第27話 何もいらない

「何も全て読む必要はありませんよ。ただ私は、少しでも貴女の好むものをあの家に置きたいのです」

 こんな時、悪女のように当然のような顔をしてしまえればいいのに。

 私は何を言ったらいいのか分からず、ただ顔を赤らめて狼狽える。

「他に見たい本はありますか?」

「い、いえ! そんなに買ったら家が本で溢れてしまいますよ?」

「なら、一棟敷地内に図書館を作りましょう」

 どうしてそうなる。私は自分の死後、何も残したくはないのに。

 冷たい墓石に足繁く通い続ける彼の姿を見て、私はどんな痕跡も残したくないと思った。以前ロードリックに墓を作らないで欲しいと言ったのも同じ理由だ。

 遺品一つさえ残さず燃やしてほしい。そうでなければロードリックはそれに囚われ続けるだろう。

 それなのに痕跡たっぷりの図書館なぞ作ってしまえば、意味がなくなってしまう。

「大丈夫です。そんな大事にされると困ってしまいます」

 首を横に振れば、残念そうにロードリックは溜息を吐いた。

「分かりました。この話は後々しましょう」

 全然分かっていないようである。けれどロードリックはそれ以上聞いてくれる様子もなく、私の手を引いて歩き出す。

「では、次の場所へ移動しましょう」

「今度は何処へ?」

「家具屋です。クラリスが気に入った調度品を選んでください。机でも、箪笥でも、花瓶でも」

「いえ。今の物で全て満足しています。新しく買う必要はありません」

 私の言葉を聞いてロードリックは立ち止まると、私の顔をじっと見つめる。

「私は、それほど甲斐性の無い夫でしょうか?」

「いえ。そう言う訳ではないのです」

「では何故。クラリスが欲しい物ならば何でも良いのですが」

「満たされているからです。だから、これ以上何もいりません」

 これは本当だ。ロードリックは私にとても気を配ってくれていて、あの屋敷の中で不便を感じる事は無い。

 庭いじりをしたければ誰にも止められはせず、好きなだけ本を読めて、食事も私の嗜好に合わせてくれている。

 ロードリック自身もこまめに手土産を買ってきてくれて、少しでも時間があれば顔を見に来てくれる。

 これ以上、何を望むと言うのだろう。

 しかしロードリックは眉間に皺を寄せて険しい顔をした。

「……私には、とても足りません」

 そして私から顔を背け、馬車へと歩き出してしまった。

 少し機嫌が悪くなったのか、馬車に乗り込んだ後も暫く口を開く事もなく沈黙が二人の間に落ちる。

 少し頑なに拒み過ぎただろうか。

 けれどロードリックの為を思えば、彼の言う通りに物を欲する事は出来なかった。

 静かさに気まずくなって顔を俯かせると、膝の上にあった私の手にロードリックの手が重なった。

 視線を彼の顔に向ければ、険しさは無くなって静かに私を見つめていた。重なる彼の手に力が籠められる。

 口では何も言わないのに、彼の手はその間にも私の手を撫で、指を組まされて繋がれた。

 足りない。

 そんな彼の心情が伝わってくるようで、私は気まずさとは別の意味で視線を合わせられなくなってしまう。

 ふと、どうしてロードリックが私に物を選ばせようとしているのか気が付いてしまった。

 これは悠久の時を生きる、彼なりの準備だ。

 私がただの物言わぬ土塊になった後も、物によって思い返せるように。

 ならば尚更、それに応える訳にはいかなかった。

 そう決心したのに、暫く街中を走っていた馬車が止まった場所に驚いてロードリックの顔を勢いよく見てしまう。

 彼はまるで悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべ、馬車から降りて私に手を差し伸べた。

「さあ、行きましょう。キーリー宝石店へ」

 久しぶりの両親は、客として入って来た私を見て目を大きく見開いた。

「クラリス!」

 母さんが満面の笑みを浮かべて駆け寄り、私を抱きしめてくれる。

「久しぶり。母さん元気にしてた?」

「勿論。クラリスこそどうなの? 無理はしてない?」

「うん。とても良くして貰っているから、この通り元気よ」

 母さんは体の無事を確かめるように私の両腕を触りながら、笑顔の私を見て漸く安堵したようだった。

「なんだ、帰って来るなら言ってくれればよかったのに。……と、これは失礼を。お久しぶりです。ローランド様」

 父さんが目上のロードリックに先に挨拶をし忘れた事に気づき、慌てて頭を下げる。

 それを咎める事もなく、ロードリックも久しぶりの親子の再会を見て目を細めた。

「私の義父なのですから、どうぞ気楽にしてください。突然失礼しました。私の行動を事前にお知らせする訳にもいかないもので」

「ああ、そういう訳でしたか」

 ロードリックは方々から色々と狙われている人なので、予め行先を告げる事は無いらしかった。

「それと、今日は客として来ました。クラリスに似合う、普段つけていても邪魔にならない物が良いのですが。石は一番良いものでお願いします」

 それを聞いて父親としての顔に商人の顔が混じる。

「分かりました。必ずご要望にお応えします」

 母さんは娘が大事にされているのを知り、温かい目を私に送った。

 嬉しいけれど、少し恥ずかしい。

 まさか贈り物を断って、こういう手段に来るとは思わなかった。両親の店ならば確かに贈り物を断る訳にもいかない。相手が一枚上手だった。

「指輪などですと流行りのデザインはこの辺りですね。大きめの石を使って埋め込むのが主流です」

「これだと普段使いは難しいので、細身の物でお願いします。いえ、いっそ新しくデザインしていただけますか? こういった蔦のパターンはどうでしょう」

「いいと思います。その分値段と時間がかかりますが」

「急ぎではありません。一番いい物を用意したいので」

「かしこまりました。石は小さい物であれば今あるのはこの辺りですね。ピンクアラグ、トルカリア、アドラテリア。どれも非常に希少な物になります」

 どんどんと二人の話が進んでいってしまう。

 小城が購入できそうな価格の指輪が出来そうで、私は自分の精神安定の為にそれ以上話を聞くのをやめる事にした。

「大事にされているのね」

 母さんが私に温かい眼差しでそう言った。

「……うん」

「初めて話を聞いた時はびっくりしたけれど。クラリスが幸せなら、それでいいわ」

 両親にはこの件で嘘ばかり吐いてしまっている。

 恋愛で始まった出会いでもなければ、屋敷で暫く放置されていたのも言えなかった。

 それでも。

「私、幸せよ」

 今、苦しい程に幸せな事には間違いがない。

 だから私はロードリックの為に、何かを返さなければいけないだろうと強く思ったのだった。

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