第2話 闇の脈動
”濡れ髪のゲラルナ”が失踪した。
その報は都市の至るところに激震を齎した。中でもエリカを誘拐するために、わざわざ高い金を払ってゲラルナと契約した集団の混迷具合は最たるものだった。
「畜生あの女! あんだけふっかけておいて消えやがって! 見つけたらただじゃおかねえ!」
頭目の男が絶叫に近い恨み言を吐き、室内のありとあらゆるものを壊して回る。部下たちは一切声を上げない。何を言ったところで怒りが収まることはないと知っているからだ。
しかし一人の少女だけは違う。落ち窪んだ目をくりくりと動かし、何がそんなに面白いのかニヤニヤとした表情で事も無げに頭目に話しかける。
「ボス、ボオース。そんな怒っても結果は変わらないんだからここは建設的な話をしていこーよー☆」
「俺はてめえにも怒り心頭なんだぞ、わかってんのかヒトカタァッ!!」
ヒトカタ、と呼ばれた少女は白黒のダボダボな袖で口を覆って笑った。乱乱と怪しげに輝く瞳は焦点が定まっておらず、有り体に言えば不気味極まりない。おちょくるような言い回しも相まって道化師的とさえ思える程だ。
「わかってるよおボスゥ~。だから、次はどうするかって話を――」
「そもそもてめえが遊んでるから失敗したんだろ、どう責任取ってくれるんだあぁ!? その貧相な身体じゃ全然満足できねえぞ!」
「うっわ~ちょーぜつキレてて笑える☆ でもさあ」
なおも怒り狂う頭目に、ヒトカタは右手を突き出す。
刹那。暴れる頭目の首に、炎の輪がかかる。突然の高温に晒された頭目は狼狽し、その動きを止めた。
「人の話くらい聞いたらどうなの」
氷のように冷たい声色が響く。ヒトカタの表情は先程までと変わらない軽薄な笑を浮かべている。だが言葉の重みが違う。熱波に皮膚が焼かれているというのに、頭目は心底震え上がった。
「……わ、悪かった。つい気が立って当たり散らしちまった。すまねえ」
「ん~ん、わかればいいよぉ~♪ じゃ、これからのことお話しよっか☆」
「そ、その前にこれを……」
炎の輪はそのままに、ヒトカタは話を続ける。
「わちさ、維持局からの奪還なんて無理だって口酸っぱく言ったよね□ わち的にはいいよ、わちを殺してくれる人がいるかもしれないし、なにより面白そうだから。でもさあ、作戦的にないってわかってたじゃん。村からの誘拐、維持局からの強奪、全部ゴーサイン出したのはボスだよねえ□ 自分の無能を棚に上げてなに偉そうにキレ散らかしてるのって話じゃなーい□」
「わかった! 俺が全部悪かった! だから早くこの輪を解け!」
輪が徐々にその直径を狭め始める。髪はチリチリと焼け、今にも肌に触れそうなほど小さくなっている。だというのにヒトカタは気にせず話を続ける。
「もともとさあ、
「お前の、力は認めてるッ! だから、これを早ッ!?」
既に輪は肌に食い込んでいる。触れた箇所から血が吹き出るが瞬間的に蒸発し、何とも言えない匂いが辺りに漂う。破れかぶれに引きちぎろうと輪に手をかけるが実体がないのか触れることもできず、かえって指に火傷を負う始末。どうにかしろと部下たちを見回しても一切動こうとしない。それどころか笑いをこらえているようにすら見える。
頭目は遅まきながら悟った。
これは公開処刑の場なのだ、と。
「てめえら! 俺がこのガキを殺ったらどうなるかわかっ――」
パチンッ。
少女が指を鳴らすと、炎の輪は急速に縮小し頭目の首を焼き切った。
恐怖と怒りが混じった表情とは裏腹に、コロコロと転がる頭。
「バカだよねえ~。見た目だけで御し易いと思ったんだろうけど、わち克服者だよ□
そんなわけないじゃんね。ね□」
「え……あ、はい」
唐突に話しかけられた男はどもりながらも答える。頭目に対しては同情していない。部下をこき使い、失敗すれば怒鳴り散らし、分け前は牛耳り、部下の女にですら手を出すクズだった。
それでも頭目足りえたのは単に腕っ節によるものだ。ただただ強かった。恵まれた体躯から放たれる凶悪な拳に沈んだごろつきは数知れず、そんななりにも関わらず素早い動きで相手を翻弄する俊敏さ。どれをとっても一級品だった。
それも一般人にとってはの話だった。
克服者の、しかも少女と呼んでも過言でない子供に、成すすべもなく殺された。一方的……なんて言葉では片付かない。まるでその辺を散歩するかのような気軽な雰囲気で。
男は本物の暴力を見た。少女の見た目をした化物。人が関わっていい存在じゃない。
「さ、続きをしよっか☆」
「続き……?」
「何言ってんの、維持局から女の子さらうんでしょ□ 売り捌かないとボスが無駄死にになっちゃうよ↓」
お前が殺したんだろ、とは口が裂けても言えない。それに維持局から強奪するのは無理だと自分で言ったじゃないか、とは死んでも言えない。
ヒトカタはケタケタと肩を揺らして笑っている。その瞳には闇より昏い光が宿っており、おおよそ人間とは呼べないと改めて認識する。
こいつは狂気だ。人の形をした狂気の塊だ。
「ささ、はやくやろうすぐやろう、なんなら正面突破で突撃しよう。なになに、失敗しても死ぬだけさ☆」
自分達の運命はこの悪魔と手を結んだあの時に終わっていた。
これは話しかけられた男だけじゃない、その場にいた全員が共通認識といて持った絶望だ。
しかし、彼らはまだ分かっていなかった。
レッドラム世界新聞社、専属ライターが一人『ヒトカタ』
彼女の深淵には未だ、光すら当たっていないということを。
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