エピローグ 1

 グランデル王国の国王生誕祭は、その時期柄、年送りと年迎えの儀と併せて行われる。そのため、円卓の国々の中でも最も盛大な生誕祭として有名であった。行く年最終日の昼から来る年初日の昼にかけて開催されるそれは、全ての国民が等しく参加できる、国内最大の祭である。

 祭の最初のイベントは、屋外の闘技場で催される、グランデルが誇る五つの騎士団の模擬試合だ。これがまた国民から絶大な人気を誇るイベントで、自国の騎士の雄姿を拝もうという民は大変多く、毎年高倍率の抽選制となっている。だが、それよりも更に競争倍率が上がるイベントがある。それこそが、影が伸び始めた頃に行われる、国王と各騎士団長との一騎打ちだ。

 本当は貴族ですら抽選に当たらなければ観られないそれを、国王の恋人候補ということになってしまっている少年は、特別に見せて貰えることになった。というか、国王自らが少年に見て貰いたいとだだをこねたらしく、少年の意思とは関係なく席を用意されてしまったと言った方が正しい。

 あまり乗り気ではなかった少年だったが、王に是非と言われ、しかもそんな特別席を用意されてしまったとあれば、断ることもできなかった。

 人混みが苦手な少年のことを考慮して用意されたその席は、まあ悪くはなかった。悪くはなかったのだが、さすがに宰相専用と銘打たれている一室に席を設けられてしまっては、大変心苦しく、それ以上に居心地が悪かった。更に、その場にいるのは自分ひとりではなく、部屋の主であるレクシリアと、その秘書官のグレイも同席していたのだ。尚更居心地が悪い。だが、やはりそれを理由に辞去する訳にもいかず、仕方なく少年は席についたのだった。

 グレイの話によると、宰相専用のこの部屋は、本来模擬試合を観覧するためのものではないらしい。不測の事態が生じたときにすぐさま対応できるようにする、監視用の一室だそうだ。確かに、高い位置にあるこの場所からならば、闘技場全体を見渡すのに都合がいいのだろう。尤も、グレイ曰く、レクシリアは毎年試合の方も大いに楽しんで観覧しているらしいが。

 しかし、そんな話を聞いたところで、このイベントの面白さが判る訳ではない。故に、招かれてしまった以上は仕方がないと、とにかく消極的な気持ちで席に座った少年だったが、ひとたび試合が始まると、その目は闘技場に釘付けになった。

 少年は武術にも剣術にも明るくないが、それでも、王と騎士団長の腕が素晴らしいのだろうことだけは判った。いや、確かに両者ともに優れているのだろうが、特に国王のそれは抜きん出いていた。騎士団長の猛攻を容易くいなし、時々軽く反撃を入れる様は、まるで騎士団長に剣術の指南をしているようにも見える。

 しかし、王はとても楽しそうだった。勿論ここからでは表情など見えはしない。けれど、少年にはなんとなくそう思えたのだ。

 魔法を一切使用しない純粋な剣戟に舞う王は、強く、逞しく、そして何より、まるで炎が煌めいているかのように美しかった。

「綺麗……」

 溜息まじりの声が少年の唇から洩れ、それが聞こえてしまったらしいグレイが一瞬ぎょっとしたような顔をした後、残念なものを見る目で少年を見た。しかし、炎の王の剣技に夢中の彼がそれに気づくことはなかった。

 結局、五人の騎士団長との一騎打ちが全て終わるまでしっかりと見てしまった少年だったが、さすがにその後に開かれる大宴会への参加は固辞した。借り物の衣装を汚してしまうのが怖いという気持ちもあったが、何よりも、大勢の前に出るのが嫌だったのだ。大宴会の会場である王宮庭園は、基本的に王宮関係の人間や貴族しか入れないのだが、今夜ばかりは貴族も平民も関係なく、全ての国民に開かれているらしい。ということは、それこそとんでもない数の人間が集まるはずだ。やはりそんな場所に行きたいとは思えない。

 それに、グレイの話によると、国王に想い人がいることは既に国民に知れ渡っているらしく、そんな中に行けばまず間違いなく色々な人間に囲まれてしまうだろう、とのことだった。そんなことになったら、少年は意識を保っていられる自信がない。そう思って切り出した辞退の言葉は、意外にもすんなりと受け入れられた。どうやら、少年の苦手な事柄に関して、王宮の人々は既に熟知しているようだった。

(もしかしなくても、陛下が皆さんに言ってくれたのかな。きっとそうなんだろうな……)

 あの王は、心の内を見透かすのが得意なようだったし、少年の苦手なものなどとうに知っていたのだろう。お陰で大宴会に出ずに済んだ少年は、グランデル滞在中は好きに使って良いと与えられている部屋に戻っていた。

 侍女が運んでくれた食事を食べ終えて一息ついたところで、ふと窓の外に目をやれば、明るい火が灯された中、沢山の人々が庭園にいるのが見えた。

 遠くてよくは見えないけれど、きっと皆、楽しそうに笑っているのだろう。そして、その中心にいるのはあの綺麗な王なのだ。

(ああ、あの人は、沢山の人から愛されているんだな)

 僕とは大違いだ、と少年は胸の内で呟いた。

 こんなにも多くの人に誕生を祝われるというのは、一体どんなものなのだろうか。どんな気持ちになるのだろうか。でも、多分それは、とても幸福なことなのだろう。

(……本当に、なんで僕なんか呼んだんだろう。あんなに沢山の人が祝ってくれるんだから、僕なんていらないじゃないか)

 窓の外の賑わいを眺めていた少年は、そっとカーテンを閉めた。なんとなく、これ以上この光景を見る気にはなれなかったのだ。

 かといってすることもなく、部屋の灯りを落としてベッドに座った少年は、これまでにあったことを思い返していた。

 始めの頃の王は、確かに少年への興味がなかったと思う。店に来る客たちと話しているときとの違いもなく、少年はきっと、有象無象の中のひとりだった筈だ。変化があったのは、貿易祭に出た後。あのときを境に、王は急に少年との距離を詰めてきた。名前を呼び、好意があるのだと言って触れてきた。

 あの夜の市で、一体何があったというのだろう。少年の記憶はどうにも不明瞭で、ただ王がとても美しかったことを、夢の中のことのように覚えているだけだった。

 王の表情と、目と、声を思い出し、少年は小さく溜息をつく。

 本当は、気づいていた。多分、気づいていて、その事実から目を逸らそうとしていたのだろう。

 王が言った、愛しているという言葉は、多分、本心からのものなのだ。そう言ったときの彼はとても真っ直ぐな目をしていて、とても柔らかな声をしていた。あの言葉に、悪意や打算の混じる余地などどこにもないと、少年はそう判っていた。だからこそ、きっと、向けられた愛情のようなものから逃げ出したくて、気づかないふりをしていたのだ。

 でも、少年はもう気づいてしまった。そして、その罪の重さに泣きたい気持ちになってしまう。

(こんなに汚い僕があんなに綺麗な人に愛されるなんて、そんなこと、許されるわけがないのに……)

 どんどんと沈んでいく気持ちに、少年が膝を抱えて顔を俯ける。まるで寒さから身を守るように小さくなった彼は、気疲れからか、そのまま眠りに落ちてしまうのだった。

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