その3
CCVを降りたリンはガードレールを飛び越え歩道に降り立つと、後ろもみずにスタスタと歩き出す。
「先輩、待ってくださいよ!」
慌ててルカがついていくと、酒屋の前で一升瓶を抱えた少年が高いびきをかいている。見たところルカとそれほど変わらない年頃のようだ。
「おーい、こんなトコで寝るなぁ。お店の迷惑だろ」
リンが酔っぱらいの顔をペチペチとはたいていると、目を覚ました少年がうるさげに手をはらいのける。
「……うるさい……、ほっとけ……」
「ダーメ、他の人のジャマだろ。おきろー。おきないとタイホするぞ」
少年からはムッとするような酒の臭いが漂ってくるが、リンはまるで意に介さずペチペチと叩き続ける。
それでも少年は起きようとはせず、寝転がったままリンに背中を向けた。
「じゃ、しょうがない。バイト君、パトカー呼んで」
リンは立ち上がりルカのほうを振り向く。
「え!? ホントに呼ぶんですか?」
「当たり前じゃん。ほら、さっさと呼んで」
大げさだなと思いながらもルカは公衆電話を探した。だがあいにく近くに見当たらないため、仕方なく酒屋の主人に頼んで電話を借りることにした。
呼び出し音が鳴っている間に、ルカは記憶をたぐり、研修用ファイルの警察連絡用の項目を思い返す。
「……あ、もしもし異民局の、あー、保安課の者ですが。酔った少年が店の前で寝てるんで。ええ、はい。そうです。え? 住所?」
ルカは返答に詰まった。この辺りを訪れたのは今日がはじめてだ。正確な住所など知るわけがない。リンに代わってもらおうかと顔を上げると、ようすをうがかっていた酒屋の主人と目が合った。
「すいません、ココの住所、わかります?」
「? ウチのですか? そりゃもちろん」
間の抜けた質問に呆れながらも、主人はルカに住所を伝え、ルカはそれを電話口で復唱した。
その後もルカの身元確認や寝ている少年の症状などバタバタしたやりとりが続いたが、何とか要求が伝わり、受話器を置いてから15分後、パトカーがやってきて酔っぱらいを回収していった。
去っていくパトカーを見送ったあと、ルカたちもCCVに戻ったが、席についた途端、目の前にある無線機が目に入った。
「……もしかして無線でも連絡できました?」
「できるよ」
「なんで言ってくれなかったんです?」
「言ったら練習にならないじゃん」
憮然としたルカには、もうひとつ気になったことがあった。
「今のも異民局の仕事なんですか?」
「帰還民がらみのトラブルは全部ウチらの仕事だよ」
その条件だと、
「タイホするほどのことだったんですか? そりゃ、未成年の飲酒は問題でしょうけど」
「ここじゃ合法だよ。さっき言ったでしょ」
「え、飲酒も!? ……けどじゃあ、なんでタイホさせたんです?」
「バイト君、異世界後遺症の3段階、知ってる?」
「はぁっ?」
脈絡のない問いかけにルカは面食らった。
「知らない?」
「いや、習いましたけどね。あー、
「それぞれの定義は?」
「ていぎ!?」
ルカが後遺症の区分について教わったのは、カウンセリング前の事前面接のときで、今から半年以上前のことだ。しかも当時は、帰還後のゴタゴタで頭の整理がつかず話半分に聞いていた。
とはいえそれをバカ正直に口にするのはあまりに情けない。ルカはうろ覚えの記憶をひねり出すべく、頭をフル回転させた。
「たしか、あー……、
リンの反応をうかがいながら、なんとか説明を終えた。
「まぁ、だいたいそんなもんね。ちなみにさっきの
「黒田?」
「さっきの酔っ払い」
「あ、知り合いなんですか?」
「違う。けど
「あれって、異世界関係なくないですか? ただのアル中でしょ?」
「バイト君、車輪って知ってる?」
「はぁ?」
またしてもリンは唐突に話題を変えた。これが彼女のクセなのかもしれない。
「知らないの?」
「いや、俺、グルカン終えた身ですよ? 自分が、今何に乗ってるか理解できてないと思ってます?」
「あの子のいた世界じゃ存在しなかったのよ」
「車輪がですか?」
問い返すルカの声には明らかに戸惑いの響きがあった。
「信じられない?」
「そりゃまぁ。だってありえないでしょ。ウチの世界にもありましたよ?」
「バカにするけど、車輪の発明って結構スゴいことなんだぞ? 人類最古の発明とも言われてるんだから」
「発明は大げさじゃないですかね? 誰でも思いつくでしょ」
車輪の起源については諸説あり、最も古いところでは紀元前5千年頃に中央アジアの遊牧民が使っていたとも言われる。
いずれにせよ、「車」を構成する基本要素――「車体」と「車軸」と「車輪」は人類の誕生と同時に存在したわけではない。他の道具と同じように、必要に応じて生み出されたのだ。
金属もろくにない時代に、円形の車輪を作り、車軸に固定し、車体に組み合わせることが、いかに困難なことか。
誰もが思いつくことではないし、思いついたからといって簡単に作れるものではない。現代人が思い浮かべる「車」は、人類が長い時間をかけ、試行錯誤を繰り返した賜物なのだ。
しかしルカにはそこまで想像が及ばない。生まれたときから当たり前に存在していたモノなので、それが存在しない世界など考えたことすらなかった。
「今この世界から車輪が消えたらどうなると思う? ちょっと想像してみな」
ルカは小さく肩をすくめると、窓の外を流れる町並みに目をやった。
「まぁ、車は無いですよね当然。バイクやチャリもない。陸の乗り物は全滅ですかね。雪か砂の上ならソリもありかもだけど」
「それだけじゃない。車輪が無いってことは、歯車や滑車だって生まれない可能性が高い。原理は同じだからね。そうなったら機械仕掛けも存在しない」
「そこまで影響でます? そういうのって別ルートでも同じような発想になる気がしますけど?」
「少なくともあの子の世界は違ったみたいね」
ルカは回転機構のある道具を思い浮かべた。糸車、機織り機、巻き上げ機、水車小屋などなど。リンの言う条件にあてはまるのはどれだろうか。
「その手の機械仕掛けがないってことは、基本全部手作業ってことですか?」
「そうでもなかったみたいよ。代わりに魔法があったから。乗り物の例でいえば、ソリに魔法をかけて動物に引かせてたみたいね」
その魔法にも種類があり、庶民用の一般的なソリに使う魔法は地面との摩擦を減らす程度だが、貴族用ともなると地面から浮かせることで快適な乗り心地を実現していたという。
「なんだ、じゃあ車輪なんていらないじゃないですか」
道具は需要があるから生まれるのだ。車輪よりずっと便利な魔法があるなら、車輪が発明されるわけがないではないか。
リンの言わんとしていることが、ルカにはさっぱり分からない。
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