魔法使いの友達(origin)
ソウ
Origin
1
昔話をしよう。
千年たっても灼けつく未練から逃れられない、魔法使いの話を。
**
それは、白くて大きかった。
空にある時は小さくて黄色い、夏の果実のようなのに、ぐっと水平線に近づいた途端、偉大さと恐ろしさを増していた。
白く、大きい。光り輝くというにはどこか後ろめたそうで、照り返すというには静寂に満ちている。
僕はその時、暗い海の中、腹のあたりまで水に浸かっていた。もしこの腰から下がぷつんとどこかで置き去りになったとしても、この頭と腕だけは、この白い存在を変わらずに求めて進んでしまいそうだった。同時に、一歩も動けなくなりそうだった。
星も見えなくなるような、白。暗く冷たく線を引いた海の上に、絶望と恍惚を一緒に連れてくるようだった。
ざぶざぶ。
不意に聞こえてくる音にはっとした。急に手足や身体の冷えを感じた。白く大きな存在の圧倒から意識をはがし、もっと視野を狭くする。
それは、けれど同じ視界の中にあった。ざぶざぶ。白くて大きい月を背負いながら、何かがこちらへやって来る。ゆらゆらと、三角形の輪郭が揺れていた。
ざぶざぶ。
それが人の形だと気づいた時、そして人が波をかき分けるには速すぎるスピードで近づいてきているとわかった時には、もう目前まで迫っていた。三角に見えていたのは、帽子だ。
逃げようと思った。あれがなんだかわからないが、海の向こうから人間離れした速さで泳いでくるものなど、まず幸運なものではあるまい。
足を動かした。親指が軋むようだった。痺れている。冷たさの中、わずかな立ち泳ぎしかしていなかったからだろうか。動け、動けと、油のない歯車のような足を叱咤する。
その一方で、わずかな恐怖心よりも、ただただその姿を美しいと思っている自分がいた。
まるで、あの月が近づいてくるみたいだった。
幾人もの涙をかき分けるように、ざぶざぶと、大きく腕を振って近づいてくる。
「おーい」
その姿に声をかけられ、やっと足が動いた。だがもう逃れるには遅く、その人物のかき分けた波が胸をしたたかに打った。
「おーーーーい……ああ! 君だね、君なんだね!」
水滴を振らせながら、その人物が大きく腕を振る。僕をとらえた目が大きく見開かれ、一瞬のちには花が開くようにほころんだ。
「迎えに来てくれたんだ!」
ざぶ。
気づけば、手を伸ばせば鼻先に触れられそうな距離にまで、その人物は来ていた。
大きな三角のとんがり帽子。一本一本が透けるような、金色の柔らかい髪。朝の森の川のせせらぎのような瞳の色。年上に見える。布の多い服には小さな宝石が散りばめられていたが、そうでなくとも、彼の周りには光の粒が輝いていた。
「僕は君に会いに来たんだ。幾千もの夜と海を越えて、君だけに、会いにきたんだよ」
嬉しそうに瞳が細められ、ぎゅっと光が溜まる。帽子の影になっているはずなのに、ぱちぱちと爆ぜる目の色。ざば、と彼が水の中から腕を出した。白い手袋。袖口に、緑と赤の青の石。
彼の両手が、僕の両頬を包んだ。海の中にいたというのに、表面の冷たさの向こうには、しっかりと温かさを感じた。
水滴と、宝石と、それらに構わず飛び散る光の粒と、目の色と。全てが輝いていた。ちらと視線をずらす。首元の髪を透かして、背後の白い大きな光。
あそこに行きたかったのに。なにか、とんでもないものが来てしまった。
「あれ? 僕のこと覚えてない? そっかあ、もう何年も何年もたってしまったもんね……」
目がそれたのを、覗き込むようにして再度捉えられた。この目に浮かんでいる戸惑いと不干渉を、糸で繋ぎ止めるようだった。
何年、という響きには、百年、千年、の意味が重ねられている気がした。年上に見えるとは言っても、せいぜい自分と十も変わらないぐらいように思えたが――
いや、そうではない。
大きな帽子。変な色の目。爆ぜる光の粒。海にいても、冷えない身体。
現実離れした言動。
――彼は、魔法使いだ。
「うん、でも、いいや。また会えて嬉しい」
その魔法使いは、優雅に、そして無邪気に、微笑んでこう言った。
「僕を殺してくれるんでしょう?」
僕の身体は、冷え切っていた。
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