デート? 5

 王宮庭園から馬車に揺られて自宅へと帰りついたのは、日付が変わる少し前であった。結局ほとんど丸一日を奇妙な赤い男と過ごしてしまった少年だったが、今日見たものはどれも美しいものばかりで、正直に言うと割と楽しかったし、そう思っている自分に少しだけ驚いた。勿論、隣にいたのがこの男でなければもっと楽しかったのだろうが。

 しかし、珍しく少しだけ気分が高揚している少年とは対極に、帰りの馬車に乗っている間の男は静かだった。行きの馬車の中ではやたらとあれこれ話しかけて来たというのに、帰りはひとことも発さず何かを考えこんでいるようで、それになんとなくの疑問は抱いたものの、やはりそこまで興味もないので、少年はあまり気にしていなかった。

 自宅の前で男と共に馬車を見送り、何も言わないまま別れるのもなんだか変なので、形式的に今日の礼と就寝の挨拶を済ませて家に入ろうとしたところで、男に腕を掴まれた。

「あの?」

「……キョウヤ」

「はい」

 どうでも良いから言いたいことがあるなら早く言って離してくれないかな、などと考えながら男の顔を見た少年は、ほんの少しだけ驚いてしまった。

 あの、いつもにこにこと愛想の良い笑みを振りまいている男の顔が、何故か困ったような表情を浮かべていたのだ。

「キョウヤ……」

「はい、なんでしょうか」

 返せば、ほんの少しだけ黙った男は、少年の手を離してから、いきなり深々と頭を下げた。

「すまない。お前には大変申し訳ないことをした」

「……はい?」

 少年には一体何に対する謝罪なのかが全く判らなかったが、男の方は顔を上げることなく言葉を続ける。

「元を正せば私が撒いた種だ。いや、寧ろそれを目的としていた。しかし、こんなことにお前を巻き込んでしまったこと、本当に申し訳ないと思っている。今更方針を変える訳にもいかぬ故、どうしてもお前を煩わせてしまうが、どうか許して欲しい。その代わりに、という言い訳にならないことは承知しているが、巻き込んでしまった以上、私の全力を以てお前を守ると誓おう」

「…………はあ」

 何を言っているんだこいつは。

 多分、この人はやはり頭がおかしいのだろう。そう結論付けた少年は、さっさと家に入ってしまうことにした。これ以上この男に付き合っていると、こちらまで頭がおかしくなりそうだ。

「あの、良く判りませんが僕は平気なので、ゆっくり休んでください。僕ももう寝ますので」

「おお、許して貰えるのか! やはりキョウヤは優しい子だな」

 顔を上げた男に微笑みを投げられたので、少年も適当に微笑みを返しておいた。どうでも良いので早く寝たい。

「では、これ以上お前を引き留めるのは悪いので私も帰るとするが、その前にひとつ」

「……なんでしょうか」

 まだ何かあるのか、と思った少年の前に、男が赤い石の嵌まった簡素な指輪を差し出した。

「これを受け取ってくれ。そして、肌身離さず持っておいて貰いたい」

 差し出された指輪を改めて見る。一見すると簡素なそれは、よく見ればリングの内径に複雑な紋様が描かれており、装飾として嵌まっている石は、その内で炎が揺れるような不思議な輝きをしていた。と同時に、これと似ている、しかしもっとずっと美しい炎をどこかで見たような錯覚に陥る。あれはどこでのことだったのだろうか。もしかすると、夢の中での出来事だったのかもしれないけれど。

「受け取って貰えるな?」

「え、あ、」

 ぼんやりと記憶を辿っているうちに手を取られて、少年はびくりと震えた。しかし、そんな彼に構うことなく、男は触れたその手に指輪を握らせ、満足そうに頷いてから手を離した。

「あ、あの、」

「良いから受け取ってくれ。まあ、お守りのようなものだ。きっと役に立つだろう」

「は、はあ」

 何がなんだか判らないといった風の少年を押し切るように、とにかく常に身に着けているように、と一方的に念押しをしてから、男は背を向けてさっさと帰路についてしまった。

 混乱していたせいかそれを引き留めることもできなかった少年は、握られている指輪に目を落として、瞬きを数回。

「……はぁ」

 今日一番かもしれない盛大な溜息を吐き出してから、のろのろと自宅へと帰っていくのであった。




 帰路についたと思われた男であったが、歩きながら時折上空を気にするように見やっては、また前に向き直る、という行動を繰り返しており、一向に宿へ帰る様子がない。一体何をしているのかだが、単純な話で、上空に待機しているであろう伝達役になんとか伝言を伝えたいと考えているのだ。

 男が思っていた以上にとんとん拍子に話が運んだお陰で、今後のことについて、急ぎ本国と連絡を取る必要が出たのである。といっても、上空にいるのは例の火炎鳥ではない。二日前に本国へ送ったあの鳥の翼では、ここに戻って来るまでにはまだ時間を要するし、仮に火炎鳥が今手元にいたところで、今回の言伝は可能な限り速く届ける必要があるものであるため、使われることはなかっただろう。兎に角、風霊の言伝以上の速度が出せるものに伝達を任せなければならないのだ。それこそ、本国最速の獣を用意してでも。

 尤も、それに関しては既に算段を整えてある。そろそろこの国へ到着して、上空で待機している頃だろう。だからこそ、先程から男は上を気にしているのだ。ならばさっさと言伝を済ませてしまえば良い話ではあるが、今回とった手段はいつにも増して人目に触れてはならないものであるが故に、細心の注意を払わならけばならない。しかし、

(……ふむ。やはりつけられているな)

 感知能力の類はからっきしな男であったが、多くの戦場を駆け抜けてきた経験からか、自分を凝視する視線くらいは察知できる。確認のために風霊に視線を投げれば、風の衣を纏った人型は小さく頷いてみせた。大方デイガーの差し金だろう。だが、確かに向けられる視線があるというのに、まるで気配を感じない。

 このことから考えられる可能性は二つである。一つ目は、魔法か魔術か魔導による遠隔監視。二つ目が、姿を完全に隠した、ヒト以外の何かによる監視。

 男ではそのどちらなのかを判断することはできないが、恐らくはどちらかである。となると、視線から逃げようと走り回るだけの鬼ごっこが有効な手段とは思えなかった。だが、だからと言ってこのまま伝達役と接触する訳にもいかない。

(王宮庭園でのときも目くらましを剥ごうとしてきたようだったが、つくづく嫌がらせが得意なタイプだな。こんなことならば、薄紅まで出向いてランファ殿に幻惑魔法を掛けて貰うべきだったか)

 思ったところで今更だ。現状、己で対処する以外の方法はないのだから、細かい魔法は不得意だのなんだとの言っている訳にもいかない。そう判断した男は、歩みを止めぬまま口を開いた。

「砂の落ちるひと欠片 風の乙女の衣もて ありとあらゆる音を断ち 僅かな揺らぎも抑えたまえ ――“沈黙の風サイレント”」

 詠唱を終えた瞬間、砂時計の砂が欠片ほど落ちるくらいの間、瞬き三度あるかないかの時間。男の周囲の音が、止んだ。

 比喩ではない。男の周囲の空気が震動を止めたのだ。全くの無音の世界で、上空に向かい、男は大きく口を開けた。空気の振動を極限まで抑えた空間で内容を聴き取ることは不可能だったが、何ごとかを叫んだのだ。

 その音無き叫びが終わった直後、魔法の効力が切れる。同時に、無音だった男の周囲に衣擦れや吐息の音が蘇った。ふう、とひと息ついた彼は、目論見通りのことをやってのけた割には、浮いた表情ではなかった。

 つまり、男の考えはこうだ。元々伝達は、相手に会わず、風霊に声を運ばせてやるつもりだったため、別に見られていること自体は構わない。問題なのは、耳の方だ。風霊が運んだ声を監視役が聞けない保証がどこにもなかった。故に、いっそのこと今回の伝達役すら聴き取るのが難しいような状況に置いてしまえば安泰だろう、と。そういう発想に至った訳である。

 正直、上空に待機している伝達役がこの条件下で音を聴き取れるかどうか、不安が残るところだったのだが、どうやら作戦はうまくいったらしい。上空にあった気配が消えたということは、無事に伝言を受け取って本国へ向かったということだろう。だが、

(適応対象は自分のみのつもりだったんだがなぁ)

 自分が発する音だけを止めたつもりだったのに、勢い余って周囲の音を丸ごと止めてしまったのは、不器用さのなせる業だろう。そのせいで大分余計に魔力を消耗したというのに、その割に思っていた以上に効果時間は短かった。今回はきちんと正式な詠唱までしたというのに、これである。

 つまり、やはり男はこういった類の魔法はすこぶる苦手なのだ。詠唱した上でこの様では、とてもではないが使いものにならない。その事実を改めて実感し、彼はなんとも言えない気持ちで宿へと戻るのだった。勿論、未だ消えない視線を連れて。

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