とある昭和
矢田川怪狸
第1話
お揚げにしみた汁をチュウチュウと吸うのが好きだった。ほとんど汁っ気ないほどに吸い尽したお揚げを出汁に戻してたっぷりと汁を含ませて、またチュウチュウと吸う……この食べ方は行儀が悪いと、よく母に怒られたものだ。
だけど僕ら兄弟は大人になった今でも、これが『赤いきつね』の正しい食べ方だと信じている。
僕らの子供時代はとぼけた色のブラウン管の中にあった。
僕はガンダムの一話目をリアルタイムで見た世代で、あの頃は夕方といえば僕らが見るような子供のためのアニメのゴールデンタイムだった。
その時間になると僕と弟たちはアホみたいに口を開けてテレビアニメに見入っていた。金曜ロードショーが子ども向けの映画を流す日は夜遅くまで起きていることを許された。日曜朝は特撮があって、昼には安っぽいD級映画が流されて、夜はドリフがあって、ドラマがあって、テレビがいちばんばかばかしくて面白い時代だった。
僕らの日常のど真ん中にはテレビがあった。
『赤いきつね』を知ったのもテレビからだ。そのころ武田鉄矢がCMをやっていて、僕らには『金八先生』がコミカルでおかしなことをしながら「マルちゃん、赤いきつねと緑のたぬき」と商品名をコールするのがおかしくってしかたなかった。だから僕らは母親にねだった。
「ねえ、お母さん、金八先生の人がCMしてるあれが食べたい」
余談だが、当時はいまよりも『インスタント食品は体によくありません』という言説の強い時代だった。食事とは母親が愛情込めて手作りするのが当たり前であり、お湯を注いで待つだけなんていう『インスタント食品』は良識ある母親であれば避けるべき食品であった。
しかしウチの母は料理下手であり、その上先進的な女だった。彼女はたまならばインスタントも良かろうと思ったらしく、スーパーで赤いきつねを買ってくれた。そしてそれは、休日の昼食として饗された。
僕らは意気揚々、パッケージに印刷された作り方を読みあげて得意満面だった。
いま思えば……兄弟そろってちょっとばかし頭が悪い。
一番下の弟はいちばん時間をかけて説明書きを読んでいたのに、カップのふたをいきなり全部はがした。母の機転で皿を蓋代わりにのせて事なきを得たが、まずバカである。
真ん中の弟は、きっちりと『ここまで』の線まで蓋を開けたが、スープの袋を取り出さずにお湯を注いだ。五分待ってふたを開けてみたら透明なお湯の真ん中にスープの小袋が浮いていてなんともシュールな……つまりはアホである。
そして長兄の僕は、きっちり五分をはかるという概念がなかった。おそらく五分“ぐらい”たったはずだと判断して蓋を開けたそれは、芯が残っていて硬かった。
母は僕らのバカさ加減をニヤニヤ笑いながら見ているばかりであった。いまならばわかる、子供が右往左往しながら未知なる物に立ち向かう姿というのは、たとえそれがカップ麺相手の阿呆な健闘だとしても、傍で見ていてほほえましいものだったことだろう。
そのうち、末の弟が何の気まぐれか油揚げを咥えて、噛まずにちゅうちゅうと啜った。
「うまぁー!」
その声に僕と中の弟も真似をする。なるほど、美味い。
赤いきつねの揚げは汁をよく吸い上げるので、吸えば中からぢゅっと出汁の旨味がダイレクトに口中に広がる。
余談だが、お揚げに関しては昔よりも今の方が『吸いごたえ』があるように感じる。厚みも、そしておそらく揚げ自体の味付けも、揚げの端をちょいと咥えてチュッと吸った時に最高のパフォーマンスが発揮されるようにデザインされているに違いない。つまり、赤いきつねの揚げは吸うために開発改良を重ねられたものであると。
閑話休題。
気がつけば僕ら兄弟は麺を食べることよりも揚げを吸うことに夢中になっていた。中の弟など、揚げを汁につけたままで片端を啜れば、永久に汁を吸い上げることができるのではないかと、容器を抱えて試行錯誤している。末の弟は口中に含んだ揚げの汁をきゅうっと吸い尽くしてから、その揚げをまた汁に戻す。
そして僕は、真っ先にお揚げを半分ほど食べてしまったことを後悔しながら、やはり揚げを吸っては戻し、吸っては戻ししていた。
こんな行儀の悪い食べ方が怒られないわけがない。母は台所からすっ飛んできて僕らを叱った。
「なんて食べ方してるの! もう買ってあげないよ!」
兄弟3人並んで半べそをかいたのはいうまでもない。
しかし僕らはすっかり揚げチュウチュウの虜になり、それからも母の目を盗んではチュウチュウと揚げをすすった。見つかるたびに母には怒られたが、いつしか僕ら兄弟の間では、それが正しい『赤いきつね』の食べ方になった。
さて、ここからは僕が大人になってからの話だ。
僕は20歳で一人暮らしを始めて、どれほど揚げをチュウチュウしても母親から怒られない環境を手に入れた。しかしじきに、それがむなしいことであると気づいた。
もちろん四十を超えた今でも赤いきつねを食べるときには揚げの端を小さく咥えて、チュウチュウとお出汁をすする。程よい塩っ気と醤油の香りと、今でも赤いきつねは美味い。
しかし私は、汁っ気を完全に吸い尽したりはしない。子供だったあの頃のように、口から出したお揚げをお出汁の中に戻したりもしない。実に大人らしく優雅に、半ば汁っ気を失ったお揚げの端を小さく食いちぎる。美味いが、あの頃の熱情はない。
あれは結局、母の目を盗んでチュウチュウするスリルと、一緒にバカ騒ぎしてくれる弟たちがいたからこその味だったのだ。
それでも僕は、今でも赤いきつねを食べる。遠き、もう二度と戻れないあの日の味を求めて。そしてお揚げをチュウチュウするほんの一瞬、色彩のにじんだブラウン管の映像に似た、あの『昭和』を思い出すのである。
とある昭和 矢田川怪狸 @masukakinisuto
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