その2
気がつくと、ルカは地面の上に仰向けで寝転っていた。青い空を背景に小さな雲がいくつも流れている。
「やれやれ、今度はどんな世界だ?」
ルカは起き上がって周りを見渡してみた。
どうやら公園のようだ。
およそ20m四方の敷地内にスベリ台やシーソーといったお決まりの遊具が並び、細い道路の向こうは住宅街。
「……どこかで見たような、……無いような?」
園内の遊具や公園を取り囲む家々には、どこか見覚えがあるような気がした。
ふと思い立って視線を巡らせば、公園の入口にカエルの石像が並んでいる。幼い頃、ルカがよく遊んでいた公園とそっくりだ。
「もしかして……戻ってきたのか?」
記憶の中の風景と若干のズレはあるが、異世界で300年も過ごしたことを考えれば当然といえよう。
「……のわりにはぜんぜん変わってなくね?」
3世紀も経過していれば、かつての住宅街が高層ビル群になっていてもおかしくないし、建物の様式だって変わっているはずだ。
しかしこうして目に映る光景には、そうした違和感がない。
多少真新しくなった家もあるようだが、せいぜいリフォームのレベルであり、ジェネレーションギャップを感じるほどではない。
それどころか建物越しに顔を覗かせるビルやマンションは、ルカが異世界に行く前とまったく変わっていない。
レンガ模様を施したコンクリートの壁、洗練さとは無縁の素朴な街路灯、ひったくり犯への注意を促す立て看板などなど、目に入る物すべてが懐かしさを誘う。
「マンションって100年も保つんだっけ? いや保つにしたってフツーは建て直すよなぁ。そのまんまってのはありえないだろ」
ルカの理性はなんとか冷静になろうと試みるが無駄だった。制御を失いつつある口が無意味な言葉をまくしたてる。
「やっぱりここも別の世界なのか? パラレルワールド的な? もし並行世界ならこっちの世界の俺がいるよな。直接顔を合わせるのはまずくないか? とりあえず顔を隠したほうがいいか? けど、それで怪しまれたら同じことか。いや待て。こっちの俺に会えたらそのほうがよくないか? うまく行けばこちらの世界の情報を得られるよな。じゃあとりあえず行ってみるか。ここがカエル公園なら俺ん家はすぐそこだからな。元の世界と同じならだけど。いやでも途中でこっちの俺の知り合いにあったらマズいのか? 何かで顔を隠して――」
思考がループし始めたことに気づき、ルカは両手で顔を叩いた。
「違う違う違う。まず確認だ。何かあったらそんときだ。ここで悩んでてもしかたない」
とっくに忘れたはずの郷愁感が蘇り、もはや居ても立っても居られない。
ルカは立ち上がり、服についた砂を払う。寝転っていたせいでTシャツやGパンがすっかり砂だらけだ。
「……ん? Gパン?」
このときになってルカは自分の身につけていた衣服が変わっていることに気づいた。
300年間、純天然素材の粗作りな服に慣れきった身には、化学繊維独特の均質な肌触りは異様なほどなめらかに感じられる。
「どうなってんだこれ」
世界転移はこれで三度目だが、転移の過程で衣服が変わったことなどない。
「寝てる間に着替えさせられた? わけないか」
ぶつぶつと自問自答していたルカは、不意にまったく別の違和感に襲われた。
周囲に人の気配が感じられない。真昼の住宅街とは思えないほどに静まり返っている。
公園の周囲を道路が取り囲んでいるのに、ルカが目覚めてから、車1台、人ひとり通っていない。
「……ゴーストタウン、じゃないよな?」
ルカが薄気味悪さを感じたとき、後方で車のブレーキ音が聞こえた。
「なんだ、いるじゃん。驚かせやがっ……」
安堵して振り返ったルカは照れ笑い未満の表情を浮かべながら硬直した。
公園の金網の向こうに観光バスほどもある黒塗りの大型車が止まっていて、車体中央に開いた扉から、迷彩の戦闘服を来た一団がぞろぞろ出てくるところだった。
ルカの記憶では、彼らは自衛軍の兵士のはずだ。全員が自動小銃を手にし無言で公園内に散開していく。
「なにこれ、デジャブ?」
ルカを半包囲下においたところで兵士たちは静止した。銃口は真っ直ぐにルカの胴体を狙っている。
「……あのー、これって人違い、じゃないですかね? 俺、何もしてないはずなんですけど。今戻ってきたばかりで……。っていうか、さっきまでここにいなかったんで」
ルカはとりあえず弁明を試みるが、まだ目覚めてからの混乱すら収まっていないため、自分でも何をいってるのか分からない。
「安心してください、人違いではありませんから。
そう言って兵士たちの後ろから現れたのは、20代半ばと思われる女性だった。長そうな髪を頭の後ろで小さくまとめ、丸みのあるメガネをかけている。
濃紺のスカートスーツの上に、いささか無骨なジャケットを羽織っている。黒のストッキングに包まれた脚は細くしなやかだが、ジャケットの胸元はどこか窮屈そうだ。
背筋を伸ばし律動的な歩調で近づいてくる姿は、王女の親衛隊長を務めていたデュシェス・サキュバスを思い出させ、背筋が冷たくなった。
だがそんなルカの不安をよそに、女性は優雅な足取りで近づくと、少年の動揺を鎮めるかのように柔らかく微笑みかけた。メガネの奥の瞳は知的で暖かな光が宿っていて、見ているだけで吸いこまれそうだ。
「私は異民局警邏部の
女性は胸元から手帳を取り出すと上下に開いて見せた。手帳の上段の身分証はさておき、下段に掲示されているエムブレムがルカの関心を引いた。
同じ大きさの4つの円が重なることで各円の中心に星型が生まれる、いわゆる「持ち合い四つ七宝」だが、そのようなエムブレムを採用した組織などルカの記憶にない。少なくとも覚えている限りでは。
「……イミン? なに? 警察?」
「異世界から帰還したばかりで申し訳ありませんが、事情をお聞きしたいので私どもにご同行願えますか?」
「え? じゃあ、ココって元の世界なの? って、何で俺のこと知ってるの? 戻ってきた?」
初対面のはずの女性に名前を言い当てられたうえ、その女性は異世界の存在を知っていて、しかもルカが異世界から戻ってきたばかりだということも把握している。
いったいどういうことなのか。困惑するばかりで理解が追いつかない。
「大丈夫ですよ」
「!?」
混乱したルカが視線を泳がせていると、女性はルカの目を覗きこむように顔を近づけた。思わずのけぞったルカの鼻孔に甘い香りがふれた。
「帰還されたばかりで混乱されるのも無理はありません。貴方がこの世界を離れてから今日までのこと、私たちが貴方の何を知っているのか、すべてご説明します。ご納得いただけるまで何度でも。ですからどうぞこちらへ」
そう穏やかに告げる薮椿女史の表情と言葉には不思議な説得力があった。
ごく自然に頷いたルカは、薮椿にいざなわれるまま公園の外に待機していた黒い車に乗りこむ。ルカの収容を見届けると、兵士たちも速やかに撤収し、一団は公園を離れいずこかへ去っていった。
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