国王の一手 1
ギルガルド王国の空を、雷を彷彿とさせる光沢質な金の毛並みを持つ獣が駆けている。時折ばちばちと燐光を散らすその四つ脚の獣は、雷を司る幻獣、ライデンだった。人前に滅多に姿を見せることのない希少な幻獣が、何故こんな場所に姿を現したかというと、この幻獣が騎獣だからだった。
空を駆けるライデンの背にいる人物は、後ろ髪のひと房だけを長く伸ばした、淡い金髪の美丈夫。そう、グランデル王国宰相、レクシリア・グラ・ロンターである。そしてその後ろには、黒紫の癖毛をした青年が乗っていた。
「疲れてないか、グレイ」
後ろに乗っている青年、ロンター家筆頭秘書官であるグレイを振り返れば、彼は少しだけ肩を竦めて見せた。
「疲れないとでも思うんですか? 正直今すぐベッドにダイブして寝たいです。まあでも、アナタよりはマシですよ」
グレイの言葉に、レクシリアが苦笑する。
確かに、ライデンの背で多少は眠れたのだろうグレイと違い、レクシリアは丸一日ほとんど寝ずに騎獣を駆ってきたのだった。
「まあ、あいつの無茶苦茶には慣れてるからな」
急に部屋に飛び込んできた王獣に、筆頭秘書官と共に早急に王の元へ馳せ参じろと伝えられたときは、さすがのレクシリアも目を剥いた。王獣に伝言なんぞ頼むなだとか、いきなり来いと言われても国王の生誕祭を目前に控えた今宰相が国を空けられる訳がないだろうだとか、言いたいことは山ほどあったが、勅命である。
グランデル王国において王の勅命とは、王から寄せられる信頼そのものであった。たとえそれがどんなに無茶なものだったとしても、必ずやり遂げられると王が信じてくれたから下されたものなのだ。であれば、臣下はそれに応えてこそだろう。
こういうことを言うと、厳密にはグランデル国民ではないグレイは、これだから宗教国家は、などと言い出すのだが、グランデル王国には宗教の自由がある。そのため単一の神を崇めるよう強制されることはなく、宗教国家とはほど遠いとレクシリアは思っていた。尤も、こう返答するとグレイはいつも嫌そうに顔を顰めて返すのだったが。
兎に角、勅命に従ったレクシリアは、まずは自分が抜けても大丈夫なように、丸二日の時間をかけて最低限の仕事をこなしつつ、不在の間のありとあらゆる指示を出した。そしてそれが終わったら、休む間もなくすぐさま王宮を飛び出て来たのだ。
王獣ほどではないとは言え、そこいらの騎獣と比べれば、雷を従えるレクシリアの騎獣は速い。そのスピードを生かし、一日足らずでギルガルド王国の首都まで来たところまでは良かったのだが。
「なんだこりゃあ」
首都と郊外のちょうど境にあたる場所に薄い膜のようなものが張っているのを見咎めて、レクシリアは騎獣を止めた。
膜の広がっている範囲が広すぎて全容が定かではないが、どうやら膜は地上から上空までへと曲線を描いて延び、天頂で合わさってドームのようなものを形成しているようだった。
「また随分大掛かりな結界じゃねぇか。ロストの奴、王冠取りに行くだけでどんだけ面倒事に巻き込まれてんだよ……」
「あの男が面倒事に巻き込まれるなんて、今に始まったことじゃあないでしょう。そもそも王冠を盗まれている時点で既に面倒事です。というか、どちらかと言うとあの男が面倒事そのものなのでは?」
「お前な……」
「ほらほら、そんなことよりこの結界とやらをどうにかしてください。少なくとも魔術結界ではないようですから、そうなるとアナタの領分でしょう? 生憎オレは魔法が使えないもので」
グレイに促され、レクシリアが結界に向き直る。グレイが言うように魔術結界ではないとすると魔法結界である可能性が高いが、さて、どうだろうか。魔法結界ならば、地霊魔法と風霊魔法の合わせ技であることが多いが。
「……いや、そもそも精霊が関わった形跡がねぇな」
「はぁ? 魔法を使ったなら必ず精霊の痕跡が残るって教えてくれたのはアナタじゃあないですか」
「ああ、だからつまり、これは魔法じゃねぇってことだ」
レクシリアの言葉に、グレイが眉根を寄せる。
「どういうことです? “黎明”の名に懸けて言いますけど、これは絶対に魔術ではありません。魔法でも魔術でもないなんて、……まさか」
グレイの呟きに、レクシリアが頷く。
「魔導だ。それもこれは、多分、空間系統の魔導による結界だな。……厄介だぞ。この広範囲を覆う空間結界を張るなんて、一体何と契約したらそんなことができるってんだ」
「そんなに厄介なんですか?」
「ああ、そんなに厄介だ。ただの結界じゃなくて空間結界となると、場合によっちゃ触れただけで別の空間に飛ばされる可能性がある。これだけでけぇ結界張った上で大規模な転送ができるとは思いたくねぇが、万が一ここで他の大陸にでも飛ばされてみろ。戻って来るのに何日掛かるか判ったもんじゃねぇ」
「なるほど、厄介ですね。でも、」
レクシリアの耳を引っ張って振り向かせたグレイが、にっこりと微笑む。
「アナタならどうにかできてしまえるんでしょう? リーアさん」
そんなグレイに、レクシリアが、はぁ、と溜息をつく。
「……お前な、俺を過信するのも大概にした方が良いぞ」
「まさか。過信なんてしていませんよ。だって事実としてアナタ、大概のことはやってのけるじゃあないですか」
「魔導には手ぇ出したことねぇし、見る機会だって少ないから、うまくいくかどうかは知らねぇけどな」
そう言ったレクシリアが、結界の膜に手を翳す。
「見た限り、これには探知機能もあるみたいだ。ただ突き破るだけじゃこっちの存在がバレちまう訳だが、それでも良いのか悪いのか……。……隠れて行くか」
「できるんですか?」
「少しばかり調整が難しいがな」
そう返し、レクシリアは風霊と水霊の名を呼んだ。呼びかけに応えて現れた彼女らに指示を出したレクシリアの指先が、結界に触れる。するとそこに針で刺したような小さな穴が開いたと同時に、水霊による水が入り込み、結界を補完するように膜を張った。それにレクシリアが手を翳すと、そのままゆっくりと、水の膜に覆われた穴が広がっていく。
「……何をしたんです?」
「隠密効果を乗せた風の針で、探知されないで済むギリギリのサイズの穴を結界に開けた。そこに、この空間結界と限りなく質を似せた水を張ったんだ。こうすりゃ、じわじわと穴を広げる分にはバレずに済む。多分な。というか、これ以上は俺には無理だ」
「これ以上は、ねぇ……」
レクシリアはなんでもないことのように言ってのけたが、その実、この魔法が非常に難しいことをグレイは知っている。魔法適性こそないグレイだったが、魔法に対する知識はそれなりに深いため、魔法における制御や調整の難しさは理解しているのだ。
魔法は、精霊に頼み、その力を貸して貰って現象を生み出すものだ。だからこそ、精霊の気分ひとつでその効果や威力にはブレが生じる。そんなもので、針の先ほどの穴を開け、過不足なく水を満たすなど。
それは、グレイが思っている以上に繊細で確かな精度が求められる魔法なはずだ。だが、グランデル王国の宰相は、平然とそれをこなしてしまった。
「……判ってはいましたけど、なんというか、アナタ、心底腹立たしいですね」
「はぁ? 何がだよ」
「いーえ、別に」
そんなやり取りをしている間にも、レクシリアが空けた穴は徐々に広がっていく。少しじれったくなるくらいの速度だが、これくらい慎重にやらねば結界を張った相手に感づかれる可能性があるので、仕方がない。
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