五つの扉を廻る陰陽儀~或いは非モテ少年とリタイアおっさんの奮闘記~

稲荷玄八

プロローグ 世の中に見切りをつけたおっさん、田舎ものと出会う。

第1話 改めて思う、この世界はクソだ

 俺の人生ってやつは、一言で言えば灰色だ。

 いや、灰色なんて少しでも明るさがあるように言ってしまっては語弊がある。


 本当は、黒。

 上下左右、過去現在、未来に至るまで真っ黒に塗り潰した。

 しかもだ、この黒は純粋な黒じゃない。

 赤だの青だの白だの緑だの。

 たくさんの色が混ざり合ったような酷く汚い黒色だ。

 

 俺を取り巻く全てが俺を阻み、

 俺を俺と成している全てが邪魔をする。


 そんなどうしようもなくムカつく俺が生きている世界ってやつは、俺に似てどうしようもなくクソらしい。わけのわからねえ病気が満ちてるわ、世界を回している連中は一人残らず悪者だわ、下で働く連中に至っては悪を悪と認識すらせずにいる。悪循環って言葉がこれほど似合う環境もそうないだろう。


 そんで始末に負えないことに悪ってのは休むってことを知らない。

 いついかなる時も、いかなる場所でも悪はのさばっている。


 今、目の前でも。


 霧煙る市街地、路地裏にて。

 異様な雰囲気を発しながら足早に駆ける黒ずくめの男たち。

 抱える大きな黒いずた袋は時折弱々しく動き、中身が容易に想像できる。

 中身がなんであろうと、その未来に光はない。闇から闇へ、誰に知られることもなく溶けていくのみだろう。

 

 俺にやれることはない。なにせ俺は浮浪者だ。服とは言い難いボロを纏い、髪もヒゲも伸び放題。今日を生きるも死活問題な俺に一体何ができる? それに関わればどんなことになるか嫌というほど知っている。仮に万が一にも助けたとして、どうせ意味はない。

 ここは魔都。命がゴミのように扱われるような場所だ。

 無意味な行動をするほど、俺はバカじゃない。町の連中だってそうだ、誰もが見て見ぬふりをしている。この世界で生きていく上で絶対に違えてはいけない不文律。関係ないことには首を突っ込むな、正直者はバカを見る、だ。


「見つけたぞてめえら! エリカを離せ!」


 しかしどこの界隈にでも馬鹿ってのはいるもんで。

 歳の頃は十代後半だろうか、まあ俺から見れば少年といっても過言ではないガキが、黒ずくめの男どもに怒声を上げて真っ向から突進していた。不意打ちに近い攻撃に男たちが浮き足立つがそれも一瞬。直ぐに統制の取れた動きでガキを牽制し、ずた袋を抱える数人は足早に去ろうとする。それだけで男どもが組織的に活動しているとわかった。気の毒だが仕事の邪魔をした以上、あのガキは生きて帰れないだろう。


「まちやがれ! こんのっ!」


 お? 

 雑多に積まれたゴミを投げて先行して逃げていた男へと命中させた。その上、囲んでいた数人の男にもしっかり牽制している。思ったよりやるな。


「…………」

「っち! ガキ相手に抜くほどの事なのかよ」


 男の一人が合図をするとほか全員が抜刀し、ガキと相対した。ずた袋を抱えていた連中もだ。面倒と見るやいなや障害を優先して排除する姿勢。こりゃ単なる人身売買ってなわけでもなさそうだ。もっとずっと根が深い。

 六人に囲まれた少年は奮戦している。が、明らかに多勢に無勢。しかも攻め手の男たちに隙はない。正々堂々やりあうのではなく、ガキを殺すためだけの攻撃のみに集中している。いくら戦闘センスがあろうが、あれでは長く持つまい。

 俺は踵を返す。これ以上の残虐は見たくない。


「…………どうせ、俺には何も」

「……けて」

「…………」


 微かな声が俺の耳朶を打った。

 雨音と、男たちの乱暴な声と、殺意の中で。

 透明で、澄んでいて、それでいて悲痛な声。

 声の主は分かっている。誰に声をかけたかなんてそんな野暮なことは言わない。

 振り返るべきじゃない。振り返ればきっと後悔する。こんな現場、俺は幾度となく経験してきた、見過ごしてきた。

 今更……今更耳を傾けてどうする。俺には……俺になんて、なにも。


「…………!」

「…………♪」

「くっ!?」


 脳裏に懐かしい光景が浮かぶ。それは遠い昔に灰となって消えた思い出。久しく見ていなかった幻想。小さな手が服を引いた気がした。分かっている、そんなのは気のせい。絶対にあるわけない感覚。

 だが、振り向かずにはいられない。


 少女と目があった。

 ずた袋から半身を晒し、太陽の下で見たらとても綺麗であろう青髪を振り乱し、ガキに群がる男の脚に噛み付く姿。雨と涙と鼻水で顔はドロドロで、それでも意志の強そうな瞳に生気は衰えることはなく。

 そんな彼女と、俺は目があった。

 その目が如実に俺を非難している。

 何をしているのか、と。どうして動かないのか、と。

 

 バカ野郎、俺はもう世俗と付き合うのはやめたんだよ。こんなクソみてえな世の中に正義なんてありゃしない。どこもかしこも嘘だらけ、善は駆逐され悪だけがのさばる末世なんだ。誰かを助けるために、自分の命すら投げうとうとするような馬鹿じゃ生き残れない。ちっぽけな正義感を振りかざして首を突っ込んで、死んだら元も子もないんだ。

 だと、いうのに。

 脳は答えを持っているというのに。


 気が付けば俺は走っていた。

 心臓が早鐘を打ち、体が燃えるように熱い。

 首を突っ込めばどうなるかぐらい、わかっているだろ俺よ!

 なのになんでこんなに楽しい、喜んでいるんだ!?


 世の中の全てに嫌気が差して、何もかもどうでも良くなって。でも死ぬことすらできなかった臆病な俺だというのに。


 くそったれ!

 何もかも、あの馬鹿ガキ二人のせいだ。

 俺の前で、死ぬようなことしてんじゃねえよ! 

 寝覚めが悪くなるだろーが!! 

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