一章 憧憬


鮮烈な衝撃。


逸らせない瞳。


引き寄せられるような、魅惑的な香り。


この体が、全身であなたを求めている。


今まで味わったことのない、それは初めての感覚だった。






僕の世界には、色がない。

地味とか華やかとか、そういう話ではなく。


文字通り、色がない。


正確に言えば、色を識別することができないのだ。


生まれてからずっとそうだったから、それが当たり前だった。

だから別に気にしたことなんてなかった。

生きていく上で、何ら不便することはなかったから。


でもある時、


「赤色の花を知らないかい?」


そう聞かれて、僕は色を知った。



僕が色とは何かを聞くと、


「色を知らないまま生きていたのかい?!」


と彼は驚きながらも詰め寄ってきた。


「色とはたくさんあるものなんだよ」

「たくさん……僕の世界は一つだけだ」

「それでは赤色がどんな色かも知らないのかい?」

「……知らない」


彼は当てが外れたと、少しがっくりとしていたが、僕は初めて聞く“色”に夢中だった。


「なぜ赤色なの?」

「赤色が一番美しい色だからさ」

「美しい色って、どんな色?」

「うーん、目を逸らせないくらい鮮烈で魅惑的な色、かな」


彼は少しあたりを見回すと、こっちこっち、と僕を案内してくれた。


そこにあったのは、花弁が幾重いくえにも重なり合っている、ただの花だった。


「……これは?」

「これが赤い花さ!」

「これが、赤?」

「そうさ! 君にどういう風に見えてるかは分からないけどね」


彼はその赤色の花に口付けをすると、颯爽と立ち去ってしまった。


相変わらず、僕はその赤色を認識することができない。

しかしその日から、色のなかった僕の世界に、確かに赤色という存在が生まれた。


彼が美しい色と言った赤色はどんなものなのか。

それが知りたくて、僕は毎日のように彼が口付けた花を眺めた。



僕が“あなた”に出会ったのは、その赤色が認識出来るようになって直ぐのことだった。



鮮烈で、目を逸らすことさえできない程の衝撃。


体がフラフラと引き寄せられるような感覚。


彼女を見た瞬間、今まで味わったことのない感覚が全身を駆け巡ったんだ。



赤らんだ頬。


つややかな長い髪。


真っ赤な唇。

赤い大きな花が咲いたような模様のワンピース。



そして、魅惑的な香り。



ああ、この体があなたを求めている。



この感覚は何なのだろう。



名前さえ知らないあなた。



その日から僕は、毎日のように彼女に会いに行った。




とても綺麗な人だから、周りにはたくさんの虫がたかる。

彼女を見つけたのは僕なのに。

どうにかして、あなたを僕だけのものにしたい。


ただ群がるだけの他のやつらとは違う!



僕は、僕だけがあなたの魅力を知っている!



ああ、だからどうか僕を見て。




日が経つにつれ、僕はあなたの美しい赤色を認識できなくなっていった。


でも、前よりずっと、惹かれるんだ。

あなたにとって、僕は数ある内の一つに過ぎないのかもしれない。


でも、僕は諦めないよ。

きっとあなたに伝えてみせるよ。


「だから、それまで待っていてね」


かつて真っ赤で美しかったその唇に、僕はそっと口付けをした。




それからどれだけ経っただろうか。

いつものように彼女に会いに行くと、頭が割れるような五月蝿うるさい音がした。


赤いぐるぐると光る何かと、たくさんの人間が、彼女を取り囲む。



「おい、やめろ! その人に触るな!」



僕の声なんか届きはしない。


そのたくさんの人間は、無作法にも彼女にベタベタと触れ、美しい顔に布をかけ、その魅惑的な香りを放つ身体を持ち上げる。


──連れて行かないで!


僕は必死になって彼女にしがみついた。


しかし抵抗も虚しく、僕はいとも簡単に振り払われてしまった。

強く床に叩きつけられ、体中に痛みが走る。


僕が倒れ込んだそこには、まだほんのりとあなたの残り香があった。


もう居ないあなた。


あんなに魅力的に感じた香りも、あなたが居なければ何の意味もない。



あなたが居た場所を後にし、僕は飛び立った。

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