間章 斎藤桜

 この世界に来る前、私には普通に現代日本の人間関係があった。その中でも特に関係が深い人を挙げるとすれば、後輩の一年生、斎藤桜ちゃんだと思う。


 私が最強のライバルとなる斎藤桜と知り合ったのは今年の春のことである。

 二年生になったばかりの私は友達や先輩と一緒に初めての後輩を部に迎えるべく勧誘活動に精を出していた。そこに現れたのが桜である。肩の辺りで短く切った髪に周囲を威嚇するような目つき、そして手に持っていた竹刀が印象的だった。


「入部希望者?」

「いえ。私は一年の斎藤桜と言います。強いと噂のうちの剣道部がどの程度のものか見にきました」


 初対面ながら無礼千万なことを桜ちゃんは言った。当然他の部員はいい顔をしなかったけど、私には桜ちゃんがそこそこの実力者であることが分かっていた。そもそも竹刀を持参している時点で経験者ではある。


「何だこいつ、偉そうに」

「何様のつもりだ?」

「中学の大会でもこんな奴がいたなんて聞いたことないぞ」


 桜ちゃんの言葉に他の部員の間にむっとした空気が漂う。彼らの反応も当然だろう。

 そこで私はおもむろに手を挙げる。


「彼女の相手、私にさせてもらえない?」

「確かに、任せた沖田」


 部長が出て万一のことがあれば部の体面に傷がつくことになる、と思ったのかは分からないが私の立候補はすんなり受け入れられた。


「ふーん、思ったよりおもしろくなりそう」

「そうかな。まあ、せいぜい楽しませてよね」


 桜は私をじっと見て挑発的な笑みを浮かべる。そこで私もことさらに挑発的な言葉を返す。舐められまいと思って言っただけで、決して普段からこんな言動をしている訳ではない。


 立ち合いは部長がすることになり、私たちは竹刀を構えて向き合う。

 気が付けば私たちを取り囲むように仲間たちが観戦している。


「頑張れ霞!」

「生意気な一年なんかに負けるな!」


 声援が飛んでくるが私は意識を目の前の小娘(年齢は一歳しか変わらないけど)に集中させる。竹刀を構える姿は平凡でとりたてて腕が立つようには見えない。それでも私はほとんど勘に近い理由で彼女を警戒していた。


「では始め!」


 開始の声に合わせて桜ちゃんは私に向かって距離を詰めてくる。私は上段から振り下ろされる竹刀を軽くいなし、軽く突きを出してみる。桜ちゃんは必死に竹刀を振るって私の突きをはじく。


 何だ、私が適当に出した突きに必死になるなんてやっぱり大したことない。落胆した私はさっさと試合を終わらせるべく渾身の突きを繰り出す。


「やあ!」

「っ!」


 桜ちゃんは竹刀で払おうとするも私の剣圧に押されて竹刀は宙を舞う。

 基本的に剣道の試合で竹刀を落とすことはあまりないから、結局彼女の実力は大したことなかったということなのだろうか。


「あ……」


 一瞬呆気にとられた表情になるが、桜ちゃんはとりたてて動揺した風もなく後ろに跳び、右手で竹刀を拾おうとする。

 いくら生意気だったとはいえ、一年生相手に竹刀を落としたところで襲い掛かるのはさすがに大人気ない。私は距離をとった桜ちゃんが竹刀を拾って構え直すのを待つ。


 そういうつもりだった。

 が、なぜか私は唐突に身が震えるほどの悪寒を感じ、何が何だかよく分からないままに後ろに退がる。


「せいっ」


 が、次の瞬間桜ちゃんの竹刀が伸びた。竹刀が伸びるはずがないのだが、私にはそうとしか見えなかった。


 遠くにいて、しかも拾ったばかりで構えていなかったはずの桜ちゃんの竹刀が気が付けば私の喉元に迫っていた。私が後ろに下がっていたのは竹刀が見えたからではない。本能的に危機を察知したからである。


 いつの間にか桜ちゃんの左手に握られていた竹刀は直前まで私が立っていた場所を正確に斬りさき、そして次の瞬間には桜ちゃんの右手に戻っていた。ちなみに桜ちゃんの立ち位置も、いつの間にか先ほどまで私が立っていた位置に抜いた竹刀が届くところまで移動している。


「な……まさか右手を鞘代わりに使い、左手で居合を行い、瞬時に右手に収めた?」


 私の表情が固まる。観戦していたみんなの表情も固まる。

 そもそも居合というのは剣道の技ではないし、桜ちゃんは構えの時点では普通だったので、左利きであることも予想出来なかった。本当に勘だけで避けたといっても過言ではない。


 が、一番驚いていたのは桜ちゃんだった。私を驚愕の表情で見つめ返す。なるほど、今までこの技を初見で見切れる人がいなかったからいなかったのだろう。私も見切った訳ではないけど、彼女は見切られたと思ったようで動揺が顔に出ている。

 となれば相手が動揺しているうちに勝負を決めるのが得策。そう思った私はさっさと間合いを詰める。それを見て桜ちゃんがわずかに腰を沈めた気がした。


「っ!」


 次の瞬間、私の竹刀が桜ちゃんが手をかけた竹刀の柄を捉える。これも剣道の技ではないが、私の竹刀の先端は正確に桜ちゃんの竹刀の柄を捉えていた。

 抜こうと思った竹刀が抜けなかった桜ちゃんの表情は蒼白に染まり、そしてなぜか紅潮した。


「格好いい……」

「え?」


 私は唐突な桜ちゃんの気配の変化に戸惑いを禁じ得ない。桜ちゃんは私の方に歩いてくるといきなり竹刀を持ったままの私の手を握る。


「私の実家は居合道の家で、幼いころから訓練させられてきました。これまで所詮高校生なんて私より弱いし、剣道部では居合道の勉強にはならないって舐めていました」


 なるほど、そういうことだったのか。道理で剣道の構えをとっていたときは大した腕には見えなかった、と私は納得する。


「でも、私は今までこんな強くて恰好いい方と出会ったことがありませんでした! しかも綺麗ですし! 考えを改めます、是非これからよろしくお願いします!」

「そ、そこまで言われると照れちゃうな」


 ちなみに友達からは剣道馬鹿としか思われていないし、先輩からは自分たちのポジションを脅かす恐るべき後輩と思われていたため、可愛いとか綺麗とか言われるのは初めてだ。あ、可愛いは言われてないか。


「これからよろしくお願いします!」

「うん、こちらこそ」


 こうしてわが校の剣道部に斎藤桜という(色んな意味で)異端児が入部した。桜ちゃんが私にやたら懐いたため、私たちは自然に仲良くなった。


 最初こそ生意気なガキ全開だった桜ちゃんも私に負けてからは改心(?)し、真面目に練習に励み、今ではライバル兼仲のいい後輩となった。

 ちなみに、私の突きが桜ちゃんの竹刀の柄を捉えたのはたまたまで、私の本命は小手だった……というのはいまだに秘密にしていることである。

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