第32話 役に立ちたい

 ああ、駄目だ。善意で言っているだけの方々に、歪んだ顔を見せる訳にはいかない。

 私は顔を取り繕い、代わりに思いを込めて言葉にする。

「ありがとうございます。でも……、毎日の中で困る事は何もありません。私も一緒に暮らしだして、驚くぐらいです。あの人達は人間と同じように笑い、悲しむ方々でした。失敗する事があれば謝罪の為にケーキを買ってきて、私が喜べばそれを習慣にしてしまうような。そんな平凡さがあの家にはありました。過ぎた時間に無力を泣いて、今を生きようと努力する。何も、私達と変わりません」

 私が無害な笑みを浮かべてそう伝えると、オールポート夫人とバラクロフ夫人は少し目を見開いて驚いたようだった。

「ですから、私の夫が天来衆だからという事でのお力添えは不要です。でもお気持ちはとても嬉しく思います」

 少し無礼な事を言ってしまっただろうか。

 心配したけれどオールポート夫人とバラクロフ夫人は穏やかな笑みを浮かべ、気分を害していない事を示してくれる。

 しかし一人、ライアンズ夫人だけが私の言葉を拒絶するように硬い表情を浮かべて言った。

「信じられませんわ」

 それは明らかに何かを抱えた人の反応だった。ライアンズ夫人の言葉を皆が少し緊張した空気で待つ。

「もしも天来衆の皆様が、私達に本当に協力的でしたら……戦争であれほどの悲劇は起きなかったでしょう。姿形を変えられるのであれば、その手でオルテガ皇帝の首も取れたはずです。それをせずに戦争を続けさせたという事は、私達の事などどうでもよいと思っているからに違いありませんわ」

 恨みさえ滲み出てくるその言葉に、残りの二人はお互いに顔色を窺ってどう空気を戻そうかと考えているようだった。

 社交の場などとうに慣れている筈の二人でさえ、彼女のこの様子は扱いかねるような事態なのだろう。

 それは身内に戦争の犠牲になった人がいたのかもしれないと、私にさえ察せられる心の痛みがそこにあった。

 ライアンズ夫人に何と声をおかけしたらいいのかとても迷う。けれどしないという選択肢は無かった。

 私はロードリックの妻であり、彼の苦労を皆に理解してもらいと願っている。

 だから恐る恐る、ライアンズ夫人の悲しみを深める事だけはしないように注意しながら口を開いた。

「私はロードリックの事情を始めて知った時、何て特別な恵まれた能力の持ち主かと驚きました。人間にはできない事を容易くやってのけ、更には寿命さえないですから。羨ましいとさえ思っていました」

 三人の静けさに守られて、私は次を続ける事が出来る。

「でも、違いました。ロードリックは忙しい時には寝る間も惜しんで働き、目の下に隈を作って意識が朦朧とするほどです。彼にとって天来衆の皆は家族で、彼らが敵地で生き延びる為に必死でした。私はあの姿を見てしまっていますから、とても後方で命の危険が無いからと呑気にしているようには思えません。どうか、この国の為に別の形で戦っているのだと思ってはいただけませんか」

 ライアンズ夫人の答えは無かった。ただそちらも葛藤しているようで、上手く言葉に出来ないだけなのかもしれない。

「それに恐らく……ロードリックにとって、命の価値は人間とは違うかもしれません。でも、それは逆の意味です」

「逆……?」

 ライアンズ夫人は理解できないと言った様子で片眉を上げた。

「他の天来衆全ての意見ではありませんが、少なくともロードリックは全ての命をとても大事に考えているようです。だって彼には……四百年前の人間の死でさえも未だに悲しむべき昨日の出来事ですから。命の重さがは数百年、数千年、あるいは数万年の時間に等しいのです。百年程しか生きられない私達には……彼にとっての命の重みを知る事は難しいかもしれません」

 ロードリック以外の天来衆が、彼ら全体を守る為に私を殺そうとした事はあえて伏せる。天来衆の長の考えが、今の場では大事なのだから。

 私の言葉に耳を傾けてくれていたライアンズ夫人の目から、少し涙が溢れた気がした。

 彼女はそれをすぐに隠す様に指で拭い、無理矢理に口で笑みを作る。

「……ごめんなさい。酷い事を言いましたわ。少し、離れますわね」

 そう言って、ライアンズ夫人は部屋から静かに出て行ってしまった。

「あの方の仲の良かった従兄弟が亡くなられているの」

 バラクロフ夫人が彼女の異変の理由を教えてくれた。私は上手く、ロードリックの事を伝えられただろうか。

 不安に思っていると、オールポート夫人が娘に対するような優しい眼差しで言ってくれた。

「大丈夫よ。きっと分かって下さったわ」

「出過ぎた真似をしました」

「何を言うの。ずっと知っていた筈のロードリック様に、違う面もあるのだと貴女が教えてくれたんですよ。他の誰にも出来ない事です。私達もロードリック様も、きっとお互いに接するのが下手なんですわ。けれどクラリスさんならそれを埋められるでしょう」

 褒められすぎて、私は熱に侵されたように頭がぼんやりとしてしまうほどだった。

 オールポート夫人は紅茶をカップに注ぎなおし、少し間を開ける事で会話を仕切りなおした。

「所で……私達に何か話したかった事があったのではありませんか?」

「……はい」

 私はこの方々に聞くには余りにも些細な、でも他に誰にも尋ねる事の出来ない質問をした。

「私……何をすればいいでしょう? ご存じの通り、私は只の庶民でした。貴族の妻になる教育は受けて来ていません。……いえ、仮に受けていたとしても、あの家では妻としての仕事はとても少ないように思えるんです。ロードリックの力になりたいのに、何をすればいいのかも分からない。そして、彼の秘密から相談できる人さえ限られてしまいます。こんな小さな悩みでお時間をお取りしてしまって、とても申し訳ないのですが」

 普通の貴族の妻ならば使用人達の雇用や財務に携わったり、あるいは社交の場にでて交友関係を広げるなどの仕事があるだろう。

 けれどロードリックの妻として、求められるものはそこにはなかった。

 愛してくれるロードリックに、言葉を返せない代わりに何か役に立ちたいと強く思う。

 バラクロフ夫人が微笑ましそうな様子で私を見た。

「貴女は……ご自分のお力に気が付いていないのね」

 私は何かを見落としているのだろうか。首を傾げる私に、オールポート夫人が言葉を続けた。

「クラリスさん。それは、私が答えを言う事ではないと思います。一番ロードリック様の近くにいる貴女だからこそ、その答えを知れるでしょう」

「私だからこそ?」

「はい。もしかしたら、もう既に心では知っていらっしゃるかも」

 言われて私の心に浮かび上がったのは、ハーヴィーの血統の事だった。

 彼が最も求めているのはそれに違いない。もしも血統が残っていたとしたら、ロードリックはとても喜ぶだろう。

 それだけでなくロードリックを遠巻きにする人間達も、国を守る理由の一つを目の当たりにして親近感を覚えてくれるのではないだろうか。

 しかし所詮それは妄想に過ぎず、実際はもう途絶えてしまっている筈である。

 ……それは、本当だろうか?

 諜報員から報告は既に終わっている。けれど何故か、もう一度自分の目で調べなければならないような気がした。

「もしも迷われたなら、また私にお話しくださいな。今度は是非、家に遊びにいらしてください」

 私は彼女達の心遣いに感謝し、深く頭を下げた。

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