合流 3

 一方のレクシリアの処置は迅速かつ的確だった。ナイフを抜いている途中で詠唱をはじめ、完全に抜け切るタイミングを見計らって魔法を発動させる。

「“癒しの雫キュア・レイン”」

 詠唱を終えると同時に、怪我を負っている少年の腿と王の左腕に細やかな光の粒が降り注ぐ。そして、光の粒が肌に染み込むように消えたそばから、驚異的な速度で組織が再生されていった。粒が完全に消えるころには、少年の傷は跡形もなく完治していて、少年は驚いて自分の脚をまじまじと見た。

 と、目の前の美丈夫の身体がぐらりと傾いた。そのまま後ろへ倒れ込みそうになったレクシリアを、グレイが心得ていたように支える。

「お、もっ……!」

 上背がある上に体格も良いレクシリアを支えるのは、どちらかというと細身のグレイには少々荷が重かったようだ。

「やはり昏倒してしまったか」

「やはりじゃねェんだよクソポンコツ野郎。……で? そっちのお方は完治したようですが、王陛下の腕の調子はいかがですか?」

 言われ、王がすっかり綺麗になった左腕を軽く動かしてみる。

「……表面上は完治しているように見えるが、万全ではないな。痛みもまだそこそこ残っている。まあ、レクシィの残存魔力を考えれば、十分すぎるほどだ」

「そりゃ、この人ですから。……でもだからといってこの人に迷惑ばっか掛けてんじゃねェぞ」

 低くなった声に、しかし王は朗らかに笑っただけであった。

 そんなやり取りを見ていた少年の方は、傷が治ったというのに、相変わらず青い顔をしている。それはそうだろう。庶民の自分を治して一国の宰相が倒れるなど、畏れ多いにもほどがある。

「あ、あの、すみません。宰相様にこのようなことをして頂いてしまうなんて……、本当に、申し訳ありません」

「なに、お前が気にすることはない。どうせ使った魔力のほとんどは私の腕の治癒のためのものだ」

「テメェが言わないでくださいませんかロステアール国王陛下?」

「そう突っかかるものではないぞ。一国の王を何だと思っているのだお前は」

「ポンコツ」

 即答したグレイに、王はやれやれと苦笑した。少年は貴族と触れ合ったことなどないので全く判らなかったが、どこの国の王と臣下もこのような、なんというか、砕けた関係なのだろうか。

(多分違う気がする……)

「取りあえず、レクシィはライガに乗せてしまおうか」

「あっ、テメ!」

 グレイが止める間もなく、王がグレイの腕からレクシリアを奪って担ぎ上げる。さすがの王も片腕では無理だったようだが、それでもこの体格の成人男性を難なく抱え上げられるところは流石である。そのまま王がライデンにレクシリアを乗せると、王を押しのけるようにしてグレイがライデンの横に立った。そんな様子に、王が呆れたような顔をしてみせる。

「お前は本当にレクシィが大好きだなぁ」

「うるせェ、悪いか」

「誰も悪いとは言っていないだろうに。なあ、キョウヤ?」

「は、はい?」

 振り返った王に急に話題を振られ、少年は素っ頓狂な声を上げてしまった。

「おい、そこの大層頭がイカれていらっしゃる国王陛下の言うことなんて真に受けることねェぞ。放っとけ放っとけ」

「え、あ、いや、」

「口が悪い奴ですまないな。性格がひねくれているだけで、悪気はないのだ。許してやって欲しい」

「聞こえてますよ王サマ? ……というか陛下、アレはどうされたんです? 見たところお持ちではないようなんですが」

 片眉を上げたグレイに、王が思い出したような顔をする。

「ああ、そうだった。敵の本拠地への突入時に全て風霊に任せたのだった」

「ハァ? どういうことです?」

「そこに見えるバーの地下に複数の空間と繋がるゲートがあったのだが、生憎お前から貰った腕輪ではキョウヤがいる空間しか判らなくてな。仕方がないので、すべての空間へ行けるようにゲートを空間ごと破壊し、アレは風霊に虱潰しに探して貰ったのだ」

「……相変わらず無茶苦茶だな、アンタ」

 どこかで風霊が持っているのではないだろうか、と言った王が風霊の名を呼べば、風が布袋を運んできた。それを受け取って中身を確かめた王が、ひとつ頷く。

「これだこれだ」

「これだこれだって、そもそもの目的はそれを取り戻すことだったと思うんですが」

「結果的に戻ったのだから、そう固いことを言うな。ああ、そういえば、あの腕輪なのだがな」

「はい。オレが王陛下専用に冠位錬金魔術師の腕によりをかけてお作りした特別製の腕輪がいかがなさいましたか?」

 既に王の次の言葉の予測がついているらしいグレイが、お手本のような微笑みを浮かべた。

「そう怒るな。いや、大層役に立ったぞ。お陰でキョウヤの居場所を知るのに労を掛けずにすんだ。空間を隔ててもなお作用するとは、さすがは冠位を戴く錬金魔術師といったところか。だがまあ、すまん。壊れた」

 しれっと言われた最後の言葉に、グレイがにっこりと笑みを深める。

「今、なんと?」

「いや、だからな。ゲートを破壊するのに火霊魔法を使った訳なのだが、どうやらその拍子に壊れてしまったようなのだ。使い勝手はなかなか悪くないのだが、やはりどうにも脆い。もう少し耐久力を持たせられんものか?」

 一切悪びれる様子なく、寧ろ図々しく要求まで突き付けてきた王に、グレイが肩を震わせて、そして、

「テメェの火霊適性が馬鹿高ェのが悪ィんだろうが! あれを身に着けてるときは常に魔力の調整を心掛けろってあれほど言ったのにもう忘れたのか馬鹿! 調整下手の癖に威力だけは桁外れなアンタのために、耐久度を限りなく上げた品だぞ!? それを魔法一発放っただけでぶっ壊すって、オレの苦労をなんだと思ってんだテメェ!」

「だからすまんと言っているだろうに」

 やはり悪びれない王に、グレイがいよいよ眉を吊り上げる。

(も、もしかして、僕が貰った指輪と何か関係があるのかな……)

 そう思った少年が、控えめに王の服の裾を掴む。本当にそっと触れたはずだったのだが、きちんと気づいてくれた王は、少年を見て柔らかく微笑んだ。

「どうした? キョウヤ」

「あ、あの、僕が貴方に貰った、指輪……」

 おずおずと言われた言葉に、王が少年の頭を撫でた。

「ああ、確かにあの指輪もグレイが錬金魔術で作ったものだ。私が持っていた腕輪と対になっていてな。腕輪に魔力を籠めれば、指輪のある距離と方角がある程度判るという優れものなのだ」

「あの、腕輪は壊れてしまったのかもしれないんですが、指輪なら、多分、まだ、ちゃんと平気だと思います」

 そう言った少年が、ポケットから指輪を取り出してグレイに差し出す。その行動に少しだけ面食らったらしいグレイは、まじまじと少年を見つめてから、指輪を受け取った。

「……ありがとな」

「え、いえ、僕の方こそ、その指輪のお陰でロストさ、陛下に、助けて頂けたみたいなので。あの、ありがとうございます」

「良いよ、気にすんな」

 控えめに頭を下げて礼を言う少年に、グレイはすっかり毒気を抜かれてしまったらしい。

「キョウヤ、別に今まで通りロストと呼んでくれて構わないのだぞ? 陛下などと他人行儀なことを言わずに」

「僕、別にそんなに貴方のお名前を呼んだことはないと思うんですが……。…………それに、」

 そこで、少年は一度口を閉じた。次の言葉を続けるかどうか迷ったのだ。

「それに?」

「……それに、貴方はとてもきれいだから、あの、ロスト、というのは、なんだか似合わない気がします」

 少年の言葉に、グレイが僅かに目を見開く。同時に、王が破顔して少年を抱き上げた。

「ひゃっ」

 小さな悲鳴を上げた少年を両腕に抱き、王はグレイも聞いたことがない酷く甘ったるい声を紡いだ。

「ああ、私もお前を愛しているよ」

 そう言って王は、少年の唇に自分のそれを重ね合わせた。それは王からすればごく自然で当然の行為だったのだが、少年にとっては全くそんなことはない理解不能の行動だったので、彼はピシリと固まってしまった。ついでにそれを見ていたグレイも固まっていた。

 一方の王は、幸せいっぱいの表情で少年の唇を啄んでいたのだが、我に返ったグレイに思い切り後頭部を引っぱたかれて、眉を寄せて振り返る。

「いきなり何をする」

「そりゃこっちのセリフだ。何してんだアンタは。グランデル国王が嫌がる少年を無理やりどうこうとか、そんな噂が流れてみろ。国の恥だ。ひいてはリーアさんの恥だ。アンタが恥かくのは勝手だが、リーアさんを巻き込むな」

「別にキョウヤは嫌がっていないだろうに。なあ、キョウヤ?」

「あ、あ、」

 顔を赤くしたり青くしたりと忙しい少年を見て、グレイが呆れた顔をする。

「どう見ても嫌がってんだろうが。読心術は、陛下の得意中の得意技でしょう?」

「混乱してしまっているだけだ。かわいいだろう?」

「……何言ってんだアンタ」

 そもそも、私もお前を愛しているって、どういうことだ。も、ってなんだ。文脈がおかしい。

 そう思ったグレイだったが、この王とまともに会話をしていると疲れるだけなので、これについて追及することは諦めた。疲れるし、面倒だし、興味もない。レクシリア宰相をはじめとしたグランデル国民は興味を持ちそうだけれど。

 そんなことを考えながらグレイがふと顔を上げると、夜空に何かがいるのが見えて、彼は目を凝らした。暗くて判りにくいが、それはどうやら暗い色の騎獣で、こちらに向かって来ているようだった。

 徐々に近づいてくるそれは、鋭く大きな牙を持つ逞しい騎獣だった。大きさは、ライデンより少し小さいくらいだろうか。騎獣鎧に描かれている国章を見れば、それがギルガルド王国軍の騎獣であることが判った。

「ギルヴィス王が来たか」

 王の言葉に、グレイが頷く。

 騎獣の背に乗っていたのは、王国軍の師団長と、ギルディスティアフォンガルド王国国王、ギルヴィス・ビルガ・フォンガルドだった。

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