第428話「例外は認めない」(ブラン視点)





 レアの命令を受けたモワティエの領主が用意した船は、4人で乗るには大きすぎるほどのサイズだった。


〈通常、船というのは4人だけで乗るものではありませんから。普通の船ならば操船には多数の水夫が必要になります。大洋を越えようという大航海に挑むわけですからなおさらです〉


 スガルが冷静に答えた。

 彼女は今、レアが着ていたような白いローブを羽織り、フードもきっちりとかぶって、口元にはマスクよろしく布も巻いている。

 人間にしては身長が高く、突起物のせいで体格もいいように見えるが、このくらいのサイズの人間なら居ない事もない。目立つことは目立つものの、一見して魔物だとはわからないだろう。


「ああ、そっか。そりゃそうだよね。船だけ渡されてもどうやって動かしたらいいかわかんないし」


「みんなで泳いだほうが早くない、ですか?」


 エンヴィが不思議そうに尋ねてくる。彼女もレアと同じデザインの白ローブだ。

 そして同じく白ローブのヴィネアがそれに答えた。


「泳げないから早くはないよ。私とブラン様はね」


「失敬な! 泳げないだなんて決めつけないでもらえる?」


「ブラン様は泳げる、ですか?」


「泳いだ事がないからわかりません!」


「たしかにそうでした! 私もです! よーし2人で挑戦してみましょう!」


〈おやめなさい。通常サイズの船を用意してもらったのは、居住性のためと周りから不審に思われないためです。どうしても旅の途中で休憩する必要はありますし、小舟ではそういうわけにもいかないでしょう。それに漁師もいないのに小舟一艘で海に漕ぎ出そうとしては、周囲から何事かと思われます〉


 怪しいローブ4人組の時点ですでに相当不審に思われている。今さら船だけ取り繕っても遅いような気がしないでもないが、何もしないよりは確かにマシかもしれない。

 しかもそのうちの3人はお揃いの白ローブである。必然的に1人だけ色が違うブランが目立つ事になり、この集団の首魁だと思われてか先ほどから視線が集中しているような気がしていた。


 しかし、そんな怪しい集団に声をかけてきた人物がいた。


「──も、もしかしてセプテム! ……様? ですか?」


 しかも「セプテム」と来たものだ。

 関係者ならいちいち聞くまでもないはずだし、セプテムと呼ぶのは無関係なNPCかプレイヤーだけである。


 声をかけてきたのは漁師然とした姿の青年だったが、着ている黒いベストだけは妙に高級感が漂っていた。ブランの『真眼』で見えるLPから考えても、明らかに不釣り合いな装備品である。

 セプテム、と声をかけてきたという事はレアに用があったのだろうが、白いローブは3人もいるのに迷わずヴィネアの元に駆け寄って行った。

 3人は身長差がある。一番身長が近いヴィネアをレアだと判断したということは、実際にレアを見かけたことがあるということだ。それにヴィネアは顔も似ている。

 この人物はもしかしてレアの知り合いだろうか。


「セプテム様、あの、この間はその……。あれ? この間より胸が──」


「『イヴィルスマイト』」


「あっ」


 青年が話しかけた瞬間、ヴィネアは『暗黒魔法』を放って青年の首から上を吹き飛ばした。

 青年は倒れる直前に光になって消えていく。プレイヤーだったようだ。うかつに『鑑定』しなくてよかった。


「き、きゃああああ!」


「うわあ! ひ、人殺しだ!」


 港街の港には人がたくさんいる。

 そんなところで突然魔法で人の頭を吹き飛ばせば、当然こうなる。


〈──仕方ありませんね。皆さん船に乗り込んでください。エンヴィ、頼みます〉


「わかった、です」


 ブランはスガルに急かされるまま船に乗り、エンヴィはローブを脱いでスガルに預けるとそのまま海に飛び込んだ。

 少しすると船がひとりでに動き出す。

 係留するために括られていたロープはいつの間にか切られている。


 船はすぐにスピードを上げ、見る見るうちに陸地が遠くなっていった。









〈ここまでくれば、もう誰も追って来られないでしょう。

 ──申し訳ありませんでしたブラン様。慌ただしい出立になってしまい……〉


「いや、それは別にいいんだけど。でも何で急に? 知り合いだったの?」


 ヴィネアに聞いてみる。

 なぜかスガルが謝っているが、慌ただしくなったのはヴィネアが突然青年をキルしたせいだ。

 別にそれを咎めるつもりはないが、スガルもヴィネアを叱る様子がないのは気になった。


「いえ、全然知らない人ですよ。あのベストは何か妙に懐かしい気分になりましたけど」


〈おそらく、あのベストに使われていた糸はボスの糸でしょう。吹き飛ばしたのが頭でよかったですね。胴体を狙っていたら、ヴィネアの力でも即死させられていたかどうか……〉


「え!? じゃあお母様の知り合いだったりしたんじゃないのあの人!」


〈そうかもしれませんね。しかし、あれは仕方のない事でした〉


 スガルの中ではあの青年をキルした事は既定事項らしい。たとえ主人の知り合いであったとしても。


「まあそうですね。知り合いだったら手加減していいとは言われてないし」


 ヴィネアも頷いている。

 話が見えない。


「あの、何のこと?」


〈先ほどの青年のことです。ボスからは、ヴィネアの顔を見た後「胸」と口にした者は例外なく殺せと言われておりますので〉


「あー……」


 わかる。

 わかるが、ブランはキルされたくないので黙っておいた。









 海風がブランの頬を撫でる。

 日差しを遮るものが何もない海の上は吸血鬼にとってはつらい環境だが、それもある程度は名もなき墓標で慣れている。

 スガルもヴィネアもすでにローブは脱いでいた。彼女らは別に日光に弱いわけではない。ローブは無い方が動きやすいのだろう。スガルは言うまでもないが、ヴィネアも翼を丸めて角を押しこむようにして着込んでいたらしい。

 ローブを着たままなのはブランだけだ。


 出航時こそバタバタしたものの、その後の航海は驚くほど順調だった。

 風は進行方向からしか吹いていないにもかかわらず、船はすいすいと滑るように海原を走っていく。

 というか、よく見たら帆もかけられていない。


「ところでこの船ってどうやって動いてるの? 水夫がたくさん必要だとか言ってた割に結局わたしたちしか乗ってないし。あとエンヴィちゃんは?」


〈そのエンヴィが、この船を引っ張って泳いでいるんです。船が壊れない程度に加減するよう言ってありますが、もっと速度を出す事も可能ですよ〉


 出航時にエンヴィが海に飛び込んだのはそのためらしい。


「そうなんだ! それは楽ちんでいいね! 後で何かご褒美をあげないと。

 あ、でも大丈夫かな」


〈何がでしょうか〉


「そういう風に船を動かしてる時ってあれでしょ。大渦に巻き込まれたり大型モンスターに襲われたりとかあるんじゃないの? エビだかカニだかの……」


〈何の話をしておられるのか全く分かりませんが、大エーギル海の沖に大型の甲殻類の魔物がいるという話は聞いておりません。居たとしてもエンヴィの敵ではないでしょう。渦潮については何とも言えませんが〉


「エビの怪物がいないんだったら大丈夫! 確かエビの怪物が渦潮発生させてたはずだし」


〈そうなのですか。ブラン様は物知りですね〉





 ブランたちを乗せた帆船は高速艇さながらの速度で海を進み、日が陰ってきたところで止まった。

 海の上であるため本当に止まっているのかはわからないが、頬を撫でていた風が止んだためおそらく止まったのだろう。

 するとすぐにエンヴィが海から上がってきた。


「──今日はここまで。このあたりは雑魚しかいないから、安全のはず。です」


「お疲れ様エンヴィちゃん! 何か食べる? リンゴとかあるよ!」


「いただきます。です」


 リンゴを手渡すと、エンヴィは驚くほど口を大きく開け、ひと口で食べてしまった。

 そのまま噛まずに飲み込み、喉を丸いリンゴがゆっくりと落ちていくのがわかった。


「……せっかく歯が生えてるんなら、よく噛んだ方がいいと思うけど。消化に悪そう」


「噛んだ方がいい、ですか? ブラン様も噛んで食べるですか? 主様も噛んで食べるですか?」


「うん。わたしは立派な牙も生えてるしね! まあわたしの牙は多分本来リンゴ食べるためのものじゃないんだろうけど。それにレアちゃんもよく噛んで食べてるんじゃないかな。レアちゃんは口ちっちゃいから口に入れる前に小さく切ってから食べるだろうけど」


 リンゴにかぶり付いたりもしないだろう。見た事がないし、想像できない。


「じゃあそうするです。ありがとうです」


 レアの眷属は皆変わってるな、とブランは思った。





 夜の間はスガルが番をしてくれるらしい。移動中に仮眠を取っていたようだ。蟲系の魔物は睡眠時間がごく短時間でも問題ないとのことで、そういった点も交代要員には向いている。


 ブランは割り当てられた船室に入り、安心してログアウトした。

 眠っログアウトしたら容易には起きられないプレイヤーと違い、NPCである彼女たちなら眠っていても異変があれば起きられるだろうし、逃げ場のない海の上だと言っても、災厄級が3体もいてどうにかなるとも思えない。









 翌朝。

 ログインして起きてきたブランが甲板に出てみると、鱗の生えた人の死体が山と積まれていた。


「え、何これ……」


〈おはようございますブラン様。今日もいい天気ですよ〉


「うんそうだね……。いやいや、何これ。もしかして朝食? あの、わたし果物しか食べれないっていうか、ナマモノは医者から止められてるからその、そういうのはちょっと。あと自分の分の食事は準備してあるからおかまいなく……」


〈まさか。このようなものをブラン様に食べさせたりなどいたしません。

 これは昨夜この船を襲撃してきた者たちです。エンヴィの話では、この一帯の海底に隠れ住んでいる雑魚ということでしたが……〉


 なぜか甲板に正座させられているエンヴィが弁解するように言葉を引き継いだ。


「……この一帯に隠れ住んでいる魚人なのはまちがいないです。こいつらが雑魚なのも確かです」


〈それはわかっています。この辺りに住んでいるのでもなければ、これほどの大群に襲われる事もないでしょうし、雑魚なのは見ればわかります。私が言いたいのはそういうことではなく、なぜ襲われたのかです〉


「そういうものなんじゃないの?」


 外洋を人が渡れないのは強力なモンスターに襲われてしまうからだと聞いた。

 そうであれば襲われるのは当然の事だとも言える。


〈いえブラン様。この者たちの襲撃のとき、私が対処に当たったのですが、彼らは明らかにエンヴィを狙って来ていたようでした。おそらく、日中エンヴィが泳いでいたのを目にしていたのでしょう。夜になって休んでいると考え、その寝込みを襲おうと船に上がりこんできたようなのです〉


 エンヴィを狙ってきたのであれば、この魚人たちはエンヴィの知り合いということになる。

 しかしいきなり襲ってくるとは穏やかでない。借金を踏み倒したりでもしたのだろうか。


「寝込みを襲うなら船を攻撃すればいいのに。なんでわざわざ上がりこんで……」


「……船を攻撃されたら、私に攻撃が通る前に私が目を覚ましてしまうから。私の寝込みを襲うためには、船に振動を与えないように忍び込むしかない、です」


〈そういうことでしょうね。第一波を凌いでからは、ヴィネアとエンヴィを起こし、私も海中に入って警戒していたので大事には至りませんでしたが……。

 エンヴィ、たとえ雑魚とはいえ組織的に襲撃される可能性があるのなら、それはあらかじめ報告しておいてください〉


 その説教のためにエンヴィは正座させられているらしい。

 可愛らしい少女が硬い甲板の上で正座で項垂れている姿は同情を誘うが、昨日のリンゴ丸呑み事件を思い出すと不思議と可哀想という感情が湧いてこなくなる。レアの話ではエンヴィのこの姿はあくまで擬態であり、本当に人間と同じ体の構造というわけではないとのことだった。であれば、これもたぶん叱られる真似をしているだけなのだろう。


「ごめんです。あれだけ力の差を見せつけたのに、襲ってくるとは思ってなかったです。こんなことなら、ちゃんと全部潰しておけばよかったです」


 詳しく話を聞いてみると、この魚人たちはどうやら以前にエンヴィと武力衝突した勢力のようだ。その生き残りが親分の仇打ちでカチコミをかけてきたということらしい。

 確かに後顧の憂いを断つという意味では徹底的に潰しておくのは大切な事だが、この状況が悪いかと言えばそうとも限らない。


「まあまあ。今回はたまたま、移動中に襲われちゃったから大変だったのかもしれないけど、本来わたしたちの拠点は陸上にあるからね。大半が内陸部だし、こんな見た目の連中が大挙してやってきたところで大した脅威にもならないよ。

 その魚人の人たちがエンヴィちゃんを狙って襲ってくるっていうなら、その都度キルしてやればいいんじゃないかな。繁殖して増えるたびに攻撃して来てくれるんだったら、安定した経験値収入っていうふうにも取れるよね。

 レアちゃんの大好きな牧場ってやつだよ。海だし養殖場って言えばいいのかな」


〈なるほど、確かにブラン様のおっしゃる通りかもしれません。この件はボスに提案しておきましょう〉


 スガルは感心したように頷き、エンヴィを立たせた。

 エンヴィはブランを感謝と尊敬の混じった目で見つめている。


「すごいです。さすがは主様のご友人です」


「いやあそれほどでも! ところでヴィネアちゃんは?」


〈夜中に叩き起こしたので、今は二度寝しています〉





 これ以降、夜間はスガルが海中で警戒する事にし、魚人たちの襲撃を受ける事もなく大エーギル海の横断は終わった。

 広大な海の端に浮かぶ島国など、果たして見つける事が出来るのか不安だったが、どうやら極東列島というのは南北に長く横たわるように点在しているらしく、それらしい陸地はすぐに見えてきた。


 しかし、水平線に並んで浮かんでいる陸地はどんよりとした雲に覆われており、とても健全な状態には見えないのだった。






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