令嬢とザクスハウル国の異変 1

 ザクスハウル国とは、世界中に散らばっていた魔法師たちがひとところに集まってできあがった魔法国家である。そしてその立役者となったのが、大賢人エナイジア・ガンプルースだ。

 歴代で誰よりも強く優れた魔法師であった彼女は、その実力とカリスマ性を以て魔法師たちを纏めあげて国家を興し、一代にして大国家へと成長させた。

 現在この国の基盤となっている身分制度や、八賢人による統治体制なども、エナイジアが遺したものだ。エナイジアが健在だった当時は、全ての統治をエナイジア一人が担い、その下に彼女を補佐するための魔法師として八人の賢人がいたのだが、彼女が寿命で亡くなったのを機に、補佐役であった八賢人がそのまま繰り上がる形で統治者となった。

 といっても、八賢人たちが自ら統治者として名乗り上げた訳ではない。エナイジアが健在の間に彼女と同じくらい力が強い魔法師が現れなかったため、ただ一人を君主と据える今の制度を続けるのは困難だろうと判断した彼女は、己の死後は八賢人をトップに据える体制に移行するよう指示を残したのだ。

 あらゆる全てを一人で担うことができた大賢人エナイジアと違い、八賢人は、攻撃、防御、回復、情報収集、空間転移、幻惑、魔法創造、とそれぞれに異なる魔法に特化しており、それら全てを合わせることで国家の統治を行っている。これは、八賢人が誕生したときからここまで変わることなく続いている決まりだ。

 そうして今も受け継がれている八賢人による統治体制は、これまで一度も揺らぐことなく、この国を大国たらしめてきた。

 それが今、崩壊の危機にあるのだ、とノイゼは言った。


 事の発端は、四年前に八賢人たちの前に現れた一人の少女だった。当時十にも満たないその少女は、強固な魔法で守られた、八賢人しか入ることができない会議室に突如現れ、自分のことを大賢人エナイジアの生まれ変わりだと言った。

 勿論、賢人たちはすぐにそれを信じるようなことはしなかった。誰も入れないはずの会議室に彼女が現れたことは異常事態だったが、それだけで生まれ変わりなどという妄言を信じるわけにはいかない。

 ひとまずは少女を捕らえ、監視と尋問を行うことにした賢人たちは、しかし会話の中で、歴代の八賢人しか知らない建国に関わる機密事項を次々と少女が口にしたことで、徐々に彼女が本当に大賢人の意思を持っている可能性を疑い始めた。

 そして、少女との遭遇から半年後、ついに彼女が大賢人であることを決定づける出来事が起こった。それが、シェルモニカ帝国を襲ったあの秘術である。

 そう、人を魔物へと変貌させる恐ろしいあの秘術の構想は、他でもないこの少女がもたらしたものだったのだ。

 リッツェリーナ王国が秘密裏に軍事増強を謀っていることを告げ、近い未来にザクスハウル国の資源を求めて戦争を仕掛けてくるだろうと言った彼女は、それに対抗できるだけの兵力を手に入れるため、人間を強力な魔物へと変える秘術の構想を賢人たちに伝えた。その構想というのが、あまりに高度かつ誰もが思いもしないような機構のものであり、賢人たちは皆、彼女が自分たちよりも遥か上の魔法知識を持っていることを確信せざるを得なかったのだ。

 ただし、彼女が保持しているのは大賢人としての記憶と頭脳だけで、かつての凄まじい魔法能力までは蘇ることがなかった。そのため、構想を元に秘術を完成させるべく奮闘したのは、魔法創造を担当する先駆の賢人だった。

 だが、大賢人の頭脳によってもたらされたその秘術は、大賢人だからこそ成し得るような非常に高等かつ難度の高い魔法で、いかに八賢人と言えど秘術を完成させるのにはかなり手こずることとなった。魔法演算を完璧に済ませたつもりが、僅かな綻びから魔法全てが崩壊したり、実験用の動物では成功したものが、実際に人間に対して行うと全く上手くいかなかったりと、想定以上の苦戦を強いられた先駆の賢人は、最終的に動物実験を完全に放棄し、初めから人間で試験を行うことを選択した。

 そしてそこで検体として目をつけたのが、犯罪者だった。

 最終目標である、魔法師団兵の自由意思による可逆性の変化を目指し、先駆の賢人は犯罪者を使った人体実験をひたすら繰り返した。その光景は人道的とは言い難いもので、あまりの惨状にノイゼは実験の是非を問いたくなることもあったが、実験体として選定されるのは死刑執行が近い重罪人だけだというルールがあったため、国を守るための苦渋の決断であるとしてなんとか飲み込んできた。

 だが、実験の過程で、強力な肉体や魔法能力を持つ個体ほど魔物に変化した際の能力も高くなることが判明すると、雲行きが怪しくなった。秘術が完成したあと、より強い兵力を確保するためにと、実験体の基準が罪の重さではなく能力の高低に切り替わったのである。つまり、どんなに重い罪を犯した犯罪者だろうと、身体能力や魔法能力が高ければ実験体として選ばれることはなく、逆に軽犯罪しか犯していない者でも、そういった能力が低ければ実験体として選ばれてしまうのだ。

 その方針転換を知ったとき、ノイゼは賢人の一人として強く反対した。そもそも彼は、人体実験自体にあまり良い印象を抱いていなかったのだから、死刑囚をそっちのけで大した罪もない人達を実験に使うと言われたら、反対しない筈がなかった。

 だが、ノイゼ以外の賢人たちの反応は違った。国が存続するために必要な犠牲ならば致し方なしとした彼らは、たった一人反対の意思を見せるノイゼを責め、彼の考えを改めさせようとしたのだ。

 しかし七人の賢人たちに詰め寄られても尚、ノイゼは譲らなかった。他の賢人たちを諭そうと懸命に言葉を尽くし、国家存続のための他の道を模索し続けた。

 しかし、結論から言うとノイゼのそれらは全て徒労に終わる。大賢人の意思に逆らうノイゼを反逆者とみなした七人の賢人によって、彼は命を狙われることになってしまったのだ。

 勿論ノイゼは、自分には反逆の意思などなく、ただ今一度もっと良い手段があるのかを考え直して欲しいだけなのだと主張した。だが、彼のその悲痛な叫びを聞く者はいなかった。賢人たちは一切の迷いも躊躇もなく、ノイゼを亡き者にしようと猛攻を仕掛けてきたのだ。そしてそれを認めたノイゼは、己が最も得意とする幻惑魔法を駆使して応戦することを決めた。

 だが、いかにノイゼが幻夢の名をいただく賢人だと言っても、七人の賢人を相手取って無傷で逃れることは難しかった。賢人たちの攻撃を前に致命傷を負った彼は、命からがらその場を逃れ、魔法で己の身を隠したあと、数か月間生死の境を彷徨うこととなったのだ。

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