第12話 自由の民

 自由のたみとテンジンは自分達の事を呼んだ。カシュウもその呼称を初めて聞いたときは驚いたものだ。この世の中に聖邪に囚われることなく生きている人々がいるなどとは全く想像もつかない。カシュウは、最初にその言葉を耳にした時、その意味についてテンジンに執拗に問いただしたのを覚えている。

 しかし、正式にはこの世界にそのような自由の民と言う言葉は存在しない。自由の民とは砂漠よりも東に住む聖邪にこだわらない一部の人々のことを勝手にテンジンがそう呼んでいるだけなのである。


「私も……その自由のたみとやらになることは出来るのでしょうか?」


 カシュウはそう言うと消えかかった目の前の焚き火に火種を一つ加えうつろに頭上の星空を見上げた。いつも遠慮がちに必要なことしか話そうとしない。そんなカシュウが自ら旅の行程以外のことに興味を示すことなど、テンジンがカシュウと供にナンバークの都を出発してから初めてのことである。テンジンはいつも一方通行だった会話が初めてつながった気がした。彼はカシュウの意外な言葉に少し驚いたような表情を見せたが、すぐにその日焼けした顔をとびきりの笑顔に変えた。


「珍しいじゃねぇか。やっとお前さんも俺達に興味を持ってくれたのかい?」


「そんな良いものじゃあありませんよ。軽蔑して貰っても構いません。私は今、自分のしてきた行為から逃げようとしているのです……。」


 カシュウはテンジンの笑顔を正面から受け止める事が出来ず、自らは卑屈な笑顔を見せてそう答えた。逃げるように王都を後にして以来、聖と邪の狭間でもがき苦しんでいた彼の頭の中では近頃「いっそ聖邪などという考え自体を捨ててしまえ。」そんな甘い言葉が度々浮かんでくる。進むべき道も自ら決めることができず、人の言葉に流されるままいつの間にかこのような辺境の大地に足を踏み入れてしまった。カシュウは、砂漠の真ん中で進むべき道を完全に見失っていた。


「逃げるって、お前さんがかい?」


「えぇ。今は詳しい事をお話するわけには行きませんが、私は二年前に、あろうことか聖と邪を天秤にかけてしまいました。そして居場所を失って逃げ出したのです。」


 そして、裏切り者として騎士団から命を狙われ、身を隠しながら諸国をあてもなく放浪していた時、偶然に出会った一人の老人からロウファングの都の話と共にテンジンのことを紹介されたのだ。


「なるほどな……。それで自由の民になっちまえばって理由か。詳しい事はわからねぇが、お前さんが終始浮かない顔をしていたのにもそれなりの事情があったってわけだ。まぁ、ロウファングの都に連れてけってぐらいだから大体の予想はついてはいたんだが……。でもな。今のままじゃあお前は自由の民にはなれねぇぞ。」


「そうですか……そうですよね。わかりますよ。私はあまりにも聖邪にこだわりすぎてますから。」


「ヘっ。よく分かってんじゃねぇか。でもな、こんなことを言っちゃ何だが、お前さんは色んな意味で勘違いをしているぜ。」


 勘違い。テンジンのその言葉がカシュウの胸に深く刺さる。テンジンの言いたい事は言われなくても分かる。その問いの答えは他人に委ねるべきではないのだ。カシュウはその言葉ではたと今自分が口にした言葉の愚かさに気付かされた。


「お前だって分かってるんだろ?俺達の言う自由の民というのはな、自ら自覚するもんなんだよ。だから自覚の無いお前はまだ自由民にはなれねぇ。でもな、お前だって俺達と一緒にこの砂漠で五年と生活してみろ。嫌でも自由民の自覚ってのが芽生えるぜ。それとも……なんだ。いっそのこと、お前この旅の間に麗麗れいれいとどうにかなっちまえよ。そうすればお前は俺の婿ってことで誰に文句を言われることもなく自由民だぜ。」


 そう言うと、テンジンは隣の焚き火の横で毛布に包まっている可愛らしい麗麗の寝姿にクイッと顎をしゃくってカシュウの視線を促した。そしてまた大きな声で笑った。カシュウの身の置き場のない気恥ずかしさがテンジンの笑い声で吹き飛んだような気がした。


 しかし、よく考えてみると、今のテンジンの話は聞き捨てならない。


「ちょ、ちょっと、まってください。テンジンさん。あなたはどさくさ紛れに何を言おうとしてるんですか。」


「とぼけるなよカシュウ。気付いてるんだろ?この旅で麗麗はすっかりお前さん懐いちまった。ていうか、あれは恋をする女の目だぜ。親父としてはだな……娘の思いを遂げさせてだな。」


 全くこの男ときたら何処までが本気なのだろうか。カシュウもこんなタイミングで突然に嫁取りの話を振られるとは思いもしない。そしてその慌てふためく姿をいたずらっぽくテンジンの目が見据えてくる。


「て、適当なことを言わないでください。麗麗と私では歳が離れすぎています。彼女はまだ十五歳ですよ。いくらなんでも……。」


「大丈夫だ。父親の俺が許す。」


 即答。そして、その得意げな顔が何とも胡散臭い。そして、カシュウは、自分が一瞬見せた弱味をテンジンに上手く利用されたようで何だか腹立たしくもあった。


 しかし、そんなことよりも麗麗とテンジンの二人は親娘と言いながら実際に二人が出会ってから一年も経っていないのだ。


 カシュウは以前にテンジンから聞いことがあったら。今回の旅に旅立つ前、テンジンはナンバークの花街で初対面の女からいきなり麗麗が自分の娘だと告げられたと言う。カシュウはなぜ疑わなかったのかとも思ったが「俺も身に覚えが無い訳でもなかったが、酒場で初めて出会った女にいきなり養育費を請求された。」そう言ってテンジンは笑っていた。

 なんとも疑わしい話ではあるが、南方民族にしては彫りの深い顔立ちや、愛嬌のある黒い大きな瞳は、彼女が確かに東方の出であるテンジンの血が混じった証拠のような気もしてくる。

 ただ、そこで終われば、よくある詐欺まがいの話であった。しかしテンジンの場合は女に養育費を払った上に、初めて出会った麗麗を娘として引き取ったと言うのだ。


「砂漠の民の血が混ざったあの顔立ちで、ナンバークの都では生きづらかろう。それにあのままあの場所で暮らしていていれば麗麗も娼婦として生きていかねばならんしなぁ」


 そう事も無げに言ったテンジンの男っぷりにカシュウは感銘を受けたものだが、物を人に与える様に麗麗とどうにかなれなどとは、さすがにカシュウも呆れ果ててまともに取り合う気がしなかった。


「何が父親の俺がですか?貴方と麗麗さんだってまだこの間出会ったばかりなんでしょう。いや……分かりましたよ。もしや貴方はさっさと俺にあの娘を押し付けて、自分は身軽になろうっていう魂胆じゃないでしょうね。そうは問屋がおろしませんよ。」


 図星をつかれたテンジンがその大きな図体ずうたいを精一杯小さくした。「しまったバレちまったか……。」しかしその表情に悪びれた様子は見えない。


「当たり前です。まったくあなたって人は……。」


 カシュウは呆れたように笑った。




 

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