第13話 雨の中
その後も小さなミスは多いものの、美涼は料理だけでなく、掃除に洗濯、日奈の面倒まで見てくれた。
家事の合間には、実力テストに向けてか予習までしている姿をたびたび目にする。
家庭でも学校内と受ける印象は一緒だ。
むしろ家でもここまでちゃんとしていることに驚いた。
でもなんだか、ミスと同時に笑う回数も減って行っているような、一度思い始めたらそんな不安は増すばかりで、数日が過ぎた日のことだ。
お昼を食べているとき、テレビの天気予報では夕方から雨が降り出すと伝えていた。
買い物に行くのか、スーパーの広告を見つめる美涼はやけに真剣な表情だ。
「……なによ?」
「いやべつに……」
「そっ。日奈ちゃん眠そうよ」
「お、おう……」
いつも以上にその美涼の様子が気になりながらも、俺は日奈のお昼寝に付き合うため2階へ上がる。
布団に入ると日奈はすぐに俺に引っ付いて、そのまま寝てしまった。
身動きがほとんど取れなくなってしまう。
そのままの体制で腕だけ伸ばして、読みかけのラノベを掴む。
以前、教室で美涼が読んでいたシリーズものでその最新刊だ。
数日前、美涼がソファで読んでいたのもこれかもしれない。
(あいつ、大丈夫かな……?)
そう思いながらもしばらくページを片手で捲っていたが、途中で寝てしまった。
☆☆☆
日奈と一緒に下へ通りていくころには、外は薄暗くなっていた。
時計を確認すれば、それなりの時間を熟睡していたのだと知る。
生活環境も変わって、悩んでないと言ったら嘘だし、自分でも気づかないくらい疲れていたのかもしれない。
「お姉ちゃん、いないね」
「ああ……」
美涼の姿はどこにもなかった。
出かけたことは容易に想像できたが、この時間まで帰って来ていないことに不安を覚える。
何しろ夕食の支度は手付かずだし、ベランダを覗けば洗濯物が出しっぱなしだった。
「お外、くらーい」
「だなっ。ちょっと取り込んじゃうな」
幸い昼間から日差しが出ていなかったので、軒下に出していたため雨に濡れずに済んだ。
取り込み終わると、日奈がぎゅっと俺に抱き着いてくる。
「……美涼お姉ちゃん、帰って来るよね?」
「当たり前だろ」
日奈が心配そうに顔を上げた時、家の電話が鳴った。
「もしもし入間ですけど……」
『っ!?』
「んっ、美浜か、お前今どこに?」
『……なんでもないから』
そう言ってすぐに電話は切れる。
なんだかバツの悪そうな声だった。
まさかと思い玄関を見てみれば美涼の傘が置きっぱなしだ。
「あいつ、持って行かなかったのか……」
「美涼お姉ちゃん濡れちゃう?」
「そうだな……」
日奈が声を絞り出す。
その声にいつもの元気がないのも無理はない。
日奈は雨が嫌いだ。そこも重なってより心配になったんだろ。
美涼の声を聞いたら心配は跳ね上がり、と同時になんだか自分に腹が立ってくる。
俺が昼間の時点でちゃんと傘を持っていくように言っていたら。
頑張りすぎてる美涼に気づいていたのに。
「……思ったことはちゃんと伝えないとダメだろ!」
そう決意して、リビングへと戻りテーブルに広げられたままの広告を眺める。
そこには美涼の癖がばっちりと出ていて、出掛けたであろう場所は容易に想像することが可能だった。
受験の対策ノートやレシピノートを見ていたおかげだ。
「よし日奈、2人でお姉ちゃんを迎えに行こう」
「うんっ!」
☆☆☆
自宅から徒歩で行けるスーパーやドラッグストアは何軒かある。
片道20分の距離でも、考え事をしながらの買い物はその倍以上もかかることもあるだろう。
それにもし体調が悪かったならもっと時間はかかるし、大変なはず。
日奈はレインコートに長靴という装備で、俺のさす大きな傘に入り手を繋いでいる。
雨は少し止みはじめているが、道には水たまりも溜まっていた。
ちょうど車の数も増えて来る時間で、水はねにも注意しながら急いだ。
大きな公園内に入る。
ここは日奈とも散歩もするし、朝などはラジオ体操やジョギングしている人たちも多い。
階段を下れば噴水広場もあり、そっちはカップルも見かける。
桜が咲き始めた今の時期はお花見客で多く賑わいを見せているが、あいにくの雨なので人はまばらだった。
迷わずそこに近づいていくと、日奈が手を放して駆け出す。
「美涼お姉ちゃんみーつけた」
「……日奈ちゃん、えっ、なんで?」
美涼は公園内の公衆電話の傍でたたずんでいた。
視線を下げていたが、日奈の声で顔を上げると頬には赤みが差している。
とりあえずその姿をみてすごくほっとした。
「ほら、傘……帰るぞ」
「樹……どうしてここが……?」
「スーパーのチラシ……」
「えっ?」
「お前、重要なとこ大きく丸つけたり二重線引いたりする癖あるから。野菜やこま切れ肉の値段に他のチラシよりも鮮明にそれが付いてた」
「……」
「あのスーパーのルート上にコンビニや他のお店は少ない。雨宿り可能で尚且つ公衆電話があるのはここかなと思っただけだ。たくっ、電話切るなよな」
「……それくらいいつも頭が回ればいいのに」
美涼は下を向いて俺が差し出した傘を受け取らない。
それどころか表情はなんだかムッとしているようにも見える。
その反応をみて、俺もつい余計なことを言いたくなってしまった。
「せっかく迎えに来たんだぞ。日奈だってお前のことすごい心配してこの雨の中……」
「……余計なお世話よ。日奈ちゃんが風邪でも引いたらどうするのよ。それに傘なんて荷物で持てないし、それに段々小降りになってるじゃない」
「なら荷物は俺が半分持ってやる……」
「……っ、結構よ!」
「って、おい待てよ、濡れるだろうが」
小雨になってきたその中を美涼は傘を差さずに歩き出す。
そのどこか意地を張った態度に苛立ちを覚えるものの、なんとなく気持ちはわかってもどかしくもなる。
「日奈、お兄ちゃんとお姉ちゃんに仲良くしてほしい」
「あっ、日奈、水たまりが多いから気を付けろよ」
そう注意はしたものの、日奈は美涼の早歩きに追いつくために前だけ向いて懸命に走っていた。
だがぬかるんだ土に足が滑ってしまい、前のめりに転んでしまう。
長靴をはいていたことも影響したかもしれない。
「っ! 日奈ちゃん!?」
「だ、大丈夫か、日奈?」
「……だ、大丈夫」
日奈は泣くのを我慢するように両手を握りしめて立ち上がる。
顔は怪我していないようでほっとする。
レインコートを着ているおかげで中の服も汚れずに済んだみたいだ。
「……ちょっと手すりむいちゃってるな。家に帰ったらちゃんと消毒しような」
「……うん、ポーチ汚れちゃった……」
それは日奈がいつもお出かけ時に持っていくお気に入りのポーチだった。
雨に濡れたくらいなら乾かせばいいが、泥に汚れてしまっている。
レインコートの上からしていたからな、致し方ない。
優しく頭を撫でてまずは日奈を慰める。
「そんな顔するな。ポーチは俺が新品みたいに綺麗にしてやるから」
「ほんと! ……あっ、お姉ちゃん、傘さして」
「……えっ、うん」
駆け寄ってきて心配そうにおろおろして見ていた美涼に日奈は傘を渡す。
家に帰って来ると、
「じゃああたし、夕飯の準備しちゃうから。日奈ちゃんよろしく」
「えっ、いや、それよりも……」
なにか言う前に美涼は台所に駆けだして行ってしまった。
本当は日奈と一緒にお風呂に入ってもらいたかったんだが。
俺と日奈はお風呂場に直行し、日奈が擦りむいた手の汚れを流水で落とす。
「ちょっとしみるかもしれないぞ」
「日奈、我慢できる」
「……よし、このくらいなら絆創膏はいらないかな。よかった……それじゃあポーチ綺麗にするか」
「出来る?」
「おう、任せとけ」
お風呂を入れる傍ら、洗面器に中性洗剤とぬるま湯を溜める。
ポーチの中身を出して、汚れてしまった部分をその中で少し揉み洗いして、泡が亡くなるまで何回かすすいでみる……。
「わあ、すごく綺麗になった。さすがお兄ちゃん、ありがとう! 日奈は鼻が高い」
「なあにこのくらい……手、痛くないな?」
「うんっ」
汚れがちゃんと落ちてほっとする。
絞って脱水も出来た。あとは裏表きちんと乾かせばいい。
心配だったのか、途中から見ていたのか、ポーチを干しているところで美涼が顔を出す。
「……よかった。綺麗になったのね。そ、それじゃああたしまだ途中だから」
だがそれだけ言うと、逃げるように去って行った。
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