幸福論

英 蝶眠

EPISODE


 しょっちゅう人は出入りした。使っている断裁機の刃を研ぎに来る刃物屋、綴じ込みの機械を修理するメーカーの担当、印刷屋のルート回り、社用車の営業…と毎日誰かは大人がやって来る。


 自ずと娘のみなほは、大人の目に注意を払う、あまり可愛いげのない性分になっていた。


 みなほの実家の有村製本所は特に仕事が早かったのもあって、大手が嫌がる量の少ない振り込み用紙や、書式の決まっている神社の書類の綴じ込みやら、大した金にはならないがとにかく忙しい町工場である。


 父親はみなほを早く仕事に出したかったらしく、学びたかった服飾の専門学校には行かせてもらえず、高校を出ると医療の研究所の臨時に雇われた。




 いっぽう。


 弟の一徹かずゆきはのんきなもので、生来のメカ好きと機械いじりが高じて、隣町のバイク屋に入り浸って、そこで分解やらオーバーホールやら覚えて、みなほが気づいたときには整備士の資格を取って、千代崎で店を開いて独立していた。


 末っ子らしい要領の良い弟で、


「姉やんが婿さん取って工場嗣ぐから、うち何もやらんでえぇねん」


 と日頃からうそぶくような弟で、気ままなだけに父親とは反りが合わず、


「別にうちが嗣がんかったかて、世の中そんな変わらへん」


 などとしたたかに放言し、それが余計に父親の反発を買っていたりもした。




 やがて。


 みなほが臨時の雇いから正社員になった頃、実家で父親が脳溢血を起こして入院し、製本屋を畳むことになったのだが、


「どうせうちのオトンは、姉やんだけ大事でうちなんかないがしろなんやし」


 と一徹は言い、病院からの帰りしなに役所に出向いて戸籍を抜いてしまった。


 これには母親もあきれたが、


「まぁあの子は頭ごなしに言うとますます反抗しよるから、どうしょうもあれへん」


 と、最早諦めている様子もあった。




 それからほどなく、みなほに東京への転勤の辞令が出て、みなほは単身で東京へ下った。


 新大阪を旅立つ朝、母親とイトコはみなほを見送りに来たのだが、


「どうせみんな姉やんだけ大事なんやろから、仲良しこよししとったらよろし」


 と一徹は見送りにすら来なかった。


 あまりの一徹の薄情ぶりにみなほは腹も立ったが、名古屋を過ぎたあたりでみなほは、


「まぁもう戸籍も外れたんやし」


 と独り言をもらし、絶縁をするつもりで富士山をおかずに弁当を使った。




 みなほの東京の研究所の仕事は大阪の頃と変わらない。


 検体のラットを解剖したり、内臓を薄く切ってガラスにのせて顕微鏡で見られるようにしたり…といった作業である。


 チマチマした作業が得意であったみなほは、研究所の中では腕利きの研究員として仕事を任されていた。


 毎日定時に電車に乗って出勤し、定時に終わって退社し、近所のスーパーで好物のチョコレートを買って帰るのが日課で、特に目立つ挙措もない。




 家と研究所を行き来する程度であるから色恋もなく、浮いた話も聞いたことがない。


 逆に。


「顔がいいからって付き合うと金か体が目当てやから、男なんかろくなのがない」


 などと言うので、誰も近づかないのである。


「あれじゃあ寄り付くまい」


 などと上司の医師なんぞはこぼしたが、みなほはどこ吹く風といった面構えで、


「別に恋愛しなくたって死なないし」


 などと言い、貯蓄が貯まってゆくのが数少ない娯楽であった。




 そこへゆくと。


 一徹はかなり違う。


 まずやたらと女友達が多く、お世辞にも秀麗とは言えない顔であるにもかかわらず、どういうわけかモテるので彼女には困らなかった。


「バイクと女は維持費がかかんねん」


 などとうそぶきつつも、しかし恋人がひとたび出来ると、


「俺はこいつやないとイヤや」


 などと言って、途端に友達付き合いが減る。


「分かりやすいやっちゃなー」


 と揶揄されることもあるが、


「そんなんお前、モテてから言えや」


 などとやり返す。




 貯金はみなほほどあるわけではなく、その日暮らしになってしまうようなときもないではなかったが、


「悪い、うち今日は金ないねん」


 と悪びれる様相もなく空の財布を逆さに振って、仲間におごってもらったりもする。


 しかし。


 こういうとき一徹は、


「こないだおごってもらったから」


 と言って、どこかの社長あたりからもらったらしい、高そうなフルーツの詰め合わせやら、どう見ても値が張りそうな高価な物品を、惜し気もなく渡してしまう。


 むしろ。


 この気前の良さがあって、


「しゃあないなぁ、一徹が困っとんなら助けなあかんやないか」


 などと手を差し伸べてもらえることが、両の手に余るほどあった。




 数年、過ぎた。


 脳溢血で中った父親が他界し、通夜の席でみなほと一徹は同席した。


 が。


 ここで悶着があった。


 戸籍を外したのを理由に、みなほだけが施主に座って、一徹には香典を要求したのである。


 みなほにすれば、


「あんたはもうこの家の人間ではないから」


 という、当たり前といえば当たり前の理屈からの行動であったらしい。


 が。


「ついに本性出しよったな」


 というのが一徹で、


「葬式を口実に血を分けた弟から大金せしめるつもりやろ」


 と、満座の面前でみなほに一徹は言い放った。


 しかも。


 運の悪いことにみなほはすっかり関西弁が抜けている。


 これが心証を良からざるものにした。




 売り言葉に買い言葉が少しあって、


「そんならこの家はあんたが全部なんとかしなはれ。うちはよう知らん」


 と言い捨て、通夜の席を飛び出した。


 母親がみなほをなじるように、


「あんたがあんなこと言うからやないか」


 と責めたが、


「だって、あいつがあんなこと言うから」


 みなほは引かなかった。




 結局。


 一徹は告別式にも初七日にも、四十九日にもあらわれることはなく、そのままみなほがすべてを仕切って、一周忌が済むとみなほは母親を東京に呼び寄せた。


 かくして。


 東京での二人暮らしが始まったが、母親は一徹が乗る同じ車種のバイクを見ると、


「一徹じゃないかな」


 とつい見てしまう癖がついた。


「あいつは大阪なんだから、いるわけないでしょ」


 みなほには一徹の存在が忌まわしかったようで、


「あんなやつ早く死んじゃえばいいのに」


 と言いながらも、仕事では順調でもあったから、何の不自由もなく暮らせて行けた。




 いっぽうで。


 一徹も関西を離れた。


「こんなしみったれた場所におったって、ぐつ悪いしケッタクソ悪いだけや」


 そういうと千代崎のバイク屋を売り払い、愛車に身の回りの品だけ積んで、ツーリングで知り合った仲間の地元でもあった横浜へ移り住んだ。


 仲間の一人に不動産屋があって、居抜きで借りた鶴見の倉庫に寝泊まりしながら改装し、小さいながらもバイク屋を開いたのは、移り住んでから一年ほど過ぎたあたりである。


 関西弁は直らなかったが、


「気のいい関西弁のバイクの兄ちゃんがいる」


 というのですっかり鶴見の町に溶け込んで、保険の更新が終わる頃には、


「取り敢えず修理ならあそこだな」


 と、まるで地元に長いこと住み着いているような雰囲気すら醸し出していた。




 一人で気楽に、しかし金に苦労していた一徹であったが、平賀はるかという新しい恋人が出来ると、少しだけ風向きが変わった。


 はるかは見た目は明らかなギャルであったが、


「結婚したい人しか彼氏にしない」


 と公言するほど古風な側面があって、一徹もそういうはるかを大切にしており、


「はるかに関西弁やめぇ言われたら東京弁にする」


 と言い切ったほどであった。


 はるかには母親しかなく、しかも一人娘でもあったからか、


「新しく息子が出来た」


 とはるかの母親にも可愛がってもらえ、関西弁は直さなくて良いということになった。




 一徹とはるかが同棲を始めると、一徹ははるかに、


「うちな、婿になってもえぇで」


 とはるかに言った。


「でも兄弟はお姉ちゃんだけだって…」


 はるかは一瞬とまどったが、


「どうせな、みんな姉やんだけが大事で、うちなんかないがしろや。人間、生まれてから死ぬまで長い新喜劇みたいなもんやし、うちははるかがうちを大切にしてくれとるから、はるかのとこにおるのがえぇ」


 といい、はるかも最終的に折れた。


 はるかの母親はまさか一徹が婿になるとは思わなかったらしく最初は驚いたが、


「はるかのオカンのほうが、実のオカンより安心できる」


 という一徹の一言で、納得したようであった。




 そういったいきさつで。


 一徹とはるかは、一徹がわざわざはるかの誕生日を選んで入籍をした。


 が。


 式を挙げる費用はない。


 すると。


「サプライズさ」


 と仲間たちが、小さいながらも披露宴を用意してくれたのである。


 しかも。


 わざわざ会館を押さえ、仲間の一人が幼なじみのシンガーソングライターに頼み込んで、歌まで仕込んでいた。


 感動のあまりはるかは号泣してしまい、最後は目が腫れてしまうハプニングもあったが、


「みんなに祝ってもらって、こんなにいいことはない」


 と一徹は、あながち自分が歩いてきた過去が間違いでもなかったように思った。




 他方で。


 みなほは浮いた話すらなく、仕事が堅調なぶん貯蓄は増えたが、年老いた母と二人で暮らしていると、言い様のないさみしさのようなものを感じたらしい。


 一徹が結婚したのを知ったのもだいぶあとからである。


 一応母親にだけは知らせてあったらしいが、みなほの耳に届いたのは、半年近く過ぎてからの話であった。


 そのたびにみなほは、


「あいつは姉の私を何だと思ってるんだ!」


 と口癖のように怒りを露わにした。


 が。


 母親はそういったみなほに対し、


「あんたが一徹を閉め出したからやろ」


 と冷ややかに言った。


 この時期になると、母親はみなほの堅実な生きざまが、必ずしもみなほにとってプラスではなかったことを悟っていたらしかった。




 しばらくして。


 はるかの妊娠が分かると一徹は、


「これでうちもようやっと、まともな家族になれるんかなぁ」


 とつぶやいた。


 それまでの経過をそれとはなく聞いていたはるかにすれば、


「一徹は多分、誰かに愛されたくて頑張ってたのかなぁ」


 と感じていたようで、はるかはそれが真実と確信すると、一徹に前以上に寄り添うようになった。




 しかし。


 はるかの妊娠を喜んでいなかったのがみなほである。


「私、おばさんになるの?」


 まずこの一事だけを以てしても不愉快であったところに来て、仮に財産の分与や相続の話が出た場合、間違いなく独身のみなほより、既婚の一徹のほうが扶養があるぶん多く取ることは分かりきっている。


 取り分が減ることが何より腹立たしかった。


 しかし。


 一徹がはるかの平賀家へ婿に行っていたことで、その心配は杞憂になりそうでもあった。




 そうした雨の日。


 雨の路面でスリップした車が転倒して事故を起こし、巻き添えを食らったはるかが意識不明で運ばれたという知らせが、消防署から来た。


 母親が病院に行くと、一徹がいる。


 そこで母親は一徹を久しぶり見たが、そこで母親は一徹がすっかり大人になったことを知ったようであった。


「で、奥さんは?」


「ドクターの話だと、かなり厳しいみたいで…」


 泣いてはいなかった。


 張り詰めて気丈に振る舞っていたのかも知れないが、しかし一徹が芯の強いで男あることを、まざまざと見たような気がした。




 翌朝。


 はるかは息を引き取った。


 通夜の日、母親はその参列する人々を見て、考えさせられるものがあったらしい。


 ただのバイク屋の兄ちゃんの奥さんのはずなのに、会場となった会館の駐車場が、無数のバイクで埋め尽くされていたからである。


 ナンバーを見ると札幌や函館といったものもあれば、鹿児島や那覇、さらには普段見たこともない対馬や佐渡、あるいは奈良や山形と書かれたナンバーもあった。


 参列者のほとんどはライダーで、


「前におかみさんには、お世話になったから」


 と言い、早すぎる最期を惜しんでいた。


 そこに。


 みなほが来た。


 しかし気づいたライダーたちによって、人間の壁を作られてしまい、みなほは会場に入ることすら出来ず、諦めて帰るより他なかった。


 みなほの目には居並ぶバイクのミラーのシルエットが、何やら卒塔婆の林に見えて仕方なかったらしいが、少なくとも自分の葬儀のときには、こんなに集まらないであろうことを思い知らされたのか、余計に疲れた重い足取りで、タクシーを拾うべく、車通りのある国道めざして歩き始めた。






【完】

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