第17話 アイディアの源
あまり多作な作家ではなく、それから五年の間に書いた長編はわずか二本しかない。けれどその二本のどちらもがデビュー作を大きく超えるヒットだったから、焦って次の作品を書く必要がないともいえる。
小桧山は都会の喧騒が嫌いだと言い、かつて祖父母の住んでいた田舎の古民家に一人で暮らしていた。
雑誌のインタビューなどがあれば、小桧山が都心に出向くことが多い。
しかし、ごくまれに家に案内されるものがいる。
鄙びた山村の古民家と有名作家という組み合わせは評判がよく、彼の家に行ったことのある記者はよくそれを自慢した。
家の場所を洩らさないこと、取材が終わるまでは誰にも話さないことなどいくつかの条件を提示され、了承した。この時代、個人情報の秘匿は重要だ。優木はカメラを持って一人小桧山の家へと向かった。
人嫌いだと聞いていたが、実際に会えば小桧山はとても人好きのする笑顔の青年だった。最寄りの駅まで車で迎えに来て、二人で話しながら田舎道をゆっくり走る。家に着くまでに優木はすっかり小桧山の人柄を好きになっていた。
「ああ、優木さんもご両親を早くなくされたんですか」
「はい。親戚付き合いもないので今は都内に一人暮らしです」
「僕と一緒ですね」
「こういう場所、えっと……」
「田舎ですよね」
はははっと屈託なく笑う小桧山に、優木も一緒に笑った。
「ストレートに言えば、そうですね。こういう田舎に一人で住むのは寂しくありませんか?」
「僕はあまりにぎやかなのが好きじゃないんです。それに執筆中は誰にも邪魔されたくないですから」
「なるほど」
話しているうちに家に着いた。大きな家だ。中に入ると意外と快適なのに驚く。古いけれど、古民家の風情を残しながら住みやすいようにリフォームしたらしい。
家の中で何枚か写真を撮りながらインタビューをする。
「小桧山先生、次回作はもう執筆されているんでしょうか」
「ええ。久しぶりにいい作品が書けそうだなって思っています」
「それは楽しみです。小桧山先生と言えば独創的なトリックが有名ですが」
「ありがとうございます」
「トリックはいつもどうやって考えるんですか?」
「それは、今まで他の人には話したことがないのですが……」
小桧山が家の奥へと優木を案内した。
「優木さんなら話してもいいと思うので、こっそり教えます」
「本当ですか!」
「その代わり、内緒ですよ。秘密です。これは記事にしないでくださいね」
「秘密ですか。でもそれでもいいです。ぜひ教えてください」
「この奥に、穴があるんです。深い深い穴です」
「えっと……穴ですか?」
「ええ、すごく不思議な穴なんです」
小桧山が言うには、穴を覗いているとトリックのアイディアが自然と浮かんでくるというのだ。頭の中に、特に考えようとしなくても複雑なトリックがまるでパズルを解く動画のように分かりやすく浮かぶ。それを書き留めているだけらしい。
「そんなことって、あるんでしょうか。小桧山先生の天才的なひらめきなんですね、きっと」
「そんなことないと思いますよ。僕じゃなくても、もしかしたら優木さんもその穴を覗いたら思いつくかも」
「え、私もですか?」
「ええ。もし穴を覗いて何かトリックが浮かんだら、ミステリーを書くといいですよ」
小桧山がそういうと、優木はまんざらでもなさそうに目を輝かせた。そんな優木を穴のある部屋へと招き入れる。
「深いですから、気を付けてくださいね」
「……本当にただの穴なんですね。地面に掘られただけの。この部屋って床もないんですね」
「そうですねえ。昔は井戸か何かだったのかもしれないけど、それは僕にも分かりません」
「穴の中が暗くて少し怖いです」
「どうです、何かトリックが頭に浮かびましたか?」
「いえ、全然」
「でしょうね。トリックを得るには
「え?」
「ごめんね」
穴の淵にいた優木が急に体勢を崩す。
「きゃあっ」
穴から何か黒い靄のようなものが触手を伸ばして、優木の体に絡みついている。
それを少し離れた場所で小桧山が眺めていた。
優木は頭から穴の中へと落ちていった。
深い深い穴に、優木の悲鳴が幾重にも反響する。
「穴の中のモノは今日の生贄がお気に召したらしい。次は女の悲鳴がキーになるトリックか。いいね」
ポケットからメモ帳を取り出して、小桧山は頭に浮かんだトリックを書き留めることに集中した。
【了】
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