プロローグ 4
淡々と放たれるアルマニアの言葉に、今度は小夜が声を上げた。
「違うよアリィ! そんなの間違ってる! あの事件でそれをしたら、あの街の人々は皆死んでしまっていたもの! ひとつも諦めなかったからこそ、全員を助けることができたんだよ!」
小夜の強い声に、しかしアルマニアは心底からの侮蔑を以って彼女を見た。
「サヨ、それはただの結果論よ。たまたまうまくいったから、たまたま全員救えただけ。たまたまうまくいかなかったら、街ひとつどころでは済まない損害が出ていたわ」
隠そうとしても隠し切れなかった僅かな苛立ちを含んだその声に、小夜が小さく肩を震わせて押し黙る。別に、内容に思い当たる節があっただとか、そういう訳ではない。ただ単に、アルマニアのあまりに冷たい声に怯えてしまっただけだ。
そんな小夜の肩を優しく抱き寄せた皇太子が、汚物でも見るような目でアルマニアを見やって吐き捨てた。
「お前には心底から失望したぞ、冷徹女。お前のそれはな、等しく価値ある命に値段をつけろと言っているようなものだ。民を守り民を尊ぶべき皇族に、そのような大罪を犯せと言うのか、愚か者が」
疑いようもなくはっきりと投げつけられたその言葉に、アルマニアの全身が燃え上がるように熱くなる。そして、とうとう耐えられなくなってしまった彼女は、皇太子をギッと睨みつけて叫んだ。
「ええ、そうです! 値段など到底つけられぬ尊き命のひとつひとつに、それでも値段をつけなさいと申し上げているのです!」
公爵令嬢としての矜持も、令嬢に相応しい立ち居振る舞いも、何もかもをかなぐり捨てて、アルマニアは怒鳴った。怒りと失望と嫌悪と、そしてそれでも無様に残る僅かな期待とがあとからあとから溢れて、アルマニアの口から吐き出されていく。
「選ばなければならないときに迅速に選べるように、捨てなければならないときに僅かな迷いもなく捨てられるように! 己を含めたすべての命の価値を決め、天秤が傾く方を選び取る、それこそが国家を導く皇族の役目です! 英雄ではあれない私たちは、そうすることでしか国を守れない! 選べぬものを選ぶ責を担う覚悟すらなく、どうして国を率いることができましょうか!」
皇太子も小夜も、驚いた顔をしてアルマニアを見ている。その呆けた顔にあるのは、いつでも冷静だったアルマニアが初めて見せる感情的な姿に対する戸惑い一色だ。アルマニアの言葉に対する気づきの素振りなど、欠片すらもない。そのことがまた、アルマニアの怒りを増幅させる。
「サヨが全てを救いたいとだだを捏ねるのはまだ判ります! 彼女は貴族としての教養を身に着けたこともなければ、何を背負っている訳でもない、ただの一般人ですもの! でも、殿下はそうではないでしょう! 幼い頃より第一位の皇位継承者として学び、父君である皇帝陛下の在り方を見てきて、それでもなおそんな我が儘を仰るのでしたら……!」
そこで言葉を切ったアルマニアは、僅かな躊躇いののちに、それを振り払うように皇太子を見据えて叫んだ。
「っ、そんな夢追い人に務まる皇帝など存在しません! 皇位継承権の放棄を一考されてはいかが!?」
喉の奥まで出かかっては無理矢理に飲み込み続けていた言葉を、アルマニアが吐き出す。それを聞いた皇太子は、呆気に取られたようにぽかんとした表情を浮かべたあとで、見る見るうちに顔に血を上らせて叫んだ。
「せめてもの情けとして、身支度を整えるための数日くらいは与えてやろうと思っていたが、もういい! 衛兵! 今すぐこの無礼な女を捕らえて国外まで追い出せ!」
怒りも露わに言った皇太子に、小夜が慌てて制止の言葉をかけ、駆け付けた衛兵も戸惑ったように皇太子とアルマニアを交互に見る。しかし、それでも皇太子は発言を撤回しようとはせず、そんな彼に対して、アルマニアは咎めるように声を上げた。
「殿下! いい加減になさってください!」
「いい加減にするのはお前だ! 先の発言は皇族侮辱罪だぞ! そしてそれよりも何よりも、民を率いるだのなんだのと偉そうな口を叩いておきながら、その場の感情で僕に暴言を吐いて己の立場を危うくしているお前こそ、公爵家に生まれた者としての務めを放棄しているのではないか!?」
言われ、アルマニアは開きかけていた口を閉じて押し黙った。皇太子の言葉の中に正しさを見出してしまった気がしたからだ。
本当に民を慮り、この国の行く末を憂うのであれば、アルマニアはあそこで激昂してはいけなかったのではないか。自分を追い出そうとする皇太子を宥め、なんとしてでも公爵令嬢の立場を守らなくてはならなかったのではないか。必要ならば心にもない謝罪をしてでも、政に関われる地位にしがみつかなければならなかったのではないか。
そんな考えがぐるぐると脳裏を巡り、しかしアルマニアは、大きく息を吐いてそれを否定した。
皇太子は間違っているし、小夜の甘い考えも正しくはない。こんな夢見がちな二人に率いられる国は、きっといつか足元を掬われると、自信を持ってそう断言できる。ならば、誰かが言わなくてはいけないのだ。聖獣の登場により表立って小夜を批判する声は消え、アルマニアの父であるロワンフレメ公爵すらも、今ではアルマニアよりも小夜を皇后にと考え始めている。そんな中、それでも面と向かって誤りを誤りであると糾弾できるのは、もうアルマニアしかいなかった。
だから、アルマニアは己の務めを果たしただけだ。もっと上手い立ち回りの仕方はあったのかもしれないが、十六歳の小娘であるアルマニアには、これが精いっぱいだった。皇太子が本気で自分の身分を奪って国外へ追放しようとしている今、強い言葉を使って性急に過ちを指摘するしかなかった。
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