令嬢と作戦会議 3
「よお、公爵令嬢。そろそろある程度の考えが纏まった頃かと思ってな。俺に訊きたいこととかも出てきただろうし、この辺りで一回作戦会議といくか?」
「……貴方、もしかしてどこかから私のことを監視でもしているの?」
「は? なんでそんな発想になるんだ?」
「見計らったかのようなタイミングで来るのだもの。疑いたくもなるわ」
言葉と共に翠緑の瞳にじとっと睨まれたヴィレクセストが、慌てて首を横に振る。
「いやいやいや、誤解だって! いくら俺でも、
「あら、これまでずっと私のことを覗き見していたのではなくて?」
「いやまあそれはそうなんだが、今は一つ屋根の下なんだから、いつでもお前に会えるわけで、わざわざ覗き見する必要性もないというか。そもそも俺はあんたのことなら割と何でも知ってるから、あんたがどの程度まで情報の処理を終えているかくらい見当がつくというか」
必死に弁明をするヴィレクセストに、しかしアルマニアは顔を顰めた。
「……それはそれで、言い方が気持ち悪いわね」
「え、酷くねぇ?」
あまりの言い様に、ヴィレクセストはそれなりにショックを受けたような表情を浮かべたが、アルマニアは敢えてそれには言及せず、机の上にある資料の山に視線をやった。
「まあ良いわ。ちょうど貴方を呼びに行こうと思っていたのは事実だから」
「お、じゃあ会議のお供に、昼下がりのティータイムなんてどうだ?」
「……どうだも何も、そのつもりでそれを用意したんでしょうに」
ヴィレクセストの傍らにあるワゴンを見てそう言えば、彼はにっこりと笑って頷いた。
「頑張ったご褒美に甘いものってのも良いだろ?」
ご褒美、という言葉に、アルマニアは内心でぐぅと唸った。
なんだか上から目線の物言いのようで、腹立たしいことこの上ないのだが、事実として、ヴィレクセストが用意するそれらは自分にとってご褒美と言うにふさわしい品だとアルマニアは思っている。
そう、厄介なことにこの男は、紅茶を淹れるのが驚くほど上手ければ、菓子作りを含む料理の腕も一級品どころか宮廷専属シェフ並みなのだ。
「…………机の上が、書類まみれなのだけれど」
観念したアルマニアが、それでもせめてもの嫌がらせにとそう言えば、恐らくはそれまでをも理解していたのだろうヴィレクセストが、笑って指をぱちんと鳴らした。
「風霊」
彼がひとことそう呼べば、たちまち吹いた風が、机の上に積み上がっていた書類を全て攫って部屋の外へと運び、更には布巾で机を拭いた上で、テーブルクロスのセッティングまで行った。
(……何度見ても、慣れない光景だわ)
アルマニアが知っている魔法とはまるで異なるそれに、彼女はちらりとヴィレクセストを窺った。
彼曰く、これは異世界の中でも特別な世界のひとつに存在する魔法で、それ故にどんな世界に行っても使用できるから使い勝手が良いらしい。そういう魔法は他にも複数あるが、自分が一番気に入っているのがこれだからこれを好んで使っているのだ、と彼は言っていた。
正直その意味の半分も理解できなかったアルマニアだったが、取り敢えずこの魔法を使えるのはこの世界にヴィレクセストしかいない、というところだけ理解したので、その他は諦めた。
(そもそも彼の言う精霊という概念自体、この世界では空想上のものだし、考えたってどうせ理解できない種類のものだわ)
ヴィレクセストの話には、理解できるものと理解できないものの二種類がある。そしてヴィレクセストは、理解できるものに関してはアルマニアがきちんと理解するまで丁寧に説明してくれるが、理解できないものに関しては、大雑把な概要の話以外はしようともしない。比較的早い段階でそれに気づいたアルマニアは、後者についてはもう考えないことにしていた。
「さ、お待ちかねのティータイムだぜ」
「会議の間違いでしょう」
憎まれ口を叩くも、アルマニアの顔には隠し切れないティータイムへの期待が滲んでいて、勿論それに気づいているヴィレクセストは、笑いを堪えながら紅茶とお菓子をテーブルに運んだ。
どちらかというと粗野な言動に似合わぬような繊細で洗練された所作で用意されたのは、香り高い紅茶と、甘いチーズクリームが添えられたシフォンケーキだった。
アルマニア好みにしっとりと焼き上げられたそれにクリームをつけて口に運べば、細やかなスポンジ生地が、優しい弾力をもって舌の上でふわふわと踊る。その食感と、甘さ控えめのケーキと甘いクリームが織りなす絶妙な味を楽しみつつ、アルマニアはヴィレクセストを見た。
「……貴方って、腹立たしいくらいに何でもできるのね」
「んー、何でもってことはねぇんだけど、……まあ、
「……料理やお菓子作りもその一環ということ? 王の補佐とはあまり関係ない気がするのだけれど」
それとも自分が気づいていないだけで、何か王と密接に関わるものがあるのだろうか、と首を傾げた彼女に、ヴィレクセストは笑って首を横に振った。
「いや、その辺はただの趣味だな。ほら、あんた、美味しいもの食べるの好きだろ?」
言われ、なんだただの趣味なのか、とアルマニアが思った数瞬後、彼女は彼の言葉の意味を正確に理解した。
つまりこの男は、アルマニアのためにこれほどまでに料理の腕を磨いたというのだ。
それに思い至ったアルマニアは、不覚にも頬に僅かな熱が集まるのを感じた。なんだかそれがどうしようもなく悔しいような気がして、思わずヴィレクセストを軽く睨めば、彼は困惑したような顔で、ええ、なんで……、と呟いた。
それを受けて、気持ちを切り替えるように咳ばらいをしてから、アルマニアは紅茶を一口飲んだ。
「まあそんなことは良いわ。それよりも、あの資料に関する話をしましょう」
その言葉にヴィレクセストが頷くのを確認してから、アルマニアは先程整理した内容を頭の中でなぞりながら、口を開いた。
「そうね、まずひとつ。一番軽い問題から質問させて貰うわ。シェルモニカ帝国における、将来的な流行病のことなのだけれど、……資料には、魔石の採掘が原因であると予想される、とあったわ。この予想って、どの程度正しいものと思っていいのかしら」
「そうだなぁ。現状言えるのは、資料にも書いた通り、恐らく肺由来だろう咳の症状が出てる人間全員が魔石鉱山地帯に住んでる連中で、その中でも症状が顕著な奴は何かしらの形で魔石採掘事業に関わっている、って事実くらいかね。で、その事実を鑑みるに、まあ十中八九、魔石を掘ることなり魔石自体なりが原因じゃねぇのかなって感じだ」
「……そう。貴方、それ以上のことは知らないのね? たとえば、魔石採掘事業をやめることなく病を防ぐ方法、とか」
帝国における魔石とは、生活や経済、産業などの基盤となる重要なエネルギー源だ。病の原因になりそうだからと採掘をやめれば、人々の生活が立ち行かなくなってしまう。少なくとも、病の原因であることが確実で、かつその病が重度のものでもない限りは、採掘を一切やめるという話にはできないだろう。
だからこそ、採掘をやめずに病を防ぐ方法はないのかと尋ねたアルマニアだったが、その問いにヴィレクセストは目を細めた。
「あのな、それを俺が知っていて、かつあんたに教えても良いと思ったのなら、最初からあの資料に書いてる。……良いか、公爵令嬢。俺はあんたの力になると決めているが、なんでもかんでも答えを教えてやる気はねぇんだよ。こと国の統治に関して俺があんたにしてやるのは、その時点であんたに足りない家臣の代わりくらいだ。相応しい人間にその地位を与えるまでは、俺が侍従も宰相も文官も騎士団も近衛隊も全部兼ねてやる。が、それだけだ」
やや厳しい口調でそう言ったヴィレクセストに、アルマニアはぱちぱちと瞬きをしたあとで、そう、と言った。
「なるほど、それはとても判りやすいわね。というより、貴方が始めからそう言っていれば、私も無駄に考えたりする必要がなかったのだわ。ねぇヴィレクセスト、これは貴方の落ち度よ。謝罪なさい」
「へ?」
「家臣の代わりしか、しないのでしょう? それなら、貴方が集めてくれた情報の山は、きっと“この世界の諜報員が一定の期間をかけて集められる全ての情報”だわ。そしてそれが判っていたなら、私もあんな愚かな質問はしなかった。……違う?」
首を傾げたアルマニアに、ヴィレクセストはぽかんと口を開けたあとで、こくりと頷いて嬉しそうに笑った。
「ああ、その通りだよ公爵令嬢。そんでもって、確かにこれは俺が悪かったな。あんたの思考の邪魔をしないためにも、あらかじめ俺が護衛兼足りない家臣の代わりを担う要員だってことを言っとくべきだった。ごめん」
思っていたよりも素直に謝罪の言葉を口にした彼に、アルマニアは柔らかく微笑んだ。
「良いのよ。私の方こそ、貴方がいなければ何もできない身で、少し強く言い過ぎたわ。ごめんなさいね。……それから、ありがとう。家臣の代わりを全て担うなんて芸当、貴方くらいにしかできないわ。貴方がそれをしてくれるから、私はこうして先を目指せるの」
優しさと心からの感謝を滲ませる彼女の声と表情に、ヴィレクセストは思わず舌を巻いてまじまじと彼女を見つめた。
「……なんと言うか、あんたは根っからの人の上に立つ人間だなぁ」
「あら、そう見込んだからこそ、私を選んだのでしょう?」
「いや、それ半分、惚れたの半分なんだけど。……うーん、しかし自覚ありときたか。こりゃ末恐ろしいな」
そう言って笑ったヴィレクセストに、アルマニアも笑みを返す。今度のそれは、年相応に思える素直な笑顔だった。
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