第8話 猫の通り道
うちには一匹の猫がいる。
僕がまだ赤ちゃんの頃からずっといる。
茶色の縞々模様で首の周りだけ真っ白い。柔らかそうな毛はきっとさわると気持ちいいはず。でもさわらせてもらったことは一度もない。
耳はぴんと立ってて、目は緑色。長くて縞々なしっぽが二本ある。
お父さんもお母さんも、お爺ちゃんもお婆ちゃんも、誰も猫と遊んだりしない。
猫も誰とも遊ぼうとしない。
勝手に外に出て、いつの間にかまた帰ってくる。
僕が時々いりこを持ってきてあげると、めんどくさそうに見て、それからパクっとくわえる。
その隙に撫でようとするけど、いりこをくわえたまま、するっと逃げてどこかへ行く。いりこを食べたところは見たことがない。きっと外で食べてるんだと思う。どこから外に行くのかはわからない。
猫の名前はトラ。
どうしてかというと、僕がまだ小さいときに、お婆ちゃんがちょっとの間猫をそう呼んでたから。
「トラや。いったいどこから入ってきたのかねえ」
「お婆ちゃん、猫の通り道があるんだよ」
「そうかいそうかい。トラさんはかわいいねえ」
でもお婆ちゃんは病気だったから、それから少しあとで死んでしまった。
お婆ちゃんが死んだとき、トラは珍しくお婆ちゃんにくっついて丸くなってたけど、そのあとどこかに行ってしばらく見えなくなった。
いつの間にかまた家に帰ってきたけど。
お爺ちゃんも死ぬちょっと前にはよくトラの話をした。
「あの猫はどこへ行ったかの」
「トラのこと?」
「ああ、そうじゃ」
「いま、お爺ちゃんの足の近くにいるよ」
「ほうほう」
お爺ちゃんはそのころはもう目があまりみえなかったけど、猫のことをよく僕に聞くんだ。お父さんとお母さんはそんな猫は知らないというから。
僕はもう小学生になったので、猫の話を人にしないほうがいいと思う。だってみんなが変な顔をするから。お父さんもお母さんも、そんな猫はいないと言う。
みんながトラを見ない。トラもみんなを見ない。ただ窓辺で日向ぼっこしているだけ。
◇◆◇
その日、学校から家に帰ると誰もいなかった。そうだ、今日はお母さんは用事で夜まで帰ってこないのだった。家の中は静かだから、僕はテレビを大きい音にしてみる。トラはうるさそうに耳を閉じて、窓際で丸まった。
僕もいつの間にか寝ていた。
ふと気付くと、部屋には黒い煙がいっぱいに広がっている。臭い。そして暑い。
火事だ!
周りは煙でよく見えない。
僕は息が苦しくてもう駄目だと思った。
その時、何かが足にさわった。フワフワな毛。
「トラっごほっごほっ」
喉が痛い。煙が邪魔でトラが全然見えないから、僕も猫みたいに四つん這いになった。トラはそれを見てしっぽを振り振り歩き出す。僕は慌てて後を追った。
いつもの家は、猫みたいに歩くとまるで違う家みたいだった。壁だと思ったところに穴がある。猫の通り道だ。
穴はすごく長くて、僕は暗い暗いところをずっとトラのしっぽを頼りに這っていく。ぐるぐる曲がって、右に行ったり左に行ったり。
もう疲れて歩きたくないよって思ったときに、前に明かりが見えた。トラは急に速く走って、先に穴から出て行ってしまった。僕もあわてて後を追いかける。
明るいところに転がるようにして出たら、そこにはたくさんの人がいた。消防車があって、消防士さんもいた。
「坊主、どこにいたんだ。無事でよかった」
知らない消防士さんに抱き上げられた。
トラはいつの間にかいなくなっていた。
火事は悪い人のせいで、悪い人はすぐに捕まったらしい。
家は燃えてしまったけど、僕は怪我もなくてすぐに元気になった。
家も新しくなった。
でももうトラは帰ってこなかった。
僕は時々四つん這いになってトラを探してみるけど、トラも、猫の通り道もまだ見つけられない。
ただ、僕の部屋にいりこを置くと、いつの間にかなくなってる。
新しい家にも猫の通り道はあると思う。
そして僕がトラに再会するのはずっとずっと先のことだろう。
【了】
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