5-3

 その日は一緒に買い物に出かけて、わたしが夕飯を作った。いつも自炊をしているようで調味料や器具がそろっていたから、特に苦労はなかった。彼は和食が好きというので、安かったサバを生姜煮にして、ホウレンソウとえのきの胡麻和え、切り干し大根を添えて、お豆腐とワカメの味噌汁も作った。彼はほんとうにおいしそうに食べてくれた。とても嬉しかった。

 2人でゆるりとした時間を過ごし、それぞれ順番にお風呂に入って、少しだけお酒を飲んだ。気が付けば23時で彼が寝たいと言った。

「一緒に寝ましょう」

「……」

「なに?」

「エッチなことはなしと言いましたよね?」

 彼は怪訝な目つきでわたしを見た。

「一緒に寝ることのなにがエッチなのかしら? あらヤダわ」

「……いいでしょう。ぼくの部屋に布団はそれだけですから」

 そう言って彼が先にベッドに入った。わたしは服を脱ぎ始める。

「ちょ、何やってるんですか!」

「ん? わたし、裸じゃないと眠れないから」

「……」

「さあ、あなたも脱いで」

「どうして?」

「わたしが脱ぐのだから、あなたも脱ぐべきだわ」

「意味がわからない!」

「あなたのこと好きにしていいんでしょう? 寝るときのあなたの服装を指定するだけじゃない」

「エッチなことは禁止だと言いましたよね?」

「あなたが全裸になることのなにがエッチなの?」

「一般的に男女がはだかで寝るのはエッチなことです」

「それは客観的な話でしょう? わたしたち2人のことなんだから、主観的に判断されるべきだわ。つまり何もなければこれはエッチではないのよ」

「ぐぬぬ」

 唸った後、結局彼は寝巻を脱ぎ始めた。どうやら理屈に弱いらしい。これはいいことを知った。

 彼をとても愛おしく思えた。愛おしく?

「はい、じゃあ寝ましょうね」

 電気を消して、同じ布団に入る。シングルベッドに2人で寝るとどうあがいても肌と肌が触れあう。彼はわたしから逃げようと壁の方を向いているけれど、わたしは堂々と仰向けになっているから。ギリギリ触れてしまう感じがすごくエッチだ。わたしは彼の臀部に手を伸ばす。

 彼はそれをにべもなく払った。わたしはムッとして、

「据え膳食わぬは男の恥よ」

「いいです。今さら恥の1つや2つ、くれてやりますよ」

「なによ。かっこつけたってバレバレなんだから」

 わたしは強引に彼に覆いかぶさり、彼のものに触れた。すぐに払いのけられる。

「生理現象ですもん。どうしようもありません。いやね、これやっぱりエッチですって」

 彼は起き上がったが、それに抱き着いて寝かせる。それから流れるように彼の胸板にキスをした。

「先輩、それはいけません」

 案の定、突き放された。でも、今日は負けない。

「どうして?」

「『愛』がないので」

 わたしは余裕を持って揶揄うように、

「ふふふ、童貞みたいなこと言うのね」

「ええ、童貞ですから」

 暗さに慣れてきた目に、少し恥ずかしそうに笑う彼が映った。それから、2人とも仰向けになって天井を見ていた。彼の部屋の天井。もう、知っている天井。

 それから真剣に訊く。

「じゃあ、あなたにとって『愛』って何なの?」

 少し逡巡したあと、

「すべての人が当たり前に持っている、『宝』です」

「そういう概念的な話じゃなくて、もっとこう、本質的になんなの?」

「本質ですか? それは個人それぞれの扱い方ですから」

 イライラしてきた。わたしの感情を乱して遊んでいるのだろうか。

「じゃあ、先輩にとって『愛』とはなんですか?」

「それが分からないから聞いているんじゃない!」

「ああ、そうですね」

 彼はクスクスと笑う。

「いまとなっては邪魔なものよ。だってそのせいであなたとできないのだから」

「なんとまあ過激なことをおっしゃる。しかしながら、『愛を知らない』というのは、上手く言葉に出来ないということでしょうか? それとも、そもそも持ち合わせていないから理解できないのでしょうか?」

「どちらかといえば、前者かしら。だってわたしはあなたを愛しているもの」

「それは嬉しいです。ありがとうございます」

「なら、いいじゃない」

「けど残念ながら、ぼくにはありませんから」

「愛し合わないといけないということかしら?」

「違います」

「じゃあどういうことなの?」

 彼は首だけをこちらに回してわたしを見た。わたしも彼を見つめる。

「先輩は、どうしてぼくを愛していると思ったのですか?」

「それは……」

 思い返す。どうして彼を愛しているのか。

痛み。

「わかった。わたしにとって、『愛』は痛み」

「その心は?」

「愛するというのは、痛いこと。その痛みを負っても、それでもあなたと居たいと思う」

「おお、洒落ていますね」

 彼は笑った。わたしは笑わなかった。

「さあ、教えて。あなたにとって『愛』って何なの?」

「ぼくは……持っていません」

 急に背筋がヒヤリとした。おなかがクウクウと絞られる感覚。悪寒。

「『愛』なんて知りません。わかりません。持っていません。持っているわけがありません」

「どうして、そう言い切れるの?」

 彼はニヘラと笑って言った。


「それはたぶん————ぼくが人じゃないからかもしれません」


 それは、わたしが嫌いな笑顔じゃなかった。

 わたしが好きな、醜い自嘲だった。

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