12月短編集

真槻梓

闇鍋

十号の鍋を背負い、指定されたアパートの前に着く。時刻は夜の八時。太陽は数時間前に床に就き、視界に光は少ない。街も小さな光源を点々と湛えているのみで、家族団らんの笑い声さえ耳に入ってこなかった。貧相な扉をノックすると、内側からやつれた顔のサラリーマンが出てくる。

「合言葉は」

顔中に溢れる疲労感とは裏腹の明るい声に拍子抜けする。しかし、私の知っている彼女の姿だった。思わず口角が上がる。「風」と言うと、彼女も同じように歯を見せながら、「谷」と言った。

「入りな、寒いだろ」

狭く短い廊下を、背中に担いだ鍋が壁に当たることのないように注意を払いながら移動する。リビングではすでに酒盛りが始まっているようだった。リビングのドアを開けると、外の環境からは考えられないほどの熱気が顔面にあたってきて、思わず面食らってしまう。

「もう電気代もクソもないからさ、こたつもストーブもヒーターも、全部付けてやったわ」

軽快に笑う彼女。合わせるようにこたつに入った二人組が、やいのやいのと囃し立てる。

「お使いご苦労様です!」

「助かったわ」

周りに投げ捨ててある空き缶を避けながら、こたつの天井に置いてあるカセットコンロに鍋を置く。ごとんという重い音がして、一瞬の静寂の後に感嘆の声が各人から漏れた。

「これで鍋ができるわけですね」

「具材いれよう、早く早く!」

この会合が開催される運びになったのは、インターネットでの軽微な交流が、私たち四人の間にあったためである。元々は、自殺志願者を集めて、より効率的に、確実に自殺しようという理由で集まった面々であった。実際に顔を突き合わせることはなかったものの、私たちの間に共有されている独特な価値観は即座に共鳴し、リアルでも合ってみようということになったのである。

初対面は、本当に酷いものであったことを記憶している。まずもって、皆揃ったように目が死んでいる。付け加えて死生観が常人のものとはかけ離れており、死を半ば肯定的に捉えている。さらにテンションの乱高下が異常で、ささいなことで笑い転げたかと思えば、すぐに失調して塞ぎこむ。日常生活を営むにあたって障害となるべきこれらの要素が、私たちには共通項として親密さを生む原因になったのであるから、人生というものはわからない。

そうして集まった私たち四人組は、記念すべき二回目の会合にて、主眼である「どのように死ぬか」という話をするに至った。失踪、首吊り、飛び降り、焼身、様々な方法が卓の上に並べられたが、議論の方向としては練炭自殺ということで進んでいたように記憶している。しかしそこで、四人組の中の最年少、高校生のミハルが発した言によって、一つの結論へと集約したのであった。

先ほど家に招いてくれた女性、ルリが「自殺した後の友人との折り合い」という話をした際に、ミハルが「そういえば、友達と鍋パとかしたことなかったな」とこぼしたのである。即座に反応した最年長のタケルが「それなら鍋に致死量の薬を入れればいいのでは」などと陰湿なバラエティー番組の企画もどきの提案をしたものだから、面白好きのルリが食いつき、あれよあれよという間に「じゃんけんで負けた奴が自腹で鍋を購入する」という流れになった。

こういう時に運がないのが私の辛いところで、見事に負けた私に、ミハルは「土鍋がいいです」と言い出し、ルリは「もちろん車なんか使わないよな?」とふっかけ、タケルが「道中で死ぬなよ」などという冗談なのか本気なのかわからないような事を言うものだから、私も出来心で十号の鍋を買ってしまう。この大きさに驚いてくれれば浮かばれるのにと考えたが、その点に対する反応はなかった。

ともあれ、準備が整ったわけである。ルリがカセットコンロにガスボンベをはめ込み、タケルが慣れた手つきで鍋の汁を作っている。ミハルは袋から大量の錠剤を取り出して、一つ一つ小皿に開けていた。手持ち無沙汰になった私はこたつに入って暖を取っていた。

ルリは随分とほこりを被ったカセットコンロが上手く扱えないのか、苦戦しており、タケルは気にする必要などないだろうに独り言を言いながら味を調整しているものだから、私の話し相手は自然ミハルになった。

「何の薬を買ってきたの」

私が問うた。ミハルは手元で錠剤を取り出しながら答える。

「頭痛薬だよ、ハルさんは?」

「私は胃腸薬を持ってきたよ」

言うなり、ルリが吹き出した。

「いや胃腸薬って……それ意味あんのかよ」

「ないことはないでしょう、薬なんだから」

同じように笑っていたミハルは悪戯顔になり、口をとがらせるようにルリに言う。

「それならルリさんは何持ってきたわけ」

「聞いて驚くなよ……」

ルリは鼻唄を歌いながらカセットコンロに無理やりガスボンベをはめ、投げるようにこたつの天井に置くと、足元のレジ袋から赤の線が入った黄色の箱を大量に取り出した。

風邪薬パブロンだ!死ねるぞ!」

リズミカルに黄色の箱をコンロに置いて、粉末タイプなら溶かしやすいと思ってといいながらコンロの火をつける。つんざくような音がして、青い炎が揺らめく。

「タケルさん、こっちはいつでもいいよ」

タケルが汁を湛えた十号の鍋を持ってくる。中が液体だからか、重心がぶれ些か危なっかしい。三人で支えるようにして、やっと鍋が火にかかった。

しばらく、沈黙が流れる。他のみんながなぜ黙りこくってしまったのかは私にはわからないが、少なくとも私は、コンロの五徳に沿って並んでいる炎に魅せられたからである。ちりちりと小さな音を立てながら、自分よりはるかに大きい土鍋の底を焦がす様子に、どうしようもない人生を重ねてしまった。この炎は、いくらでも替えの利く燃料で突き動かされている。そうして温めるためだけに利用され、いつ終わるかもわからない作業に従事することを強制され、誰からも顧みられることなく消えていく。四人ともども考えていることは違うだろうが、やはりきっと同じようなことを感じていたに違いない。

沈黙が数分続いて、思い立ったように突然ルリが立ち上がった。天井の紐を掴んだと思えば、力強くその紐を引く。バン、という音がして、部屋の明かりが消えた。ミハルが拍手をする。

「なんだかパーティーみたいだね」

「鍋パだもんな」

タケルはしみじみと言った体で呟く。ルリはまだ立ち上がったままなのだろうか、上方から声が届く。

「今から!闇鍋を始めます!」

ミハルが待ってましたというような拍手をする。鍋の内容はわかっているが、雰囲気としては闇鍋のそれだった。ミハルに、今までこうして遊べる友人はいなかったのであろうか。いたのだとしたら、場合によってはミハルはこの場にいなかったのかもしれない。そう考えるとこの縁も奇妙な、運命によってお膳立てされたもののように思えてきて、先ほどまで人生に対し少なからぬ嫌味を持っていた自分が軽薄なものに思えてきた。

「一番手タケル、入れます!」

液体にものが入る音がして、熱くなった汁が飛び跳ねてくる。その水滴のいくつかが私の腕やミハル、そしてルリにもあたったようで、小さい悲鳴が上がる。ミハルの方からも同じように音がして、ルリも入れたようだ。私も遅れないように小皿に開けておいた錠剤を流し入れる。ひとしきり笑った後に、部屋の明るさが戻ってきた。

明るさに慣れ切るまでに時間がかかった。目を凝らして、出来上がった鍋を見てみると、薬ばかりを入れたはずの鍋に、色とりどりの野菜が敷き詰められていて、混乱と感嘆を味わう。横を見ると、したり顔のタケルがいた。

「鍋っていえば野菜だからな」

「気が利くじゃん」

ルリが上機嫌な返事をしながら、どこから取り出したのか、割りばしと紙皿を配りだす。ミハルは感無量といった面持ちで、野菜を取り始めた。

「〆には雑炊もあります」

タケルが話し、それきり私たちは鍋をつつきだした。どうしようもない境遇を、明るいトーンでお互いに話した。自殺という選択を取れること自体が、それ相応に心に余裕があるということを身に沁みて実感した。ここの人間がいなかったら、私はとっくに壊れていただろうということが、私には容易に想像できた。家族とすら出来なかった団らんが、死ぬために集まった人々から得る。想像だにしなかった幸せだった。

「今なら死んでもいい」

音に乗せたつもりもないのに、口から言葉が滑り出た。ミハルは一瞬驚いたような顔をし、そうして満面の笑顔を湛えながら、同意の言葉を返してくれた。理解してくれる人がいるということは、これほどまでに救われることであるということを、私は知らなかった。

鍋底に溶け切れていない錠剤が見え始めて、タケルが台所から炊飯米を持ってくる。しゃもじで掻き出すように流し込み、調味料を手早くくわえて蓋をした。

場が落ち着いて、再び沈黙が訪れた。コンロの火が少しずつ掠れて行っている。ガスボンベが古いものだったのだろうか。薬の影響からか、理解者がいるという安堵からか、それとも部屋の暖かさからか、私たちの瞼は段々と重くなってきた。

「この量じゃ胃洗浄がオチだぞ」

タケルが無理に上げたトーンで話す。ルリが眠たげに笑って、蓋を開けた。ふつふつと煮えている雑炊に食欲がそそられるが、それ以上に眠気が酷かった。ミハルが明らかに寝に行っているを見、ルリがダルがらみをする。そのさなかの出来事だった。玄関の方から咆哮が聞こえてきて、同時に蹴破る強い音が鼓膜を刺激した。流石の状況に眠気も吹き飛び、皆一様にそちらの方を向く。廊下とリビングを繋ぐドアをこじ開けて、男が乱入してきた。

何かを叫んでいるようであったが、上手く聞き取れない。言語を紡ぐことの出来ない、それ相応の理由があるのだろう。手に持った物干しざおを回して、タケルの顔面を強かに打った。男は、続けざまに私に蹴りを食らわせる。朦朧とする感覚の中、幾度かの暴行と、小さい悲鳴を聞いていた。熱くなった重い鍋が、私の腹を強打して、私の意識は宙を舞った。あまりにナンセンスすぎる終わり方に、私ですら呆気にとられた。人生や運命を思って、私は笑い出したい気持にかられたが、その頃には腫れあがった表情筋を動かせるだけの体力がなかった。


「以上が検死結果です」

「お疲れさま」

部下から簡単な報告を受けて、もう一度現場を見る。凄惨なものだった。鍋を囲んでいた男女四人が突然の来客に殺される絵図は、思うに地獄でしかなかっただろう。ただ、抵抗の跡が見られないことは非常に不可解だった。

「容疑者の陳述聞きました?」

部下が話す。このような現場を前にして顔色一つ変えないだけあって、上司に対してもぶっきらぼうな物言いをする男だ。

「『うるさかったから』だろ、楽し気な声が心に来たんだろう」

「気持ちはわかりますけどね」

本当にわかっているのか判然としないが、やはり部下の顔からその真意は汲めない。暴行を加えられた四人組の死因は容疑者の暴行によるものであると半ば断定された。しかし、もし男がこの家に乱入し、暴挙を働かなかったのだとしても、この四人組は確実に死んでいただろう。

「薬鍋ですからねぇ、風流ですね」

「どこが風流だよ」

四人組の身元と、どうしてここに集まったのかの調べは付いている。調べというよりは、彼ら自身でこの世への置手紙を残していたため、早期の判断ができたわけであるが。片や仲間を見つけ、大方幸福を感じ死んでいった四人組と、片や仲間を得ることができず、それに怒りを燃やして人を殺めた輩。他者からの理解が得られなかったという前提状況は変わらないはずなのに、この分かたれた命運の分水嶺を知りたく思った。

隣で部下が鼻で笑うような声を出す。流石に場違いだと睨みつければ、逆に虚を突かれる形になった。

隣で死体を見下げる部下の目が、拘置所にいる容疑者の目の光に重なって思い出された。

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