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19時12分。静まりかえっているわけでもなく、かといって騒がしいわけでもない、ごく普通の食卓だ。テレビではバラエティー番組が放送されている。叔父さんと叔母さんはお喋りな人ではないかもしれない。だが、きっとこれが一般的な夫婦の会話量なのだろう。自分はどうなのかというとただそれを聞いているだけの時もあるし、それに参加することもある。彼らは直接の両親ではないが、一歳の、あの事件以来、ずっと一緒に時を過ごしてきた。体育祭や入学式の時には来てもらった。一緒に旅行にも行った。だから、自分にとって彼らは父と母だった。彼らも威張ることもなく、甘やかすこともなく、今まで真摯に向き合ってくれた。
何気ない様子を振る舞うことで精いっぱいだった。心臓が音を立てて鳴らしているのが嫌な程伝わってくる。箸を持つ手が微妙に震えてさえいる。
今日、彼らに伝えると決めたのだ。だが、何年間も溜めてきたことだけあって、そう簡単に切り出せるものでもない。だが、さりげなく言う方法なんて思いつかなかった。正面から行くしかない。
「あのさ、実は過徒に、盾の過徒になりたいんだ」
その言葉が放たれた途端、空気が変わったのを肌で感じた。時計、カーテン、テーブルの上のドレッシング、全てがその役割を失った。テレビの音が聞こえない。
「もちろん、憧れなんかで言ってるわけじゃない。どれだけ難しいか、どれだけ危険か、全部覚悟している。その、全部分かった上で言ってるんだ。あの時のことだって忘れてない。だから……」
焦りなのか分からないが、気がついたら言葉が滝のように出てきていた。今までせき止めていたものがあふれてくる。
「だから、その……」
「それは憎しみか? 異形に対する復讐の為に過徒になりたいのか?」
遮るようにして叔父が喋った。巡は驚いた。言われてみれば、その考えが少しはあってもおかしくないかもしれない。だが、そんなことは考えたことはなかった。だから、正直に答えることにした。
「それは違う。あの時、過徒の人に助けてもらった時に感じた美しさをどうしても忘れることができないんだ。今度は、自分がそれを人に与えたい。」
うまく言葉にはできない。それでも巡は続ける。
「自分でもこの美しさの正体はよく分かっていない。誰かを助けるという行為のことなのか、自分が誰かの記憶の中にあり続けることなのか。もしかしたら、これは自己満足なのかもしれない。それでも、この想いが間違っているとは思いたくない。信じたいんだ。」
しばらく沈黙が続いた。
「そうか。目指すといい」
「ええ、応援するよ」
思いがけない叔父と叔母の反応に面食らう。壁に掛けられた時計の秒針が時を刻む。
叔父は秋刀魚の蒲焼きに箸を伸ばしていた。
「え、それだけ? もっとこうなんかさ、あるものなのかと思ったけど」
「なんだ。反対してほしかったのか?」
「そうじゃないけど……。てっきり反対されるのかと思ったから。ほら、だって……」
そこで言葉を濁す。二人もそれを察したらしい。でも、巡の目を真っすぐ見据えて、叔父はこう告げた。
「あれは悲惨な事故だった。巡も地獄を見たはずだ。それでも、助けられた。だからこそ、お前にしかできないことがあるはずだ。人を助けるということは人に助けられたことがなければできない。その経験が無ければ、人を助けるなんて考えは生まれないんだ。例え、周りからは助けるという行為をしているように見えても、それは当人の哀れみから起こるものだ」
味噌汁を一度、口に含む。
「もっとひどいのは憎しみから起こる救いだ。それは目的の副産物に過ぎず、結果として誰も救えない。救えるのはせいぜい自分だけだろう。だが、巡がそうではないと言うのなら止める筋合いもない」
すらすらと言葉が出てくる叔父に再び驚く。ただ、自分の願いを認めてくれているのは確かだろう。
「このことは知ってたの?」
前々から思っていた疑問をぶつける。驚いているのは自分ばかりで、彼らは動揺している素振りも見せない。それにあまりにも理解が早すぎる。
「まあ、一応はね。ただ、巡が言うまでは何もこちらからは言及しないと決めてたの。でもいつかは話してくれるだろうとは思ってたよ。だから、今日の為に言うべきことをしっかり考えてきたんだよね?」
叔母は笑いながら、叔父に問いかける。叔父はテレビを見て聞こえていないふりをした。
「あの時、私たちはあの場にいなかった。テレビを通して、ただここから見ていた。でも過徒の人たちはあの中で戦っていた。あらゆる犠牲を払って、私たちを守ってくれた。そんなことができる人はそういない。だけど、巡はそれができる人だと思うの。だから自信を持ちなさい。あなたのことを私たちは誇りに思うよ」
「それも前もって考えてきたセリフか?」
叔父が横から茶化す。叔母は肩をすくめる。
長期戦になると覚悟していたものがものの数分で解決してしまった。何年間も心の中に抱えていた重いものがすっと消えていくのを感じた。
「まぁ、色々言いはしたが、一つだけ、約束してほしいことがある」
ここまで一度も手から離すことのなかった箸を叔父はここで初めて置いた。こちらも慌てて緩みきっていた背筋を正す。
「必ず生きろ。途中で終わるなんてことは駄目だ。」
真剣な目だった。その時、悟った。大切な人を亡くしたのは自分だけじゃない。この人もそうなのだということを。少し開けた窓から風が入ってきたようでカーテンが揺れている。
「分かった。最後まで、必ず」
それを聞いて満足したのか、叔父はまた箸を手に取った。
叔母が思い出したかのように付け加えた。
「学校の先生のこととかはこっちに任せておいて。なんとか言いくるめておくから」
「うん。叔母さんなら心強いよ」
そう言って二人で笑った。
それからはまた普通の食事に戻った。巡はドレッシングをサラダにかけることをすっかり忘れていたことに気が付いた。
一足先に食事を終え、食器を流し台に置く。
そのまま部屋に戻ろうと足を進めるが、思い立って足を止めた。
「ありがとう」
最後にそう言って、リビングを出た。
その日、世界が開けた感覚を覚えた。時計は19時58分を指していた。
次回→12/12 23時頃
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