第19話 見られている

「三浦さん、これ教室に持って行ってくれる?」

「はーい」


 控室で作業していると津田先輩に頼まれた。

 私は喜んでプリントの束を教室に運ぶ。なるべく控室に居たくないから。


 私がこの塾でバイトし始めたのは津田先輩の紹介だ。

「少し変わってるけど、まあまあバイト代はいいわよ。残業多いから」

 先輩の言う通り、長時間拘束されるがまとまった金額を貰える。

 社員の講師とバイトの講師の人数はだいたい半々。社員さんはもっと過酷らしく、一様に死んだ目をしていた


 塾には職員室のような講師控え室があったが、私はどうもそこが苦手。

 なぜなのか最初は自分でもわからなかったんだけど、この前夜遅くに作業してて気づいた。壁にかかっている人物画がこっちを見ているのだ。

 いつも、ずっと。この控室のどこにいても。


 私は子どもの頃から人形が苦手で、人物画や写真も苦手だったりする。

 見られている気がして落ち着かないのだ。

 とくに絵画などはそういう効果を意図して描かれているものもあるらしい。

 この壁に飾ってある絵がそうなのかは分からないが、私にはどうも視線に追いかけられている気がして嫌になる。


 なるべく顔を上げないように、うつむいて教材作りに集中する。

 そのうちに社員さんがみんな忙しそうに控室から出ていき、バイトの四人だけが控室に残されていた。

 ときどきこんな時間がある。社員さんがいない気楽さから、私たちは仕事の愚痴やほかの講師のうわさ話をすることが多かった。もちろん小声で。


「それにしても、この部屋って何か落ち着かないのよね」

「あ、分かります。見られてる気がするんです」

「それってあの絵かな?」

「あ、そうそう。俺もそう思う」

「全体的には明るい雰囲気で、きっと良い絵なんだろうけどね……」

「ここの塾、儲かっていそうだもんね」

「社長の服、良いもの」

「似合って無いけど」

「あはは。社長は良いけど社員さんは大変そう」


 社員さんの噂話をしている最中に誰かが控室に戻ってくる気配がした。私たちは慌てて作業に戻る。

 と、社員さんの一人が私に声をかけた。


「悪いけど、三浦さんこっちで私の仕事手伝ってくれる?」

「はい」

「ハサミ持ってきてね」

「分かりました」


 開いている教室の一つで社員さんと二人並んで、黙々と教材を作っていた。

 五分くらいたった頃、社員さんが消えるような小さな声で囁いた。


「控室であまりおしゃべりしないほうがいいわよ」

「え」


 驚いて横を見たが、社員さんは私のほうを見もせずに下を向いたまま。


「悪いけどこっち見ないで。返事もしないで」 


「あの部屋の肖像画って、目のところに穴が開いてるの」


「隠しカメラをセットしてるのよ」


「別の部屋で社長がずっと見てるから」


「話すことに気を付けなさいね」


 社員さんはぽつり、ぽつりと呟いた。

 私のほうを見もせずに。

 死んだ目をしたまま。


【了】

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