令嬢と月旦評 4
ヴィレクセストからノイゼへと視線を戻したアルマニアが、怪訝そうな顔で口を開く。
「……てっきり、レジスタンスは八賢人に対抗するために組織されたものだと思っていたのだけれど」
「ええ、その通りですよ」
「八賢人の一人である貴方がリーダーなのに?」
「そうですね。その辺りは話すと長くなりますし、アルマニア嬢にお話しして良いことなのかも判らない。なので、まずはお互いの目的やそれを達成するための手段について、お話しませんか?」
貴方も私との対話を求めてここまでやってきたのでしょう、と微笑んだノイゼに、アルマニアは内心で僅かに躊躇ったが、それを表に出すことはなくすぐさま頷いて返した。
(私は王になるのだから、こんなところで主導権を握られる訳にはいかない。けれど、ノイゼの言うことはもっともだわ。相手に場を支配されることを恐れて拒絶しては、かえって不利になるだけ)
迅速な判断を下しながら、一方でアルマニアは先程から早鐘のように打ち続けている自分の鼓動に、落ち着かない気持ちでいっぱいだった。
理論上は理解していたし、自分がそれを上手くできる自信がない訳ではないが、それでも実際にこうして国の主の一人と駆け引きをするのは、想像以上に精神が疲弊するものだった。
そして、この件に関してヴィレクセストの手助けは期待できない。勿論、アルマニアに足りていない交渉材料の補填はしてくれるだろうが、交渉の方向性や方法などは全て、アルマニア自身が決定して遂行しなければならないのだ。
覚悟していたよりもずっと重苦しい重圧が全身にのしかかっているようで、アルマニアはその息苦しさを振り払うように、小さく息を吐いた。
「それでは、まずはアルマニア嬢の方からお話いただいてもよろしいでしょうか」
「……私から?」
「ええ。他国の人間である貴女が、どんな目的でここに来て、何をしようとしているのか。それが判らなくては、こちらも出せる情報が限られてしまいますので」
その言葉に、アルマニアは数度瞬きをしてから、すっと表情を変えた。
ある程度の親しみやすさを演出していた彼女の顔が、冷徹さすら思わせるような無機質に近いものになり、そしてアルマニアは、自分より高い位置にあるノイゼの顔を
「見定めるのは貴方ではないわ、私よ」
はっきりと発されたその言葉に、ノイゼの微笑みが僅かに揺らぐ。それを認めたアルマニアは、殊更ゆったりとした所作で嫣然と微笑んだ。
「勘違いをしているみたいだから、正してあげましょう。私は、貴方たちを頼ってきたのではないの。貴方たちが私に相応しいかどうかを、見定めにきてあげたのよ」
そう言って、アルマニアはノイゼに向かって一歩踏み出した。
「判ったなら、今貴方のすべきことをなさい」
命令にも等しい彼女の言葉に、ここまで黙って二人の会話を聞いていたレジスタンスのメンバーたちが、一斉に声を上げた。
「てめぇ! 黙って聞いてりゃあノイゼ様に無礼な口を聞きやがって!」
「いくら元公女だろうと、今はただの浮民でしかない身で、よくもまあそんなことが言えたもんだな!」
口汚い罵りが一斉にアルマニアに飛び掛かったが、彼女は怯むことなく声の方へと振り返ると、口々に叫んでいる人々を睨みつけた。たかだか十六の少女のそれだというのに、彼女の目にはこの上ないほどの圧が宿っており、そのあまりの色に、レジスタンスのメンバーたちが一瞬だが怯む。だがすぐに威勢を取り戻した彼らが再び口を開いたところで、ノイゼの声がそれを遮った。
「お止めなさい」
静かな声が部屋に響き、辺りがしんと静まり返る。
「失礼を致しました、アルマニア嬢」
そう言って軽く頭を下げてから、ノイゼは改めてアルマニアを見た。ノイゼを見返すアルマニアの緑の双眸に、迷いや不安は一切ない。そこに映るのは、何か確かなものに裏打ちされた自信と自負だ。そんな強い光を讃えた瞳が、ノイゼを真っ直ぐに見つめている。
少しの間二人はそうして見つめ合っていたが、先に目を伏せて視線の交わりを断ち切ったのは、ノイゼの方だった。
「判りました。私たちの目的をお話しましょう。手段については、実はまだ明確には定まっていないので、ふんわりとしたお話になってしまうと思いますが、構いませんか?」
ノイゼの言葉に周囲がざわついたが、彼の決定に意見をする者はいなかった。
「ええ、結構よ」
「それでは、どうぞこちらへ。このまま立ち話をするのもなんですからね」
そう言ってノイゼが勧めてきたのは、少し奥に設置してある対面式のソファだった。大人しくその提案を飲んだアルマニアが、ノイゼと共に席につく。同じくアルマニアの隣を勧められたヴィレクセストは、今の自分は臣下だからと断り、アルマニアが座るソファの後ろに立って控えた。
「さて、面倒な前置きはなしに、結論から申し上げましょう。私たちレジスタンスは、ザクスハウル国を蝕んでいる八賢人の暴走を止めることを目的に活動をしています。現在行っているのは、もっぱらメンバー集めといったところでしょうか。私たちが今保持している戦力では、八賢人という脅威に立ち向かうにはあまりに心許ないのでね」
そこまでは、まさにアルマニアの想定した通りである。
「では、どうやってこの目的を達成するのか。……正直に申し上げると、これがとても難しい。ご存知の通り、私は八賢人の一人ですが、私一人で残りの八賢人を相手取ることは不可能です。賢人は、得意分野こそ違えど、それぞれの力自体はほとんど互角ですからね。そうなると、賢人の数で圧倒的に劣っている私たちに勝ち目はありません」
「……けれど、賢人というのはこの国でも規格外に強い魔法を扱う存在でしょう? 一介の魔法師が束になったところで、賢人一人にすら及ばないのではなくて? それに、賢人の側には魔法師団がいるはず。いくら時間をかけてレジスタンスのメンバーを集めたところで、ここまでの戦力差を覆せるとは思えないのだけれど」
アルマニアの指摘に、ノイゼは頷いた。
「ええ、その通りです。ですから、私は二つの手段を考えました。一つは、八賢人を最低でもあと三人、こちら側に引き入れるという方法。もう一つは、貴女の故郷であるシェルモニカ帝国と手を組み、聖獣の力を借りるという方法です」
その回答に、アルマニアは僅かに眉根を寄せた。
「……残りの八賢人の中に、現状を憂いている者がいると考えているの?」
「いいえ、それはまだ判りません。ですが、私のような者がいる可能性がないとは言い切れないでしょう」
ノイゼの言葉を受け、アルマニアは今度こそ確信する。彼の言う手段は、手段と呼ぶのもおこがましいようなものだ。
事情は判らないが、ノイゼは八賢人の行いに賛同できず、一人離脱してレジスタンスを発足したものと考えられる。もしも他の八賢人の中にノイゼのように考える者がいるのであれば、この段階で味方につけたはずだ。だが、ノイゼの言動や状況から察するに、レジスタンスに属している八賢人は一人だけ。それはつまり、残りの八賢人を味方にできる可能性が著しく低いことを示している。
勿論、ノイゼがアルマニアに嘘をついている可能性はあるが、仮にそうだったとしても、八賢人の半数以上を味方に引き込めているということは有り得ないだろう。もしそうであれば、レジスタンスがここまで何の行動も起こしていないなどということはないはずだ。
だから、ノイゼの言う八賢人を味方につけるという方法は、端から成功しないことが決まっているようなものである。
ということは、恐らく彼にとっての本命は、シェルモニカ帝国と手を組むという話の方だろう。確かに、そちらの方がよほど現実的だとアルマニアも思う。
だが、それもまた良策とは言い難い。
帝国は既にザクスハウル国による被害を受けていて、そのせいでザクスハウル全体に対して良い印象は持っていない。そうでなくても、元々三国間の平和は常に危うい均衡によって保たれているような有様なのだから、好意的な対応をしてくれるわけがないのだ。
いくらノイゼが自分の立場と他の八賢人との立場を明確にし、帝国を襲撃した件については自分の本意ではないのだと主張したところで、帝国がそれを素直に受け止めて友好的な協力をしてくれるとは思えなかった。ましてや、今の帝国を束ねているのは、病に伏せっている皇帝ではなくあの皇太子なのだ。
(あの大馬鹿者のことだから、周囲の家臣たちの口車に乗せられて、これを機にザクスハウルの転覆を狙うに違いない。表面上は協力をすると言っておきながら、八賢人を倒したあとはノイゼとレジスタンスを片づけ、あたかも帝国がザクスハウル国を救ったのだという顔をして国を乗っ取る、というのが考えられるシナリオかしら)
なんにせよ、やはりノイゼの言う二つの手段は、共にただの苦しまぎれの策にしか思えない。果たして、賢人ともあろうものが、この程度のことも考えられずにレジスタンスを率いているのか、と思ったアルマニアは、しかし自分を見つめるノイゼの目を見て、その考えが誤りであることを悟る。
(……彼もまた、判っているのね)
揺るぎない決意を宿すその紫の瞳の裏側、奥の奥にくすぶるようにして見えるのは、己の不甲斐なさに対する怒りだ。そして、その色を見てしまったからこそ、アルマニアは確信する。
本当に、こんな愚策としか言えないような手段くらいしか、選択肢がないのだ。
(賢人が相手である以上、一般の魔法師などいくらいたところで焼け石に水にしかならないというのに、それでもなおレジスタンスのメンバーを募っているのは、せめて人数だけでも稼いて、少しでもシェルモニカ帝国にプレッシャーをかけるため……。そんなものはただの悪あがきにしかならないけれど、やらないよりは良いと、……いいえ、違うわね。もうそれくらいしか、できることがないのだわ)
全てを知り、それでも前を見据えて進まなければならない彼の、その心中の憂いはいかほどか。
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