令嬢と不落の監獄 1

 ザクスハウルで最も高貴な街である貴層の最奥部、魔法城にほとんど隣接するようなその場所に、中央地下監獄ガルシャフレに通じる唯一の扉は存在する。といっても、誰もが監獄への入口だと認識できるような代物ではない。防御魔法で物理的にも魔法的にも守られた入口は、同時に強固な幻惑魔法によって歪められることで、生半可な魔法師では存在すら認識できないようになっているのだ。

 だが、レジスタンスとのやり取りから二日が経ったその日、ドレスを脱いで動きやすい服を身に着けたアルマニアとヴィレクセストは、最高峰の魔法で守られたそれの前に立っていた。

「……入口を見つけることすら困難、なんじゃなかったのかしら」

「その通りだぜ? なんせ、これを見つけるだけで種々様々な幻惑系統の魔法を十は装填したからなぁ。厄介厄介」

「……容易に発見した男の言う台詞じゃないわね」

 その上、ヴィレクセストはアルマニアにも入口が見えるようにと、自分の見えている景色を彼女の目に直接投影するだとかいう、訳の判らない幻惑魔法まで使ってみせた。原理としては、自分が見ているものを写し取る魔法とそれを再現して他者の網膜に映し出す魔法とを組み合わせているらしいのだが、それは一般的な魔法なのかと尋ねたところ、原理自体はこの世界の魔法の原理を使っているが、魔法演算式は俺が今思いついたものだから、他の人間も使っているかどうかは判らない、という答えが返ってきた。

(ヴィレクセストは、この世界の魔法の場合、構想が浮かんだらそれを理論構築すれば良いだけだから、新たな魔法を創造するのはそんなに難しいことではない、と言っていたけれど……)

 魔法創造を担う賢人が秘術を完成させるのに随分苦労しているのだから、難しくないというのはヴィレクセスト個人にとっての話だろう。

(……彼の手にかかれば、秘術とやらも一瞬で完成してしまいそうね)

 彼女がそんなことを考えていると、監獄に繋がる扉を観察したり叩いたりしていたヴィレクセストが、くるりと振り返って彼女を呼んだ。

「入り方はなんとなく判ったぜ。これなら、扉が開いたことに気づかれずにいけると思う」

「あら、そもそも今の私たちには、最高峰の目晦ましが掛けられているのではなくて?」

 アルマニアの言う通り、彼女とヴィレクセストは、ヴィレクセストが掛けた外の世界の魔法によって、常にその存在が曖昧なものになっているという話である。レジスタンスの拠点に行ったときのように、他者から存在を認識して貰う必要があるときは、ヴィレクセストの意思ひとつで任意の対象から知覚されるようにすることができるようだが、逆を言うと、それをしなければ二人は他者から非常に認識されにくいのである。だからこそ、この貴層に来るのにも大して苦労しなかったのだ。

 ちなみにこの目晦ましは、実は二人がこの国にやって来る前から発動している。ヴィレクセスト曰く、八賢人のような些末事とは関係のない、もっと厄介なものから隠れる必要があるのだ、ということだったが、例によって詳細は語ってくれなかったので、それ以上のことはアルマニアも知らない。

 とにかく、この世界にとっては規格外である魔法によって身が隠されている筈なのに、監獄への侵入に対してそんなに慎重なのはどうしてか、気になったのだ。

「あー、まあ確かに俺らの存在が賢人たちにバレることはまずないと思うぜ。でも、それは飽くまでも俺らが俺らとして認識されないってだけなんだよな。俺が今俺とあんたに掛けてるのは、俺らの存在が異物であると認識されにくくする魔法だ。だから、貴層で貴族と会えば同じ貴族であるように思われるし、中層で平民と会えば同じ中層の平民だと思われる。が、監獄では恐らくそうはいかない。何故なら、監獄内にいる人数ってのは、囚人看守含めてきちんと定められていて、多分それをチェックするような情報把握魔法が常時発動している。だから、俺らが監獄に入った時点で、俺らは間違いなく余分なもの判定なんだ。同様に、この入口をなんの対策もなしに開けちまうと、誰が開けたのかはバレないし、ここまでの俺らの足取りも辿られはしないが、入口が開いたという事実だけはすぐさま把握される。そうなったら十中八九賢人の誰かがすっ飛んでくるだろうから、できるだけそれは避けたい」

「ちょっと待って、その理論で言うと、例えばこの国の人口や国内外への出入りの数を賢人たちが完璧に把握していて、その上で賢人が情報把握の魔法を国土全体に使った場合、私たちという異分子の存在がバレてしまうということ?」

 まさかそんな杜撰な目晦ましで今まで活動していたのか、と言いたげなアルマニアに、ヴィレクセストは緩く笑みを浮かべた。

「ま、理論上はそうなる。が、実際そうなる可能性はゼロだな。国土全体を一瞬で把握できるほどの情報魔法ってなると、そもそもが人間の魔力量でできる業じゃねぇ。万が一できたとしても、人間の脳でそれだけ膨大な情報を一気に処理するのは不可能だ。だから、いかに賢人と言えど、数日かけてゆっくり把握するくらいが精々だろうな。そんでもってそうなると、正確な人数把握はなかなか難しい。それだけ曖昧な条件が揃ってるなら、俺がかけてる程度の目晦ましで上手く誤魔化すことができるんだよ」

 だからそこは心配いらない、と言ったヴィレクセストに、アルマニアは納得したように頷いてから、けれど、と言った。

「扉が開いたことがバレずに侵入できたところで、監獄の中で異分子判定されてしまったら、賢人たちに侵入を悟られてしまうのではなくて? そうしたら、結局賢人たちが監獄にやってくることになるわ」

 アルマニアの指摘に、ヴィレクセストは頷きを返した。

「ああ、公爵令嬢の言う通りだ。それを避け、快適な道中を歩むためには、監獄の異分子察知に関わる魔法を相反する魔法で無力化するなり、察知されないように更に上の幻惑魔法で隠れるなりするのが一番有効な手なんだが……、……まあ、実際に入って監獄内の魔法を見るまでは断言はできないが、多分それを大賢人相当の魔法で実行するのは無理だろうな。という訳で、この手は使わない」

「監獄の魔法を全て逆算して無効化するのは、……いえ、無理ね。八賢人の会議の場にあらかじめ仕掛けられた魔法の逆算が人間業でないのなら、監獄のそれも同様に、人が瞬時に逆算できるようなものではないでしょう」

「そうだろうな。だから、異分子として感知されたあとを処理する」

「感知されたあと?」

 訊き返したアルマニアに、ヴィレクセストが頷く。

「ああ。侵入と同時に監獄が持つ外部への情報発信基盤となる魔法を俺の魔法で制圧することで、俺たちという侵入者の存在が監獄外にバレないようにするんだ」

 そうすれば賢人たちに気づかれることなく動くことができる、と言ったヴィレクセストに、アルマニアは目を丸くしてから、そっと口を開いた。

「……できるの?」

「俺に許された百の装填数スロットのどれだけを割くことになるかは判らねぇが、やる。ただ、相手は賢人が設置した極上の魔法だ。恐らくだが、俺に無効化されると同時に自動で魔法演算式を書き換えて対応してくるだろう。そうなったらすぐさまそれを制圧し直す必要があるから、この外部への発信を防ぐための魔法は、常に発動し続けることになる」

 つまり、その作業に割いた分の装填数スロットは、監獄内では使えないということである。

「……そういう重要なことは、出発前に言っておくべきだと思うのだけれど」

「しゃーないだろ。実際にこうして入口を見て、ああ入口の魔法がこれなら、多分中はこんな感じなのかなぁって思ったんだよ」

「そう、まあ良いわ。……ノイゼが言っていた通り、随分と厄介な場所みたいだけれど、突破を試みることはできるのでしょう?」

 アルマニアの問いに、ヴィレクセストが目を細めて笑う。

「少なくとも、やる前から無理だ、とはならなかったな」

 その答えを聞いて、アルマニアはこくりと頷いた。ならば、選択肢は一つである。

「行きましょう、ヴィレクセスト」

 そう言ったアルマニアが、ヴィレクセストに向かって手を差し出す。ひとつ瞬きをしたあとでその手をとった彼は、もう片方の手を監獄の入口へと翳した。

「それじゃあ、八賢人のお手並み拝見といくか」

 彼が言うのと同時に、彼の手を中心に発動した魔法が扉に模様を描き出す。それがぱぁっと輝きを放ったかと思うと、固く閉ざされていた扉が軋む音を立てて開け放たれた。

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