令嬢と魔法師団長 4

「価値に見合った魂を支払う……? ……魂を支払う、というのは、命を捧げるということ?」

 聞き慣れない言葉にアルマニアが思わず訊き返せば、ヴィレクセストは首を横に振った。

「いや、そうじゃない。命は終われば魂となって昇り、再びどこかの世界で命を得て生まれ直すものだが、今回支払うのは魂そのものだ。魂ってのは再び生まれ直すための核のようなものだから、それを支払うということは、その存在の完全消滅を意味する」

「存在の、完全消滅、って……」

「言葉の通りだ。死して再び巡るはずの魂が、この団長に起こった事象を否定するための補填として消耗されて、消えてなくなる。輪廻の輪から外れて独立するとか、固定化されるとか、そういう話じゃねぇぞ。本当に、跡形もなく消し飛ぶ。……この力を使うってのは、そういうことだ。力の使用に際して代償と定めた魂を刈り取って食らい、それを源として事象を否定せしめる。当然刈り取られた対象はその時点で命を落とし、巡るはずの魂は消えてなくなって、そこでその存在は終わりだ」

 淡々と吐かれる言葉たちに、アルマニアの背筋を冷たい汗が伝う。

 ヴィレクセストが言っているのは、アトルッセを救いたいのであれば、誰かの存在を代わりに差し出せという話だ。命ではなく、半永久的に巡り続ける魂そのものを捧げ、何度でも生まれ直すはずだった存在に終止符を打てと、そう言っているのだ。

 その重さをこれ以上ないほどに理解し、けれどアルマニアは、それでもきつく握った拳に力を籠めて口を開いた。

「……誰かの魂を捧げれば、救えるのね……?」

 彼女の背後でアトルッセが叫び声を上げるが、アルマニアは意図的にそれを無視してヴィレクセストだけを見た。同時に彼女は、アトルッセが意味のある音を発せない現状に感謝すら覚える。ここで意味を以って責め立てられたならば、冷静な判断ができなくなってしまっていたかもしれない。

 だが、彼女が血反吐を吐くような思いで口にしたその言葉に対して寄越されたのは、その覚悟を嘲笑うかのような答えだった。

「ああ。だが、その辺の人間の魂ひとつなんかじゃ、到底釣り合わねぇぞ」

「なっ、ど、どういうこと!?」

 思わず叫んだアルマニアに、ヴィレクセストはやはり感情を表にしない顔で言う。

「必要なのは、救う対象の価値に見合っただけの魂だと言っただろう。たとえ選ばれなくとも、王の器は特異点だ。その価値ともなれば、推して知るべし、だろ。ああ、それから、魂の選定なんて、あんたは勿論のこと、俺にだってできねぇぞ。そもそも事象否定の力ってのは、本来は事前に用意してあるプールの中身を使うもんだからな。だけど今回はそれがないから、無理矢理何かをプールに設定する必要がある。設定にはある程度の縁も必要になってくるし、まあそうなると、いいとこ“ザクスハウル国内”が狭められる限界だろうな」

「ちょ、ちょっと待って! ザクスハウル国内って、どういう、」

 明らかに動揺する彼女に、ヴィレクセストが目を細めた。

「あんたにしちゃあ察しが悪いな。いや、整理がしきれてないだけか? なんにせよ本当に言葉の通りなんだが、……まあいい、具体的に教えてやるよ。アトルッセ・オートヴェントを救うには、ザクスハウル国内の人間の魂が万は必要だ。そしてその選定は、発動する事象否定の法則内で自動的に最適化されて行われる。善人も悪人もなけりゃ、老若男女も関係ねぇ。選定法則はただ一つ、この世界にとってどれだけ影響が少ないか、だ。良きにしろ悪きにしろ影響を及ぼすってことは、いなくなったときにも影響があるってことだから、コストとして支払いにくいんだ。その点、世界に与える影響が少ない魂は、なくなったところで困りはしない。ああ、倫理的にどうこうって話はしてねぇぞ。これはただ、大局的で俯瞰的な視点で見た際の、純然たる機械的な法則ってだけだ」

 淀みなく告げられた言葉たちに、アルマニアの頭が真っ白になる。

 これが、万を救うために一を捨てるだとか、善人の代わりに悪人を差し出すだとか、そういうものであったならば、苦悩はすれどももっと惑わずにいられただろう。背負うものの重みを知りつつも、覚悟を決めて答えを出せただろう。だが、ヴィレクセストが言っているのはそうではない。

 彼が言っているのは、世界にとって特別な一を救いたいのであれば、世界にとって特別でない万を切り捨てるしかないという話だ。それも、別にアルマニアはその行為を強要されている訳ではない。彼はただ、救いたい、救うべきだというアルマニアの主張に対し、彼のできる範囲での現実的な答えを提示してくれているだけである。決めるのは、飽くまでもアルマニア自身なのだ。

 アルマニアの後ろで、アトルッセが一際大きな声で何かを喚き散らしている。言葉とは到底呼べないただの叫びが、しかし明確な言葉となってアルマニアを責め立てるようで、彼女は耳を塞ぎたい思いになった。それでも実際に耳を覆わなかったのは、かろうじて残された矜持と覚悟の為せる業だったのだろう。

(…………善悪や、要不要という、のは、)

 善悪や要不要というのは、時と場合、時代と情勢や環境によって可変のものである。平和な時代に街中で人を殺せば罪人であり不要な者だが、戦時中に戦地で人を殺せば英雄であり必要な者だ。

 だから、きっと彼の言う事象否定に伴う選定基準も、ある種の要不要によって決まっている。すなわち、世界にとって必要なのは世界に何がしかの影響を与えるものであり、不要なのは何の影響も与えないものだと、そういうことなのだろう。そして、ヴィレクセストが特異点と呼んだ王の器は、恐らく要の最たるものである。だから、必要なもののために、不要なものを使うと、それだけの話なのだ。

 ならば、考え方自体はアルマニアのそれに近い。等しく尊い命にそれでも値段をつけなければならないとき、アルマニアも同じように考え、同じように答えを出してきた。ただこれまでと違うのは、出した答えがリアルなものとして返ってくることだ。

 そう、皇太子だったベルナンドに街をひとつ捨てろと進言したあのときは、結局それは成されずに終わった。無論アルマニアなりに考え、覚悟を以って発した進言ではあったが、結果的に彼女が背負ったものはなかった。

 だが、今回は違う。彼女がここでそれを決めれば、ヴィレクセストは迷いなく確実にやってのけてくれることだろう。だからこそ、それはこの上ない重圧として彼女にのしかかった。

 初めて彼女は、己の決定がもたらす結果を恐れ、決定を現実にできてしまう自分自身に怯えたのだ。

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