性が、僕なんかと…。
レジ前で、藤崎さんが髪の毛をいじるのを見ながら言う。
「藤崎さん」
「はい?」
綺麗な瞳が僕と見つめ合い、どこからか胸騒ぎがしてくる。
「また…来てほしいです」
『来てほしいです』なんて、また会いたいですをちょっと変えただけな言い方になってしまったじゃないか…。
「もちろんです」
それでも彼女は、まだ僕の想いに気づいていないから。
だからなのか、やけに切なくて、苦しくて、もどかしいのは…どうしてだろう。
「あぁ…あともう一個!」
袋を手に下げた藤崎さんが扉の前まで行ったところで、また呼び止める。
振り向いたら、綺麗な髪が静かに揺らいで、僕の心臓の鼓動をせわしなくさせる。
「明日休みなんですけど、また…カフェ行ってもいいですか?」
「…はい。ぜひ」
彼女は微笑みながら小さくうなずいた。そして…本屋を出て行った。
その姿は、最後まで儚かった。
藤崎さんがいなくなった途端、急に寂しさがこみ上げてきた。
また誘えずに終わってしまった。
僕の藤崎さんへの想いは、この冬も溶けて消えてしまうのだろうか…。
「はあ~!?」
急に隣で友人の津賀真が大声を出すもんだから、僕はびっくりしてしまった。
「今日も言わずに終わらせたのか!?」
「声でかいよ!とりあえず座って」
僕らは真の家で酒を飲みながら話している。
真はこういう話になると必ず僕に向かってキレるから、なにかと厄介だ。
まあ、高身長・顔よし・優しい…という完璧にモテる条件を満たしたイケメンだから、僕が彼に反発することはできないけど。
「なんで誘わないんだよ?」
「だって…失敗するかもしれないじゃん」
真がキレている原因は、僕が一向に藤崎さんをデートに誘わないから。
「お前な、そうやってビビってるから話が進まないんだよ」
「いや、誘いたい思いはもうすっごく溢れてるんだけど…」
「じゃあなんで?」
なんでって言われたら……
「真とは違うんだよ」
って答えるしかないと思う。
やっぱり真は呆れた顔をしているが。
「だって連絡先だって聞いてないんだろ?」
「まあ…」
「今度会った時、それくらいは聞いとけよ」
「分かりました…」
まーた命令されちゃったな…。
隣でにやにやする彼を横目に、僕はため息をつく。
「今度っていつだろう…」
明日行った時に聞いてこようかな。
「聞いたら俺にも教えてな」
「何でだよ」
やっぱり僕には厳しいのかな。
彼女の隣で歩きたいという願いは、少しずつ遠ざかっているようにも思えていた…。
今日は晴れていた。
体に染みる冷たい風が、町を漂う。
藤崎さんが働いているのは、本屋から歩いて十分ほどの場所にあるカフェ。休みの日は必ず来るようにしている。
また藤崎さんの顔が見れるんだって、そう考えたら行かずにはいられなくて。
店内に入ると、暖房のおかげで暖かくて居心地がいい。
コーヒーのいい匂いがしてきて、僕の鼻をくすぐる。
カウンター席に座り、周りを見回す。
すると、一人の店員が目の前を通った。
藤崎さんだ。
「あのっ」
呼びかけると、気づいてくれた。
今日は結んでるんだ…。
「望月さん」
彼女が笑顔で寄ってきたので、僕は焦る。
もう、いつもこんな様子だな。
「またいつものお願いします」
「分かりました」
藤崎さんはうなずきながら微笑む。
はー可愛い。もう可愛すぎます。天使だ、まさに。
あんなに可愛い人とデートなんて行ったら、僕は今から世界で一番の幸せ者だ。
カウンターの後ろで頼んだコーヒーを淹れてくれている間、僕はずっと目が離せなかった。
美味しいコーヒーを好きな人が淹れてくれる…。
ここは天国か?そうなのか?
「お待たせしました」
受け取る時に感じる、すべすべで柔らかい手。
「ありがとうございます…!」
淹れてもらったコーヒーを飲む。
うん、いつもの味だ。すごく美味しい。大好きな人の、大好きな味…。
「どうですか?」
「もうめっちゃくちゃ美味しいです!藤崎さんの作るコーヒー最高ですよ」
「嬉しいです。でも、そんなに言われると恥ずかしいですね…」
藤崎さんの頬は、りんごみたいに赤かった。
「望月さんに美味しいって言ってもらえるの…ほんとに嬉しい」
「え?」
「あ、いや…!なんでもないです」
彼女はなにかを言っているようだったが、小声で聞こえなかった。
「ほ、他の注文があるので行きますね…!また話しましょう?」
「はい…!」
扉の奥に消えていく藤崎さん。
本屋で会う彼女はいつも髪を下ろしているから、結っているのも可愛くて仕方ない。
「…よし」
僕はカウンターにある紙とペンを手に取る。一枚の紙の上で、一本のペンの先を走らせていく。
その時、藤崎さんが奥の部屋から出てきた。
「藤崎さん!」
僕は身を乗り出すと、彼女の手に紙をぎゅっと握らせる。
「なんですかこれ」
なんと説明すればよいか分からなかった。
「これ、持っていてください。後で見てくださいね?」
「え…」
僕はコーヒーを飲み干すと
「とにかく…!今はまだ言えないので」
そう言って、お金を払って店を足早に出て行った。
「なんだろう…?」
美雨が紙を見ると、そこには
「仕事が終わったら、お話したいので僕が来るまで店の前で待っていてください」
と書かれていた。
休憩中、美雨は京水からもらった紙を椅子に座りながらじっと眺めていた。
今まで彼と話すのは本屋にいるちょっとした間の時間だけだったから、一体なにを話されるのかと少しそわそわしていた。
「あれ美雨?それ誰からもらったの?」
後ろから声をかけられ、美雨は飛び上がりそうになる。
後ろにいたのは、同僚の倉野百合子だった。
「百合子…びっくりさせないでよ」
「ごめん。ていうかその紙の内容気になるんだけど」
百合子がぐっと顔を近づけてきたので、美雨はすかさず引っ込める。
「ねー見せてよ」
「だーめ。あなたには関係ない」
百合子は小さく頬を膨らませふてくされる。
「どんなのかだけ教えてよ」
「えっと…知り合いからちょっと話したいって言われて、渡されたの」
「え!もしかして彼氏!?」
「いつ私に彼氏がいるなんて言ったかしら?」
美雨はため息をつきながら、紙をじっと見つめる。
まさかこの紙がきっかけで、二人の関係が大きく揺れ動いていくことを彼女はまだ知らない…。
「美雨ちゃーん!今日もお疲れ様」
「はい!ありがとうございます」
美雨は片づけをしながら返事をする。
「疲れたぁ…」
片づけを済ませ、ロッカーの前で結っていた髪の毛をほどく。
最近疲れがたまりやすい。そのせいか、顔がむくんできているような気が…。
「美雨!うち先に帰ってるわ。また明日ねー」
「はーい。お疲れ」
帰ったら昨日買った本の続きを読もう。ここ最近の癒しが小説しかない自分は、やっぱりおかしいのだろうか?
扉の前で残る店員に挨拶をする。
全員が笑顔で返してくれる。みんな優しくて暖かくて、涙が出てくる…あれ?
とりあえず外に出ると、冷たい風にたまらず身震いしてしまう。
「店の前で待っててとは言われたけど…?」
しばらく店の前のベンチで座って待つ。
彼には閉まる時間を伝えてはいるけど、わざわざ本屋で話さず二人だけで話さなければならないことって…ちょっと不安。
「藤崎さん…!」
携帯を取り出そうとしたその時、横から名を呼ばれ再び飛び上がりそうになる。
「すみません!待ちましたか…?」
「いえ…そんなことないです」
そこに立っていたのは、望月京水さんだった。
そんなに急いで…しかもすごく顔が緊張してる?
「お話したいことってなんですか?」
「ここじゃだめなので…公園に行きませんか?」
「え?」
美雨はわけがわからず困惑してしまう。
「と、とりあえず行きましょう…!」
「は、はい…?」
美雨は戸惑ったまま、彼の後ろをついていく。
来たのは、イルミネーションが光を放つ大きな公園。
二人は、イルミネーションから離れた場所のベンチに腰を下ろす。
「あのー…」
美雨は横の京水を見つめる。
相当緊張しているのか、手が震えている。
「大丈夫ですか?」
「は、はい…!すみません」
さっきから謝ってばっかりだよ、望月さん。
「それより、お話って?」
「あ!えっと…そのことなんですが」
美雨はなにを言われるのかと、ドキドキを隠せない。
京水が口を開く。
「連絡先を…!教えてほしくて…」
「連絡先ですか?」
「はい…」
「理由は?」
彼は少々戸惑いながら言う。
「理由ですか?」
「はい」
見ると、頬が少し赤らんでいる。
「えっとぉ…理由は!僕たち、趣味も合ってお話も出来て…でも!こういうの、本屋だけでなくて、家でも電話とかでお話出来たらなーって…思って」
一瞬二人の間に静けさが混じる。
「す、すすすすみません!急でびっくりしましたよね!?冗談です!ほんと…ごめんなさい…」
急に大声を出されて美雨は驚く…が。
「なんだ。そういうことだったら…全然いいですよ」
「え?」
「そんなことだったら、もっと早く言ってくれればよかったのに」
京水の口は開いたまま塞がらない。
「いいんですか?」
「もちろん」
美雨が微笑むと、彼は泣きそうな顔で手を握りながら喜びを嚙み締めた。
「よかった…嬉しい!」
連絡先が取れるだけで、こんなに喜ぶなんて…。
美雨もほっとして、安堵の声を漏らす。
「それだけですか?ならもう遅いので…」
立ち上がり歩き出したその時。
「待ってください!」
まだなにかあるの?
美雨は少々呆れた気持ちで振り返る。
「あと一個だけ…お願いがあります」
「お願い…?」
彼は震える手をぎゅっと握りしめながら、口をつむぐ。
「ぼ、僕と…」
顔を覗き込むと、少し青ざめて見えた。
「あの…大丈夫ですか…?」
「僕と、デートしてほしいです…!」
「え」
時が止まった気がした。
な、なにを言っているの望月さんは。私と…デートですって?
「その…この公園のイルミネーションを、あなたと一緒に…見たいなってずっと!考えていました。この気持ちは、本当なんです…」
彼は頑張って言うけれど、完全に断られると思っているのか…諦め顔だ。
「えっと…」
美雨は迷う。というか、まさかデートに誘われるとは思ってもいなかったので、判断ができない。
でも、彼の目は本当に行きたいという思いで溢れていた。
「ご、ごめんなさい!だめですよね、そうですよね…僕なんかとデートなんて嫌ですよね…」
そんなに責めなくても…。
美雨は一息つくと、真っ直ぐ彼の顔を見つめて言った。
「いいですよ」
「へ?」
京水の体は氷のように固まってしまった。
「それってつまり…」
「私なんかで良ければ、行きましょう」
偉そうに言ってしまった。
自分だって、まだ気持ちの整理が追い付いていないのに。
「ほんとですか?」
だけど、彼の顔がみるみる明るくなっていくのを見て、なにも言えなくなる。
「嬉しい!嬉しすぎる…!」
私なんかで良かったのかな?
聞こうと思ったけど、わけがわからなくなってしまってやめた。
「藤崎さん!ありがとうございます…」
別に感謝されることはなにもしてないけど…。
「いえ…!」
嬉しいんだ…、ん?デートってことは……彼は私のことをそういうふうに思ってるってこと?
とりあえず二人は連絡先を交換した。
「藤崎さん!」
別れ際で呼び止められる。
「はい?」
彼は美雨に向かって、いつも以上に幸せそうな笑顔を見せてきた。
え…なにこれ。私緊張してる?いやいや、まさかねぇ…。
美雨も笑顔で返す。
後ろ姿でわかるほど、嬉しそうに手を合わせながら彼は歩いていく。
オーケーしちゃったけど、大丈夫かなぁ…?なんせデートなどはじめてなのだ。
でも…美雨が彼のことを気になりはじめていたのも、事実であった…。
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