狙われた店主 3
「これは……!」
どうやら少年にとってのタブーであるらしい眼帯を乱暴に奪い取ったデイガーは、露わになった瞳に思わず息を飲んだ。
左目とは全く異なる、ヒトならざる目。その目を、デイガーは知っていた。
黒地に輝く金の虹彩。そして、金色の中に浮かぶ、不思議な紋章。内側から光を放っているかのように揺らめいているそれは、まるで蝶のような形をしていた。
「――エインストラ」
それは、伝承の中にのみ残る存在。かつて多くの人々が求め、しかし出逢うことすら叶わなかった、太陽と月の申し子。
それはまさしく伝説上の生き物だ。いや、エインストラは確かに存在しているのだが、誰もそれをエインストラとして認識したことがないが故に、伝説と謳われていると言った方が正しい。彼らは、飛んだ先の次元に適応する。己のカタチを、その次元で動くのに適した姿へと変えることができるのだ。たとえばそれは人の姿をしているかもしれないし、鳥の姿しているかもしれないし、もしかすると草木の姿をしているのかもしれない。
太古の文献に記載されているエインストラの手がかりは、黒地に金の虹彩をした瞳を持ち、その瞳の中に蝶が翅を広げたような紋章があるということだけだった。だが、それも恒常的なものではないと言う。彼らの瞳がそうなるのは、彼らが次元を越えるときのみであると、確かにそう書いてあった。尤も、所詮は古い文献の話だ。その記載に間違いがないと言い切れるはずもない。
何故なら、次元を越えるどころか魔法を発動する様子すら見せない少年の右目は、まさしく世界の隔たりを越えようとするエインストラのものだったのだから。
いかにエインストラと言えども、次元を越えるにはそれ相応の魔力かそれに相当する何かを消耗する筈である。しかしそういった特殊な力の流れを一切感じないということは、つまり、この少年にとってこの瞳の紋章は恒常的に発現しているものなのだろう。
「ああ、それにしても……まさかこんなところで、ずっと求めていたものに逢えるだなんて……」
恍惚とした様子すら感じさせる声でそう呟き、デイガーはよりよくその瞳の証を見ようと手を伸ばした。が、その動きが不意に止まる。
あれほどまでに悲痛だった少年の叫びが、いつの間にか止んでいたのだ。
そのことに正体の判らない違和を感じ取ったデイガーが、金の瞳だけを見つめていた視野を広げる。そうして改めて少年の顔を見た彼は、僅かに目を見開いた。
デイガーを見つめる少年の目には先ほどまでのような怯えは欠片もなく、それどころか、平坦なまでに冷めた表情をしている。そして少年は、デイガーと視線が絡むと口の端を吊り上げて見せた。
「酷いコトをするじゃあないですか」
口元に嘲りを乗せた彼から発された人を馬鹿にするような声は、確かに少年の喉から発されたものだった。勿論、紡がれた音も先ほどまでの少年のものと同じだ。だが、何かが決定的に違う。
「……貴方は、どなたでしょう」
デイガーが先ほどまでとは違う丁重な言葉で語りかけたのも、無理はない。それほどまでに、『彼』は先ほどまでの少年とは違っていた。確かに姿や声こそ同じだ。しかし、その質がまるで違う。『彼』が纏う雰囲気は冴え冴えとしており、触れれば切れそうな刃のようだった。
そう、まるで、かちりとスイッチを切り替えたかのように。全く別の存在になったかのように。
「どなたも何も、アナタが散々に嬲り倒した哀れで惨めでゴミのような少年でしょう? つい今しがたの記憶すら忘却の彼方とは、随分都合の良い頭をお持ちのようだ」
小馬鹿にするような物言いに、しかしデイガーは決して敬意を示す姿勢を崩さなかった。
「同一人物とは思えません。……もしや、貴方こそがエインストラで、天ヶ谷鏡哉くんは宿主か何かなのでは? エインストラは次元に適した姿を取ると聞きますが、それはつまり、その次元の生き物に寄生するということだったのではありませんか?」
まるで世界の真理を解き明かしたかのように言い寄るデイガーに、『彼』は少しだけ眉を寄せた。
「コレがオレの宿主? どうやらアナタの頭は都合が良いだけでなく大層イかれていらっしゃるらしい。医者へでも行ったら如何です? あぁ全く、よりによって眼帯を奪うものだから、コレが恐慌状態に陥ってしまったし。お陰でオレがわざわざ出るハメに……面倒臭ェ」
「ああ! やはり貴方こそがエインストラだったのですね!」
「……あァ? 人の話を聞かねェクソ野郎だな。さっさとそのイカれた頭を医者に診せてこいっつってんだろうが。ついでにこの脚も治せ。こんなんじゃまともに歩けねェじゃねェか」
心底嫌そうな顔をした『彼』に、しかしデイガーは気にした風もなく、寧ろ感極まった様子で満面の笑みを浮かべた。
「いいえ、エインストラ。御心配には及びません。我々に必要なのは貴方の脚ではなく血なのですから。ああ、ご安心を。決して命を奪うような真似は致しませんとも。ただ、一生その血液を我々に与えてくだされば良いのです」
「……どういうことだ、テメェ」
「簡単な話です。我々は、自在に次元を越えるその能力が欲しいのですよ。そうすれば、我らがロイツェンシュテッド帝国はより強くなる。貴方の血を使えば次元転送魔導が完成するはずだ。たとえばそれで真のドラゴンを召喚できたならば、この忌々しいリアンジュナイルを攻め滅ぼすなど容易いことでしょう!」
興奮したように語るデイガーに、『彼』は首を傾げて見せる。
「……血を絞っただけで十分だとでも?」
「それ以上の方法があると仰るのですか? でしたら是非とも知りたいものです」
「この状況でオレが教えて差し上げると思うんですか?」
相変わらず小馬鹿にしたような物言いに、デイガーは困った顔をした。
「それではやはり、死なない程度に血を抜かせて頂くしかありませんね。大丈夫ですよ。こう見えても私はそれなりに優れた魔導士なのです。貴方の貴重な血を無駄にするようなことは致しませんとも」
デイガーの言葉には自信が溢れており、事実それは己の実力に裏打ちされたものだった。
「無駄にしない、ねぇ。随分と自信がおありのようだ。そんなにエインストラのことを知っていらっしゃるんですか? 本当に?」
『彼』の問いに、デイガーはにっこりと微笑んだ。
「エインストラのことはそこまで詳細には存じ上げません。寧ろそんな人間などいないでしょう。いわば貴方は、伝説中の伝説とも言える存在なのですから。しかし、空間魔導であれば私の領分です。何故なら私の契約者は、空間魔法の使い手ですので」
「契約者……?」
「ああ、エインストラはリアンジュナイルにいたせいであまり魔導にはお詳しくないのですね。魔導は契約によって魔物や幻獣などの魔法生物を使役するものなのです。そして、契約主は使役している魔法生物が使う魔法を己の力として振るうことができるのですよ。ね? リアンジュナイルの魔法などより遥かに素晴らしいでしょう?」
実際にデイガーは、生まれつきの精霊との相性で左右されてしまう魔法よりも、力で契約を強いる魔導の方が優れていると思っていた。しかし、この発言は自信だけから来たものではないようで、その語り口からはデイガーがリアンジュナイル大陸に抱いている嫌悪のようなものが滲み出ていた。
「本当におめでたいですねェ。魔導とやらが魔法より優れていたとしても、だからと言ってアナタの望むことが成せるという保証はないでしょうに」
「いいえ、エインストラ。先ほども申し上げました通り、私が使役している契約者は空間魔法に長けているのです。今いるこの場所も、私が創り出した空間なのですよ。地図にないどころか、術者である私の許可がなければ存在を認識することもできない牢獄。空間そのものを閉じてしまえば、外からの侵入はまず不可能です。素晴らしいとは思いませんか? その力と貴方の血を使えば、必ずや次元を越えた大召喚を成し遂げるでしょう。そもそも、我々は既にリアンジュナイルを攻め落とす算段を立てております。先の戦争にしても、こちらでは帝国軍が敗走したと言われているそうですが、あれは所詮は小手調べ。相手の戦力を把握するために仕掛けたものにすぎません。そう、ここからが本当の大陸間戦争なのですよ」
そういったデイガーが、うっとりとした様子で『彼』の目元を撫でる。
「だからこそ、より確固たる勝利のために、貴方にはその身を捧げて頂きたいのです」
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