00:09.04

あれから5ヶ月が経過していた。やはり後悔はしていない。

初めに感じていた辛さもここまで来れば諦念に変わる。


それでも変わらないものもある。

あの夢だ。

異形について学習する度にあの夢は現実味を帯びてくる。

今日も机に向かって、巡は異形についてをまとめたプリントを流し読んでいた。


異形には核がある。

異形にはいくつか種類がある。二足歩行をするもの、四足歩行をするもの、地を這うもの、空を飛ぶもの、長い尾を持つものなど、様々な容姿をしている。黒い靄を纏ったそれらのどれもが胸部に当たる部分に核をしまいこんでいる。核が発する光が体の外部に漏れ出ているものいれば、しっかりと厚い装甲でもってそれを守るものもいる。いずれにせよ、その核を破壊すれば、異形は倒れる。


夢を見た。


全体の大きさは平均で2~3メートル。観測された異形のなかで最大のものでは四足歩行型で10メートルに及ぶものもいた。


地獄を見た。


始まりの異形は二足歩行型で、大きさは約3メートル。そして、体全体には頑丈な鉱石で出来ていると思われる大きな突起物が張り巡らせられている。中でも核と思われる部分にはひと際目立つものが一つある。


一面の炎。一面の瓦礫。一面の死体。


あの場にいて生存した者の証言と頼りにならない映像から分かっているのはこれくらいだ。頼りにならないというのは、地上で撮影された映像機器はあらかた破壊されてしまい、残っているものでも正確にその姿を映しているものはなく、また、報道用に上空から撮影された映像でも煙のせいでよく見えないからである。


赤い。赤い。赤い。


異形にいくつかの種類があるように、その能力も多様だ。しかし、過徒の扱う異能のような複雑性は見られない。筋力増強や高速移動、熱光線、猛毒の棘などといった単純なものが多い。だが、今後もそれが続くとは限らない。今のままでも十分にそれらは強いのだから、強力な能力を持つ異形が現れれば、その対処は実に困難となることが予想される。


始まりの異形の持っていた能力は謎が多い。しかし、何十人もの過徒の攻撃を退けた防御性。殉職した過徒の体に刺さっていた棘状の鉱物と現場から発見されたそれらの破片。現場にあった家やビル、高速道路を粉砕し、その地を無に帰し、今も尚そこに刺さっている薄緑の剣。それらから体に纏っていたその鉱物、いや、宝石の一種である翡翠がその異形の能力に関係があるのだろうということは推測されている。刺さっている剣も翡翠で構成されている巨大な岩の塊だ。

もしも、それが始まりの異形が持つ能力なのであれば、現状確認されている異形の能力の中では複雑な部類に位置する。やはり、異形の王と言うべきだろうか。


見えるのは節くれだった大きな背中。


異形には恐らく知性はない。もちろん断言することはできないが、それが今では通説となっている。だが、これに異議を唱える者もいる。始まりの異形には知性があったと。

その根拠の一つとして、始まりの異形があの日以来、一切、その姿を見せていないことが挙げられる。あの時、当時の過徒は始まりの異形を倒すことができず、群馬県にあったその街は破壊された。そのまま、東京の方へ侵攻されていたら成す術はなかった。だが、この国は未だ滅んでいない。

なぜならば、始まりの異形は突如として、姿を消したからだ。


こちらを見て、


いつどの地点で消えたのかは不明。恐らく、翡翠の剣を作り出したあと、その混乱と混沌の中で姿を消したのだろう。そこから一度も、始まりの異形は確認されていないのだ。

今まで確認されている異形の中で、途中で襲撃を中断したという異形はいない。倒されるまで、あるいは破壊するまで、止まることなく攻撃を続けた。しかし、始まりの異形はそれを止めた。これを理由に始まりの異形には何らかの思考があったと主張する者もいる。


こちらを見て、こちらを見て、こちらを見て、こちらを見て、


そして、何故、異形が生まれるのか。

これに関しては全く解明されていない。様々な説が唱えられているが、どれも空論に過ぎない。

始まりの異形の出現以来、異形は定期的に現れ、街を、人々を襲う。空から、海から、地から、空から、異形は発生する。

いずれにも共通しているのは、どれも突然だということだ。予兆なんてものはない。突如として出現し、残酷に殺戮し、根源へと崩壊させる。

それを阻止するのが盾の過徒だ。


こちらを見た。





ハッと目を覚ます。

勉強中に眠ってしまっていたみたいだ。

またあの夢を見ていたようだ。

後味が悪い。


5ヶ月。誰とも喋ることなく、この空間に居るだけの5ヶ月。

毎日、カレンダーを見るのが辛い。

「あと4ヶ月かぁ……」

言葉の発し方も忘れてしまったのではないかと不安になる。だから、意味もなく声に出す。

さっきまで読んでいた机の上のプリントに目を落とす。


過徒は一体の異形につき、3人ほどのチームで対処を行う。

これは少ない人員の中で、最も過徒の負担を少なくすることのできる人数だ。

やり方はそれぞれの自由。結果として、異形の核を破壊し、人民に被害が無ければよい。

また、チームの組み合わせは特に固定されておらず、幹部の者たちが決めていく。相性のいいメンバーであれば続行され、相性が悪ければ解散し、別の人と組み合わせる。これを繰り返し行う。


何度も読んだ文面だ。

基本的な知識は大体入ったつもりだ。

異省や過徒に関する細かい歴史や異形の前例、救急処置のやり方など、ここで学ぶことは多岐に渡る。それら全てを完璧に頭に入れ、毎日出される課題に答えていく。ここにいる間にこれらを済ませなければ、本部での実務訓練の最中もこの課題をやる羽目になる。

誕生日が遅いことの数少ない利点だ。この隔離生活に見合っているとは到底思えないが。


いつの間にか床に落ちてしまっていたプリントを一枚拾い上げる。


その時、奇妙な気配を感じた。

今までに感じたことのない感覚だった。

(なにかがどこかにいる……?)

が、すぐにその感覚は消え去った。

気のせいだったのか。

人肌恋しい故におかしなものまで感じるようになってしまったか。

(疲れてるのかな)

5ヶ月もこんなところに閉じ込められて、おかしくならない方がおかしい。

(でも、たしかに誰かがいた、いや、誰かに見られていた気がしたんだけどな……)

そんなことはあり得ないということは重々承知している。

それでも、巡はこの5ヶ月の間で初めて抱いた感覚をすぐに振り払うことはできなかった。


(もう今日は遅い、寝てしまおう)

しばらく座ったまま勉強をするふりをしつつ、覚えた違和感について考えていたが、そんなことをしていても仕方がない。巡は席を立った。

以前だったらこんな時間に寝はしなかっただろう。だが、起きていても何も意味がない。テレビも22時~23時の国営放送のニュースを終えたあとは早朝になるまでは点かない。

雑にプリントを片付け、電気を消す。

歯磨きを済ませ、そのままベッドに潜り込む。


時計は23時48分を指していた。






次回→1/5 23時頃

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