令嬢と月旦評 5
アルマニアはそっと目を伏せ、そして静かにひとつ息を吐いてから、緑の瞳で以てノイゼを見た。
「それでは駄目だわ。前者は望み薄で、後者も結局、最終的に至る結末は同じこと。どちらにしても、民は搾取され踏みにじられるばかりよ」
その言葉に、ノイゼがほんの僅か息を詰める。だが彼は、それでもその顔に浮かべた柔和な微笑みを崩さなかった。
「やってみなければ、判りません。そのために、私たちは力を集め、策を練っているのですから」
「いいえ、やらなくても判ることだわ。…………貴方も、理解しているのでしょう?」
静かな彼女の声に、ノイゼが口を閉じる。どことなく不穏さを感じさせる空気が部屋を満たし、レジスタンスのメンバーたちの一部が不安そうな顔をしてノイゼを見た。
だが、ノイゼがこれ以上何も言うことができないことは、アルマニアが一番よく判っていた。人々のために肯定する訳にはいかず、けれど真を否定することもまた、アルマニアを前にしている今はできないのだ。
「……ええ、そうね。それなら、今度は私の番だわ」
そう言ったアルマニアが、口元の笑みを絶やさぬままでノイゼを見た。
「私の目的は、貴方たちに助力をしてこの国を正しい姿に戻すことよ。手段については貴方たちの戦力や考えと相談して決めようと思っているし、どうしてこんな事態になったのかによっても変わるだろうけれど、恐らくは、八賢人との戦いに勝ってこの国の頂点に立ち、直接国を改革する、ということになると思うわ」
自信に満ちた声で言われたそれに、ノイゼが目を丸くする。二人のやり取りを見守っている周囲も、アルマニアの発言にざわつき、場には困惑や侮蔑や猜疑などの様々な感情が渦巻いた。
「……私以外の賢人七人を相手取って、勝つと仰るのでしょうか」
「ええ。勿論、最初から全面戦争をするつもりでいる訳ではないわ。裏からでも表からでも、正攻法でも卑怯な手でも関係ない。取れる手段の中で最も優れた方法を探して作戦を立て、確実に国を奪い取るの」
はっきりと言ったアルマニアに、ノイゼが判りやすく表情を曇らせる。
「……アルマニア嬢、貴女の仰るそれは、王国における王位簒奪と同義です。我々は確かに今のこの国に逆らうレジスタンスではありますが、別に国家を我が物にしようと考えているわけではない。ただ、元のあるべき姿に正したいと思って動いているだけなのです」
「お言葉だけれど、その程度の覚悟では、成せることも成せないわ」
ノイゼの言葉をばっさりと切り捨てたアルマニアが、彼を見つめたまま言葉を続ける。
「私は今回の件について詳しくは知らないけれど、それでも八賢人を諭したり和解ができるような状況じゃないことくらいは察しがつくわ。話し合いでどうにかなる問題なのであれば、きっとここまで徹底的な情報統制なんてしていないもの。他に情報が漏れないように秘匿しながら、民を次々と監獄に閉じ込め、そして他国への侵略紛いのことまでしている、となれば、八賢人の行いはもう取り返しがつかないところまで来ていると判ずるほかない。貴方も、理解しているはずよ」
彼女の強い声に、ノイゼが顔を俯ける。
「……それでも、私は希望を捨てたくはない。もしかすると、己の行いを悔いている者もいるかもしれないではないですか。それに、この国はこれまで八人の賢人が欠けることなく治めてきたからこそ、秩序が保たれてきたのです。レジスタンスには賢人を担えるほどの魔法師はおらず、仮に賢人たちをその座から引き摺り下ろしたとしたら、この国の制度自体が崩壊してしまうことになる。国の今後のことを考えるならば、賢人たちの心を入れ替えさせることこそが最適解ではないでしょうか」
少なくとも私たちはそう思い、そのために活動を続けているのです、と言ったノイゼに、アルマニアは一度瞬きをしてから、周囲の人々をぐるりを見回した。誰もがノイゼと同じ目をして、ノイゼと同じ思いと覚悟を抱いている。
それを確認したアルマニアは、ノイゼへと視線を戻して息を吸い込み、そして無慈悲ともとれる言葉を吐き出した。
「いいえ、貴方のそれは、やはり愚策よ。策を練るときは、希望など抱いてはいけない。下の者の命を背負って立つ者がしなければならないのは、夢物語を謳うことではなく、常に最悪を想定すること。賢人たちが改心する可能性なんて、今この場で捨ててしまいなさい。彼らが民を害するというのであれば、それは間違いなく国家の敵よ。ならば、力ずくでも排除するしかない。力を持ちながら、志がありながら、それをしないのは、それこそ民に対する裏切りだわ」
十六の小娘とは思えぬほどに強く重みのある音色で言ったアルマニアに、ノイゼが俯けていた顔を上げて、彼女を見る。どこまでも済んだ緑の瞳が映しているのは、自惚れからくる慢心でも、無知からくる自信でもない。ただ、事実を見据えた冷たく真っ直ぐな目が、ノイゼを見つめている。
そうして暫しの沈黙が辺りを支配し、呼吸の音だけが空気を小さく震わせて、そして、
「…………七人の賢人を相手に、どうやって勝てと仰るのですか」
ぽつりと落ちたのは、ノイゼの小さな呟きだった。そのとき初めてこの麗人の中に賢人ではなく個を見た気がして、アルマニアはほんの僅かだけ目を瞠り、そして、自信と自負と威厳を存分に満たした笑みを返す。
「ヴィレクセスト」
ただひとつ名を呼ばれ、ヴィレクセストはぱちりと瞬きをしたあとで、あー、と言った。
「なんだっけか。八賢人の魔法の最大展開数は、十から二十だっけかな」
凡人が一ないし二で、五つも使えりゃあかなりの使い手なんだよな確か、とヴィレクセストが呟く。
この世界における魔法は、ヴィレクセストが好んで使っている精霊魔法とは異なり、演算式によって現象を発現させるというものだ。魔法一つであれば、演算式を一つ組み上げて発動させれば済む話なので、その場で構築してすぐさま発動できる場合が多いのだが、複数の魔法を使おうと思うとそうはいかなくなる。
その場合、先程ヴィレクセストが行ったように、装填と呼ばれる過程を踏む必要があるのだ。装填で、任意の数の魔法弾と呼ばれる魔法の種を準備し、その弾それぞれに発現したい現象の演算式を投影して、それから弾を発射することで魔法を展開する、というのが複数魔法を同時に発動する際に踏む手順である。演算式を組んで投影するまでにかかる時間や、弾をいくつまで維持できるかなどは、使い手の才能や技量によって大きく異なるが、この手順を踏まなければ、この世界の魔法を使うことはできないのだ。
「あんたらの始祖である始まりの大賢人の最大装填数は、百だったよな。なら、そこが一応人間の限界か」
そう言って一人納得したように頷いたヴィレクセストが、ぱちんと指を鳴らした。
「――
彼がそう発した瞬間、彼の背後に無数の光の弾が生じ、その数にノイゼを含むその場の誰もが目を見開く。唯一の例外はアルマニアだったが、その彼女も内心では驚くどころの話ではなく、表情に出ないように努めるので精一杯な有様だった。
「数えたきゃ数えて良いけど、一応これで装填数は百だな。あとは演算式を投影するのにどれだけ時間がかかるかって話なんだろうが、その辺は魔法の種類にもよるし、ひとまずは装填数だけな。つってもそれだけじゃあ納得しにくいだろうし、もうひとつ」
そう言ったヴィレクセストがもう一度指を鳴らすと、光の弾が一気に減って二つになった。
「
演算を一瞬で済ませて発動された魔法が、カモフラージュとして機能していた店とこの空間とを繋ぐ場所へと放たれる。
弾の内の一つは店の方まで飛んで弾け、もう一つは二つの空間を繋ぐ境目で弾けて、まるで壁を塗り固めるようにして、二つの空間の間を瞬時に埋めて隔ててしまった。ようは、先程自分が壊した空間の繋ぎ目を修復して閉じたのだ。
「とまあ、この程度の空間魔法くらいなら一瞬で演算を済ませられるぜ。あとは、演算式を逆算して相手の魔法を解除したり、乗っ取ることも可能だ。さっきお前らがぶっ放してくれた攻撃魔法を壊したのとかが、それに当たるな。あ、今あっちの店に撃った分は、店にかかってた幻を一部剥いじまったから、それを元通りにした感じな。気になるようだったら、店の方まで出て直接確認してくれ。あー、あと、俺らがここで起こした騒ぎや、そもそもの俺らの足取りとかに関しては気にしなくて良い。その辺りは八賢人にバレないよう、全て対処済みだ。……こんなところで及第点か? 公爵令嬢」
にこりと笑んで尋ねてきたヴィレクセストに、アルマニアは内心の驚愕を隠しつつ微笑みを返した。
「ええ、そうね、十分過ぎる働きよ」
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