国王の一手 2

 それなりの時間をかけて、自分たちが通れるくらいの穴になったところで、レクシリアがそれ以上の拡大を止めるよう精霊に指示を出す。

「よし。進め、ライガ」

 命じられたライデンが、水の膜に覆われた穴をするりとすり抜け再び駆ける。

「グレイ、方角は?」

 レクシリアの声に、グレイが袖をまくって腕を見る。そこには、赤い石の嵌まった金属製の腕輪が着けられていた。そしてその赤い石からは、とある方向に向かって、指の長さほどの一筋の光が出ている。

 光の指し示す方角を確かめてから、それと同じ方をグレイの指が示す。

「あっちですね」

 頷いたレクシリアが、鬣に覆われたライデンの首を軽く叩いた。

「結界に触れないように気をつけながら、できるだけ上空を飛んでくれ」

 小さく吠えて了承したライデンが、高度を上げた。暫くの間グレイの誘導に従って大人しく進んでいたライデンだったが、首都の中心に近づいてきたあたりで、急に鬣を逆立ててぐるぐると低く唸り出した。同時に、鬣からばちばちと小さく雷が弾ける。

「……ライガが警戒していますね」

 グレイの言う通り、これはライデンが危険を察知したときに見せる反応だ。

「この先に何かいるな」

 ライデンに倣い、二人も注意深く周囲を探りながら先へと進む。そして見えてきた光景に、レクシリアとグレイは目を見開くのだった。

 首都ギルドレッドの繁華街のすぐ上を飛ぶ、巨大な生物。漆黒の鱗で覆われた翼を持つそれは、まさしくドラゴンであった。ドラゴンなど、グレイはおろかレクシリアだって実際に目にしたことはない。そもそも彼らはこの次元には存在しない生物だ。それがここにいるということは、つまり。

「次元魔導で召喚したドラゴンを使役したのか!?」

「ドラゴンを使役って、人間にそんなことができるんです? 確かにドラゴンを使役しているなら、大規模な空間魔導のひとつやふたつ、朝飯前なんでしょうけど。でも、彼らはとてもじゃないが人間の手に負える生き物ではないって、ロステアール王陛下が仰っていた気がしますが」

 グレイの疑問に、レクシリアが首を横に振る。

「判らねぇ。俺もドラゴンに会ったことなんてないからな。だが、あれが本当にドラゴンだとしたら、俺たちに勝ち目はねぇぞ」

 きっぱりと言い切ったレクシリアだったが、本気であの漆黒の竜に勝てないと思っている訳ではない。本当に勝てない相手であれば、グランデル国王が自分たちをここに呼ぶはずがないからだ。

 当代のグランデル王は歴史上最も優れた賢王である。何よりも己が民を第一とし、民の総意に違うことなく国を導く至高の王なのだ。その王が誤ることなど万が一にもなく、王が示す道は全てが最良である。

「だがまあ、民である俺がここに居るってことは、そういうことなんだろうよ」

 僅かな疑いすらなくそう言ったレクシリアに、グレイが心底呆れたという顔をする。

「相変わらずアナタはあの男のことが大好きですねぇ」

「別に大好きってこたぁねぇだろ。そりゃまあ嫌いじゃあねぇけど」

「はいはい、無自覚なのは知ってます。全く、これだから宗教国家は」

 だからグランデルに宗教の縛りはねぇよ、と反論しようとしたレクシリアだったが、ふと風の流れが変わるのを感じて口を閉じた。そのまま風が来る方へと目を向ければ、そこにいたのは風霊だった。グレイの方は魔法適性がないため精霊の姿など見えなかったが、風が吹いてレクシリアが反応したことから、風霊が傍へ来たのだろうことは察せられた。

 何か用かと首を傾げたレクシリアに、風の乙女がすっと近づいて、その耳へと口を寄せる。内緒話をするように小さく囁かれた言葉に、レクシリアは思わずといった風に口を開けた。

「はぁ!?」

「ちょっと、いきなり大声を出さないでくださいよ。一体何だって、」

「ライガ! 全速力で近づきつつ、あのドラゴンの死角になる場所に降りろ!」

 グレイの言葉を遮って、レクシリアが叫ぶ。同時にライデンが加速し、グレイは慌ててレクシリアの腰に回している腕に力を籠めた。レクシリアの風霊魔法のお陰でライデンの背中から落ちることはまずないのだが、それでも急加速されると反射的にしがみついてしまうのだ。

「水霊! 火霊! “虚影の膜ミラージュ”!」

 続くレクシリアの言葉に、グレイが記憶を辿る。

 “虚影の膜ミラージュ”。水霊と火霊という相反する二つの属性の精霊の力を使う、幻惑魔法の一種だ。恐らくは、敵に見つからないように、背景と同化する幻覚のベールを被せたのだろう。

「リーアさん! 何事ですか!」

「ロストから伝言があった! あの馬鹿、よりにもよってここで極限魔法ぶっ放す気だぞ!」

「はぁ!? 何考えてるんですかあのポンコツ王!」

 極限魔法と言えば、始まりの四大国の国王しか使えないとされている最上級の精霊魔法である。グランデル国王が司る火霊の極限魔法ということは、

「街ひとつ吹っ飛ばす気ですか!?」

 そんなことをすれば、金の国の民も無事では済まない。他に道がないのであればあの王は迷わずそれを選択するだろうが、今がその時であるとは考え難かった。

「だーかーら! そのために俺らが呼ばれたんだろうが!」

「極限魔法なんて出されたら、オレたちが居たところで何にも、…………は?」

 途中で言葉切って、暫しの沈黙の後、グレイが間の抜けた声を出した。

「まさかとは思いますけど、アレを使えってことですか?」

「まさかも何も、この状況で俺たち二人をセットで呼び寄せる理由なんてそれくらいしか思い浮かばねぇだろ」

「それにしたって馬鹿じゃないんですか!? ろくに試験だってしてないのに!」

「それでもあの馬鹿がやれっつーんだからやるしかねぇだろ! 悪く言えば無責任だが、良く言えばそれだけ信頼されてるってことだ! 腕の見せ所だぞ、冠位錬金魔術師!」

「ああもう、判りましたよ! やれば良いんでしょうやれば!」

 酷く無茶苦茶な要求をされているのは事実だったが、あの王がやれと言っているのであれば、やはりそういうことなのだ。

 自らの国の国王の期待に応えるため、二人は敵地へと赴くのだった。

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