琥珀鳥

第21話 世界の果て


 今年もまた冬の終わりを告げる嵐が過ぎ去って行く。ちょうど賢者と少女が出会った当時を思い出させるかのような心地よい日差し。メイフィールド領は暖かな芽吹きの季節を迎えていた。海辺の牧草地を吹き抜ける潮風には、いつしか土の香りが混ざり、この枯れた大地はこれから本格的な春に向けて一気に色づき始めるのだ。


 急ぐ必要の無い小さな旅の途中。心地よい春の日差しの中で、ロウが手綱をとる馬の横を、ポージーを乗せた若い馬が駆け抜けて行く。


「おい。あまり不用意に馬を駆けさせるものではない。」


 先日、初めて父親から自分専用の馬を与えてもらったポージーは、馬を駆けさせることが嬉しくて仕方がない。昨日の朝早くに屋敷を出発してからと言うもの、ロウがそんなポージーを諌めたのはこれで何度目であろうか。


「今回は長旅での馬の扱いの訓練も兼ねておるのだ。馬は人を背負えるが、人は馬を背負えぬのは分かるな。だからなるべく馬に負荷をかけないようにしなければならん。」


「それは昨日から何回も聞いたよ先生。でもほら、リョウ(馬の名前)ったら、走りたくて仕方ないって顔してるんだもの。」


 悪びれることなくそう言ったポージーの笑顔には、もう幼かった少女のあどけなさは無い。時の流れは早いもので、賢者と少女が出会ってから既に五年の歳月が流れていた。

 

 当時はまだ体が小さく馬にも一人で乗れなかったあの勝気な少女も、今では母親譲りのその黒い髪を馬上でなびかせて、岬の見える小高い丘の先へと再び颯爽さっそうと駆け出して行く。彼女の太く凛々しくつり上がった眉の下、黒く大きな瞳が彼方に見える岬の突端をしっかりと見据えていた。


「私、この場所に来るの初めてなの。」


 今、ポージーが眼下に見下ろす岬こそ、今回の旅の目的地ヘイズ岬である。大陸の西の果てに位置するメイフィールド領の、そのまた西の果て。大地を削り取るかのように荒々しく波が打ち付ける真っ黒な海。そこから垂直に切り立った崖は、いかにもこの世界のはてを想像させた。このヘイズ岬は神話におけるこの世界の西の果てであった。


 しかしポージーはそのような神話などは信じてはいない。岬を見下ろす丘の上から、海の先に何かが見えるのではないかと、ひたすら目を凝らしている。


「どうやらあの砦のようだな。」


 後からゆっくりと追い付いてきたロウは、ポージーの横に馬を並べると、岬の突端に建つ古めかしい砦をみつけてそう言った。


「しかし、領主殿から使いを頼まれるなど、この五年間で初めてではないかな?」


「多分、やっとお父様も私を一人前として認めてくれたんだと思うの。」


 少しはにかむ様にしてポージーはロウの目を覗き込んだ。


「ねぇ。先生も私が一人前になったと思う?」


「そうだな。馬も充分に乗りこなしておるし、確かにそうかも知れんな。」


 ロウはお決まりの顎髭を撫でるポーズを取りながらポージーを見て優しく微笑む。出会ってからと言うもの彼女は見る見る内に成長していった。あの当時はこうして共に馬上からこの世界の果てを望む日が来るとは想像すらしておらず、本当に月日はあっという間に過ぎ去るものである。


 大人達から認められ嬉々とした表情でポージーは再び馬に鞭を入れた。丘を駆け下りて行く馬はその速度を緩めることなく真っ直ぐにヘイズ岬の砦へと向かっていく。

 その姿を見送るロウもまた、仕方なく馬に鞭を入れた。そしてポージーの後ろを追う様に駆け出した。


 



 砦と言うよりは遺跡と言ったほうが近いかも知れない。いつの時代に建てられた物かも分からないその砦はロウが当初に想像していたものよりも格段に規模の大きなものであった。

 今は朽ち果てる様に建ってはいるが、この砦はおそらく過去の戦争に使用されたものに違いない。焼けた石段や、故意に崩された跡が残る城壁が、かつてあったであろう戦の激しさを物語っている。


 二人が領主に頼まれた用事というのは、先の嵐で砦の一部が大きく崩落したとの住民からの報告があった為、念のための現場の視察である。砦に到着したロウとポージーは早速、崩落があったとされる城壁の一角へと向かった。


 しかし実際に現地を訪れてみると、至るところに崩れた跡のあるこの古い砦のいったいどの場所が新たに崩れたのか全く見当がつかない。

 結局のところ、二人は注意深く城壁を見て回ったのだが、どの場所が今回の崩落現場なのか分からないままに夕暮れを迎えることになってしまった


 らちの明かない作業をいつまで続けていても仕方がない。そう考えたロウは、まだまだ元気に調査を続けていたポージーを呼び出した。


「今日はこのくらいにしておこう。」


 ロウが、大きな声で城壁の上に登っていたポージーに声をかけた時である。辺り一面に賑やかな鳥の鳴き声が聞こえたかと思うと、砦の至るところから二人の頭上へと何羽もの鳥が一斉に飛び上がった。春になると北西へと飛び立って行く渡り鳥たちが今、一斉に移動を始めたのだ。


 ここは世界の西の果て。鳥達が飛んで行く先に大地は無いはずである。


「ねぇ、先生。やっぱり海の向こうには私達が知らない大地があるよね。」


 ポージーは、城壁の上で夕陽に赤く染められた空に消えていく渡り鳥達を眺めながらそう言った。



 ロウは、ポージーの言葉には何も答えず、一人で今夜の寝床の設営を始めていた。日が沈み辺りが真っ暗になってしまっては作業の効率が落ちるのだ。


 そんな時であった。渡り鳥を見送り、城壁の影で手際良く焚き火の準備をしていたロウのもとに駆け寄ったポージーは、突然左の耳元で大な鳥の羽ばたく音を聞き「キャッ」と小さな悲鳴を上げた。


 ほんの数十歩先では、作業の手を止めたロウがポージーの左肩を不思議そうにながめている。


 ロウはいったい何を見ているのだろうか。先ほどの大きな羽の音以来、微妙に左の肩が重い。ポージーは恐る恐る自分の左の肩に視線をむけた。


「鳥?」


 ポージーは思わず声を上げた。


 一体どうしたことだろうか。ポージーの肩には炎の様に鮮やかな赤い色をした鳥が一羽、静かにとまっていたのである。

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