落花幻想奇譚 ~薬師の男と妖鳥の少年が旅をしながら不思議なものたちに出逢う話~

倉橋玲

少年と薬師 1

 鬱蒼と生い茂る森の中、ひとりの少年が、ほとほと困った顔をして辺りを見回していた。きょろきょろと忙しなく動く視線は何かを探しているようだが、周辺に彼以外の人は見当たらない。

 何度かうろうろとこの辺りを行ったり来たりして彷徨ったあと、がっくりと肩を落とした彼は小さく呟いた。

 

「……迷子に、なってしまいました……」





 絶賛迷子中の少年の名前は、椿という。鴉の濡れ羽のような艶やかな黒髪に、鮮やかな赤い瞳をした珍しい色合いの少年だ。年の頃は十五に満たないくらいだろうか。かわいらしい顔立ちに加え、椿の簪で髪を結い上げているせいで、少女のような可憐さを窺わせる子供だった。もしかすると、ほっそりとした身体つきも彼の性別を見失わせる要因のひとつかもしれない。

 そんな子供がこんな森の奥深くで何故一人なのかというと、話は数刻前に遡る。


 椿は、薬師というのは名ばかりの万屋のような男の付き人である。この薬師、人助けが趣味だと言う大層物好きな男なのだが、今回も例によってその人助けの一貫で、この森に来たのだった。

 曰く、ここ十年以上この森には子供を攫って食べる凶悪な鬼が住み着いており、困っているということらしい。

『森の奥に、子供が好物の恐ろしい鬼がおってねぇ。だから子供をあの森へは入れないようにしているんだけんども、どうしたことか、ひと月にいっぺんくらい、いつの間にかあの森へ行ってしまう子がおるんよねぇ。何かに惹かれているんかねぇ。詳しいことは判らんけど、そんなこんなで、この村には子供が少ないんよ。産んでも産んでも、鬼が食べてしまうで。だけんど、このあたりに他に村はないから、外に出て行くっちゅうのもなかなか勇気のいるこって、私らは子供を隠して怯える毎日さね。今夜もね、ついさっき向かいんとこの五郎坊がおらんくなったって騒いでおったところじゃ。かわいそうに、きっとあの子も鬼に食われてしまっただよ。だからあんたらも、あの森には入っちゃいかんよ。特にあんた、その子と一緒は駄目だ。最初は赤子ばかりが狙われていたんだけども、なんだが徐々に見境がなくなってねぇ。最近じゃあ、その子くらいの年齢の子供もいなくなることが増えちまった。五郎坊だって、ちょうどその子くらいの歳だった。だから、気をつけなきゃあいかんよ。その子も鬼に食われっちまうからねぇ』

 森近くにある村に立ち寄ったときに老婆から聞いた話を思い出し、椿は小さく身震いをした。鬼の話も怖かったが、子供がいなくなることにすっかり慣れてしまっているような老婆の口ぶりが怖かったのだ。きっと、防ごうにも防げない事態に疲弊し、いつしか諦めてしまったのだろう。

 椿はただその話に怯えただけだったが、一緒にいた薬師はそうではなかった。老婆の話に食いつき、これまでにいなくなった子供の年齢や、性別、性格等を聞き出した薬師は、ふむと頷いて老婆に言ったのだ。それではその五郎くんという少年を探しに行ってきます、と。

 その言葉に老婆は大層驚いていたが、椿はまあこうなるだろうと思っていた。なにせ薬師の趣味は人助けだ。こんな話を聞いて、はいそうですかで終わらせるはずがない。薬師なら、子供を探しに行くどころか、可能ならばそのまま鬼退治までしそうだとすら思った。

 そんな経緯で、薬師は村人の制止も聞かず、椿を連れて夜の森に足を踏み入れたのである。椿を連れて来たのは、あの村に一人にする方が心配なのと、椿を連れていた方が鬼とやらに遭遇できる可能性が上がるだろうから、だそうだ。とまあ、ここまではいつもの話である。大体いつも、立ち寄った先で他人が困ってるのを助ける、というのが決まりきった流れだ。唯一普段と違うのは、椿がその薬師と見事にはぐれてしまったことだろうか。

 森に入って、最初の内は確かに一緒だった。万が一はぐれては困るからと、薬師の手をしっかり握って歩いていたはずだ。それがどうしてか、突然に手に触れていた温もりが消え、気づいたら隣にいたはずの薬師の姿がなかった。

 明らかに不自然な事態に、しかし椿が取り乱したのは一瞬だった。なにせ得体のしれない鬼の住まう森だ。何が起こっても不思議ではない。人よりもずっとこういう事態に慣れている椿は、冷静に自分の周囲の木々を見た。こんなこともあろうかと、木の幹には道標の傷をつけてきたのだ。

 木に刻まれた傷を辿れば、森の入り口にまで戻れる筈である。もしも薬師とはぐれてしまったら、お互いに道標を辿ってそこまで戻って合流する、と決めていた。だが、

(……やっぱり、おかしい……)

 行けども行けども、森の入り口に辿り着かない。それどころか、どんどん森の奥まで突き進んでしまっているような気さえした。

 ならば木の上から全体を見回せないものかと試みた椿だったが、今度は上に行けば行くほど木々が伸びるような不思議な感覚がして、一向に周囲を見渡せるようにはならなかったのだ。

 ここまでくれば、椿も確信せざるを得なかった。何か不思議な力が、椿をこの森に縛り付けているのだ。

 子喰らいの鬼の話を思い出した椿は少しだけ泣きそうな顔をしてしまったが、すぐにふるふると首を振って、ぎゅっと拳を握る。

 もしこれが鬼の領域に入ってしまったことによる影響なのだとしたら、ここには五郎という少年も迷い込んでいるはずだ。元々その彼を連れ戻すことが今回の目的なのだから、ある意味予定通りである。

 薬師が傍にいないのがとても心細いが、今は自分のできることをしようと椿は思った。

(多分、このまま歩き続ければ鬼のところまで行けるはずだ。なら、その途中で五郎くんに会えるかもしれない)

 そう思って、どれだけ歩いただろうか。相変わらず変化があるんだかないんだか判らない景色が続いていたが、椿はふと何かがあるのを見つけ、目を凝らした。あまり夜目が効かない性質なので確証は持てなかったが、どうやら子供が蹲っているようだ。

 それを認めるや否や、椿は子供の元へと走り出した。

「五郎くんですか!?」

 そう叫べば、膝を抱えていた子供が顔を上げる。涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔をしてはいたが、太い眉に、夜目にも日焼け跡が判る健康そうな肌は、村で聞いていた少年の特徴と合致していた。

「五郎くん、ですね?」

 確認のためにもう一度そう問えば、鼻を啜った少年が頷く。ぱっと見た限りでは、特に目立った怪我などはなさそうだ。そのことに安堵した椿は、ほっと息をついた。

「無事で良かった。あ、僕は椿と言います。この近くの村で君がいなくなったという話を聞いて、探しに来たんです」

 椿の言葉に、五郎が僅かに表情を明るくした。

「んじゃ、ねえちゃん、帰り道わかんのか……!」

「あ、え、えっと、……まず僕は男なので、ねえちゃんではないです。あと、帰り道については……」

 困った顔をしてしまった椿に、五郎が再び顔を歪める。また泣きだしてしまいそうなその表情を見て、椿は慌てて五郎の頭を撫でた。

「だ、大丈夫です! 僕は全然役立たずなんですが、きっと朧さんがなんとかしてくださいますから……!」

「……おぼろ……?」

 誰だそれはと問いたげな視線に、椿が微笑んだ。

「朧さんです。僕と一緒に旅をしている薬師さんで、とっても凄いお方なのですよ」

 だから大丈夫です、と言った椿だったが、五郎の方はその言葉が信用できないようだった。だが、朧とやらがどうやら大人で、椿と一緒にこの森に来たらしい、ということを知った五郎は、少なくとも先程までよりは元気が出たらしい。

 ある程度会話ができる状態にまで五郎の気持ちが落ち着いたことを確認した椿は、五郎の隣に座って彼を見た。

「五郎くんは、どうしてここに?」

「……わかんね。なんか、気づいたらここに居た」

「村からここまで、歩いて来たわけじゃないんですか?」

「……おら、わかんね」

 本当に何も判らないらしい五郎に、椿は内心で困ってしまった。

 歩いてここまで来させられたのか、はたまた突然この場所に飛ばされてしまったのか。それくらいの判断はつけたいところだったのだが。

 そう思った椿は、ふと思いついて五郎の足元に目をやった。よく使いこまれた草履だ。だが、草履に付着している土は思っていた以上に少ない。

 そこで椿は、自分の草履にも目をやった。この森は地面が割と湿っているからか、椿の草履にはかなりの泥がついていて、随分と汚れてしまっていた。

(……突然この場所に飛ばされた、が正解かな……)

 だとすれば非常に良くない、と椿は思った。

 子供を操って呼び寄せただけなら、椿でもまだ対処のしようがあったかもしれない。だが、物理的な距離を無視して対象をこの場に転送するほどの相手となると、椿の手には余る。

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