デート? 3
陽が落ち始めたというのに、男が少年を放す様子はなかった。確かに自分だけでは行けないような場所で、素敵なものを沢山見せて貰えはしたが、それでも少年にとって、他人と一緒にいることはとても気疲れしてしまうものなのだ。
またもや高そうな店で夕食を済ませた後、男に連れられて乗り込んだ馬車の中で、少年は少し居心地が悪そうに窓の外や足元へと視線を彷徨わせてから、そろりと男の顔を窺う。
「あの、まだ何処かへ行くんですか?」
「うん? ああ。今夜な、少しだけ特別な催し物があるのだ。あのような事件があった後ゆえ、開催されるかどうか心配だったが、さすがはギルヴィス王陛下。強行してきたな」
「催し物、ですか? ……聞いたことがありませんが」
ほんの少し訝しげに尋ねた少年に、男は頷いた。
「それはそうだろう。基本的に国内の貴族向けの催しだ。一般市民では、聞いたことのある者の方が少ないのではないか?」
「貴族向け……。それなら、僕は参加できませんね。ここら辺で失礼した方が良いでしょうか」
「何故だ? 折角なのだから、付き合ってくれ。今日はお前の一日を私にくれる約束だっただろう?」
そうであってくれという願いを込めて言った言葉であったが、やはりその期待はあっさりと裏切られてしまった。まあ、ここで馬車から追い出されても困ってしまうと言えば困ってしまうのだが。
「……そうですね。お約束ですので」
そう言って返せば、男は満足したように微笑んだ。
「幻燈籠流し、と言ってな。ギルガルド謹製の魔術燈籠を空に浮かべ、それを愛でながら酒を酌み交わす祭なのだ。私は一度しか見たことがないが、魔術燈籠が映し出す幻影たちはそれはそれは美しく見事なものだぞ。お前もきっと気に入るだろう」
貴族向けの催しに参加したことがあるということは、やはりこの男は貴族お抱えの兵士か何かなのだろう。しかし、いくら貴族お抱えだからといって、兵士が単独で参加できるというのもおかしな話だ。もしかするとこの男、自分が想像しているよりもずっと上流階級に位置する貴族に仕えているのかもしれない。
「ロストさん、て、やっぱり凄い人なんですか?」
問いかけに、男は少し笑って肩をすくめて見せる。
「いいや。たまたま周囲の人に恵まれていただけだ。……さあ、見えて来たぞ」
そう言って窓の外を見た男につられて外を見れば、目に飛び込んで来たのは大きな城だった。これは、世に疎いさすがの少年も知っている。ギルガルド王国の王都にそびえる城など、たったひとつしかないのだから。
「ギルディスティアフォンガルド王城……」
馬車が向っているのは、紛れもなく金の王国の国王が住まう城であった。
「あ、あの、ロストさん、どうして王城に、」
「どうしても何も、会場が王城の庭園なのだ。何も不思議はないだろう」
「そ、そうじゃなくて、あの、」
王城に踏み入れることに何の抵抗もないのかこの男は、と思うも、それを口に出す余裕もなく、少年はただ口をぱくぱくさせた。
「ああ、何も心配などしなくて良い。そのために身なりを整えたのだから」
とても似合っているぞ、と男は微笑んだが、少年の方はそれどころではない。
自分のような薄汚い子供が王城に立ち入るなど、どう考えても不敬だ。見つかったら追い出されるだけでは済まないかもしれない。厳しい仕打ちが待っていたらどうしよう。痛いのは嫌だし、辛いのも嫌だ。
ただでさえ余り良くはない顔色を一層悪くさせてしまった少年に、男は少しだけ首を傾げた後、そっとその頭を撫でた。びくりと怯えたような反応を見せた少年だったが、それでも男は撫でる手を止めなかった。
「私がいるのだ。お前に危害など、加えさせるわけがない」
それとも私が信用できないか、と問われ、少年は何も言えなかった。そんなもの、信用できるわけがない。つい数週間前に出会ったばかりの相手を、どうしてそうも信用できるだろうか。だが、何故だろう。どこかでこの声を聞いたことがある気がするのだ。何もかもがどうでもよくなってしまうような心地の中で、この声を。
だからだろうか。普段ならば頑として首を縦に振らないような状況だったというのに、結局少年は流されるままに王城へと足を踏み入れることになってしまった。
王城内部へと続く大きな門で、門番に招待状らしき書状を見せる男の様子をちらりと窺い見ると、男の堂々とした素振りに対し、門番の方は何故だか酷く慌てた様子だった。ちらりと聞こえた、ロンター公爵閣下、という言葉から察するに、午前中のあの店で見せた書面に署名されているらしい人のことだろうか。聞いたことがない名前だが、王城の門番がここまで焦るということは、思っているよりもずっと有名な貴族なのかもしれない。
現実逃避にそんなことをぼんやりと考えているうちに、いつの間にか馬車が停まり、少年は男に促されてのろのろと馬車を降りた。そのまま、どうやら歩幅を合わせてゆっくりと歩いてくれているらしい大きな背を見失わないようにとついていく。男は時折振り返って様子を見てくれるから、はぐれることなど有り得ないのだろうが、それでも不安なものは不安だ。周囲には綺麗な服装の貴族らしき人物がちらほと見えていて、恐れ多いやら何やらで内心泣きたい気持ちでいっぱいになる。男を信用している訳ではないが、今は男以外に頼れるものが何もなかった。
だが、少年のその心境は、会場らしき王城庭園に辿り着くと全て吹っ飛んでしまった。
広大な庭園の空に浮かぶ、幾多もの魔術燈籠。男曰く、魔術と錬金術を緻密に織り交ぜて作られたというそれらは、それぞれ異なった幻を宙に投影して舞っていた。見事な角を持った純白の一角獣や、大きな羽のような耳を羽ばたかせて飛ぶ姿が愛らしい不思議な獣、それぞれ赤と青と緑と橙色を纏った人型は、恐らくは四大精霊の姿を模した幻影なのだろう。それらよりも大きな燈籠からは、この次元には存在しないと言われているドラゴンの姿まで投影されている。
今挙げた燈籠から映し出される幻影たちは、どれも少年が息を飲むほどには美しく素晴らしいものばかりであったが、中でも目を引いたのは、庭園中央の高みに浮かぶ一際大きな燈籠だった。遠目からでも察するに余りある精巧な細工は、浮かぶ燈籠のどれよりも作りこまれているように見えた。だが、あの大きな燈籠は一体何を映しているのだろうか。この場における一番大きな幻影はドラゴンだが、あれを投影しているのは、左の方にある大きな燈籠だ。そして、中央の燈籠はそれよりも遥かに大きかった。
少年が内心で首を傾げていると、いつの間にか寄り添うように隣にいた男が、少年の視線の先を見て、ああ、と口を開いた。
「あれは星空を投影しているのだ」
「星空、ですか……?」
「見上げてみると良い。実際は、このような都会でこれほど見事な星は見えんよ」
言われ、空を仰いだ少年は、思わず感動の声を漏らしていた。
「わぁ……綺麗……」
それは、少年が今まで見たどの星空よりも美しい、輝く星で満たされた夜空だった。確かに都会であるギルガルドではこれほどの星は見えないだろうが、かつて少年が歩いた旅路の中でだって、ここまで見事な星空は拝めた試しはない。あまりの美しさに少年が、ほう、と溜息を吐き出せば、隣にいた男もまた、星空を見上げて目を細めた。
「輝きが弱くて実際の夜空ではどんなに目を凝らそうとも見えぬ星も、投影されているのだ。事実のそれよりも光度を上げているのだろう。故に、ここまで完成された夜空を作ることができる。言うなれば、これは星座盤をそのまま夜空に映し出しているようなものだな」
星空に見惚れていた少年の耳に男の説明はあまり入って来なかったが、それでもこの夜空がとても美しくて、そして同時に本物ではないということだけは理解できた。それでも、こうも美しくあることができるのならば、偽物か本物かなんてこの際関係ないのではないだろうか。
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