潜入 1

 常連客の発した『裏カジノ』という単語に男が顕著に反応を示したのは、謎の告白から数日たった後のことだった。

 発言した本人が僅かに呼吸を乱したことから察するに、例にもよって男の巧みな言述に乗せられて口を滑らせてしまったのだろう。

 金の国では、賭け事の類は賭博法により厳しく管理されている。わざわざ裏とつけるあたり、法に準じた賭博ではないだろうことくらいは、まだ二十にも満たない少年でも想像できた。同時に、思わず顔を顰めてしまう。

 面倒事や厄介事はごめんだ。少年はただ、平和に平凡に過ごせれば良いのだ。だというのに、異国の男はまたしても少年の平穏に影を落として来る。

 どうかこれ以上に詮索はしてくれるな、という少年の願いも虚しく、災厄の権化のような男はやはり、少年が最も望まない行動を取るのだ。

「裏カジノ、か。それはそれは」

「あ、いや、今のは、」

「いやはや、ちょうど良い。実は私もそういった類のものに興味があってな。これまで様々な国を渡り、数多くの娯楽に興じてきたが、どの国でも国家公認の賭博は刺激が足りなくていけない。特にこの金の国ではなぁ。……あまり声を大にしては言えんが、この国は窮屈だろう? そろそろ危ない橋を渡ってでも刺激を求めようかと思っていたところなのだ」

「……そりゃ本当かい? 他の国でも非合法なお遊びをしたって?」

 疑うような目を向けられた男だったが、全く気にした様子もなく微笑んで返す。

「本当だとも。そうだな、それでは信じて貰えるよう、私が経験した面白い話でもしようか。折角だから店主殿も聞かないか?」

 どう考えても耳に入れない方が良さそうな話だ。聞こえないような場所に移動しようかどうか考えあぐねていた少年は、突如振られた話に、しかし笑顔で拒絶を示す。

「いえ、僕は他にやることがあるので」

 やんわりと断ったところでこの男ならば強引に話を進めるかと思ったがしかし、少年の予想に反して、それならば仕方がないな、と男はすんなり引き下がった。

 以降の話は若い店主の知るところではない。だが、やけに満足そうな顔(といっても相変わらずその造形は曖昧だが)をした男が珍しく日が沈む前に店を出て行った後、残っていた常連客が随分と妙な顔をして少年を見た。

「キョウヤくん、あいつは一体何者なんだい?」

「……さあ? 僕も詳しくは……。……そんなに変な話だったんですか?」

「変というか、思っていた以上に危ない橋を渡ってる男だなありゃ」

「危ない橋……」

 少年の呟きに、客が深く頷く。

「いや、俺もね、決して堅気とは言えないような生活をしてるが、あいつはちょっとレベルが違うな。裏稼業に携わる連中は多く見てきたが、それでもここ金の国は平和な国だ。この国にいるならず者なんて大概が半分牙の抜かれた獣みてぇなもんさ。だが、あの男は違う。聞けば、あの銀の王国、エルキディタータリエンデの裏のことまで深く把握してるみてぇだ。他の国のこともよく知ってるようだったが、中でも銀の国は特にやばい。リアンジュナイル一の大国だけあって、裏稼業の人間だっておいそれとは手を出せないような闇の部分を多く抱えてるって噂だ。だってのに、奴はその闇に紛れこんで危ないお遊びに散々興じたらしいぜ? ……良いかい? あいつはかなり危ない男だ。キョウヤくんみたいなお日様の元で生きる子は、あんまり関わっちゃいけねぇよ?」

 関わりたくなくたって向こうから関わってくるのだ、というのが本音だったが、勿論それを口にすることはなく、少年はただ曖昧な微笑みを浮かべて頷いた。

「はい。有難うございます」

「ははは、キョウヤくんみてぇな腕の良い刺青師がいなくなったら、俺らみてぇなのは困るからねぇ。また今度新しいの彫って貰おうと思ってるから、良い図案を考えておいてくれよ」

「喜んで。それでは、次にいらっしゃるときまでにいくつかお客様に似合いそうな図案を考えておきますね」

「よろしく頼むよ」

 機嫌が良さそうな顔で笑った客が、それじゃあ、と言って店の戸を潜り出て行く。その背中を見送ってから、店主は深々と溜息をついてソファに沈み込んだ。

 あの男のことはこれまでも厄介だと思っていたが、ここまで面倒な人間だとは思っていなかった。何よりも正体が一向に掴めず、出てくる情報全てが男の怪しさを増幅させるものばかりである。先程の客の忠告がなくとも、あんな得体の知れない男と関わるだなんて願い下げだった。しかし、

 カラン、と、玄関のベルが鳴る。嫌な予感と共にそちらに目をやれば、案の定、あの男が立っていた。

「おや、先程の彼はお帰りになったのかな?」

「はい。貴方は忘れ物ですか?」

「ああ、いや、ふと思い立ってな。店主殿をお誘いしに来たのだ」

「……誘いに?」

 明らかに訝しむような顔を向けた店主に、男がお決まりになった人当たりの良い笑顔を浮かべる。

「ああ。今宵、教えて貰った場所に遊びに行こうと思っているのだが、良ければご一緒にいかがだろうか?」

「お誘い有難うございます。ですが先程のお客様に新しい図案をご注文頂きまして、暫くは忙しくなりますので」

「ふむ。それは残念だが、致し方あるまい。それでは一人で遊んでくるとするかな」

 本当に残念だと思っているのかもよく判らないが、兎に角男はそう言うだけ言って、やはり思った以上にすんなりと引き下がった。確証が持てない以上何も言えないが、少年にはどうしても、男が今夜裏カジノとやらに行くことを、わざわざ自分に宣言しに来たような気がして仕方がなかった。しかし、それを自分に宣言したところで何があるとも思えない。では、一体何のために……?

 考えようとした少年だったが、すぐにその思考を止めてしまう。あんなどうでも良い男に使う時間が勿体ないからだ。そもそも、あの男の考えが判ったところでどうということもない。結局は、天ヶ谷鏡哉という個に対する不利益さえなければ、関係のない話なのだから。

 こうして、全てを見なかったこと聞かなかったことにしながら、少年は日常へと戻って行ったのだった。

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