第26話 デート

「おはようございます!」

 やけに元気なザラさんの声で私は目が覚めた。寝ぼけた目をこすりながら起き上がると、彼女の溌剌とした笑顔が目に入る。

「おはようございます……」

 普段は何の用事もなく好きな時間に起きるので、こうして起こしてもらうのは久しぶりだ。

 今日は何の予定だったっけ。

「外出には適した、天気のいい日ですよ。良かったですね」

 ザラさんの言葉にはっと思い出す。

 そうだ。ロードリックにデートに誘われていたんだった!

 一気に目が覚めた。時間を見て、寝坊ではない事を確認してほっとした。

 あの件以降、ロードリックは堂々と私を甘やかそうとしてくる。今回もその一端だろう。

 何が面白いのか頻繁に私の顔を見てくるお陰でしょっちゅう視線が合ってしまうのに、隠そうともせず微笑んでくる。

 不味い事になったと胸の中で警鐘が鳴り響く。

 これ以上彼と仲を深めてはいけないと思っている。けれど近寄ってくるロードリックを拒めない。妻の立場がある以上、面と向かって逃げるのは悪手だろう。

 どうしたら、いいのかしら。

 悩んでいる内にも外出の支度は済んでしまい、気付けばザラさんに立派に着飾られた自分が鏡の前に立っていた。

 出来栄えに満足したのか、溢れる笑顔でザラさんが私に言う。

「とても可愛らしいです」

 実際、鏡の中の自分は普段よりも魅力的に見えた。彼女が頭から爪の先までコーディネートしてくれたお陰に他ならない。

 化粧をした血色の良い自分の顔を見て、自分の乙女心が浮き立つ。悩んで暗くなっていた心が少し晴れた。

「ありがとう」

 考えても仕方ない。今日はもう約束してしまったから、純粋に楽しもうかしら。

 玄関でロードリックと顔を合わせると、普段とは違う気合の入った装いに驚いたのか、目を見開いた。

「普段の貴方も素敵ですが、今日は一段と可愛らしい。……隣に立てるのが光栄です」

「……ありがとうございます」

 物凄く真っすぐな誉め言葉に、私は顔が赤くなるのを防ぐことが出来なかった。

 こんなに素敵な人に褒められて、無感情でいる方が無理だろう。

 それでも、落ち着かなきゃ。私の気持ちなど、ばれてはいけないから。

 そっと深呼吸して気持ちを落ち着ける。差し出された手に自分の手を重ねて、精一杯の平静を装った。

 馬車に乗り込み腰を落ちつけ、隣の上機嫌なロードリックに聞いた。

「今日は何処に行くんですか?」

 ロードリックは長い指を一本口に当て、悪戯な顔をする。

「ついてからのお楽しみです」

 結局教えてもらえないまま馬車が辿り着いたのは、大型書店だった。

「……此処ですか?」

 最近本屋には来たばかりなんだけどなぁ。

 だから特に欲しい物も浮かばないが、折角連れて来てくれたロードリックの顔を潰すわけにはいかない。

 へらりと笑い、ロードリックの手を取って馬車を降りた。

「ええ。屋敷の書庫室の中身を丸ごと入れ替えるつもりです」

「え」

 それは結構な大仕事になるだろう。今日はデートのつもりだったけど、屋敷の事について相談の為に連れて来たのだろうか。

「離れの家に今ある本を移します。本邸の書庫室は全て、クラリスの好きな物にしようと思いまして」

「ええっ」

 思いもよらない言葉に思わず大きな声を店内で出してしまう。慌てて口を覆ってロードリックの顔を見てみるが、冗談の雰囲気ではない。

 確かに本は好きだけれど、あの広い場所を全て趣味の本で埋めるなんて途方もない時間がかかるだろう。

「今のままで十分です。それに、使い切れる気がしません」

 至極当然の説得だ。なのにロードリックは人の話を聞く気のなさそうな笑顔を浮かべた。

「貴女が欲求の少ない人だとは知っています。でも、私は違う」

 ロードリックが欲深いとは思った事はないが、それをどうして今言われるのか。

 首を傾げる私に、楽し気に彼は言った。

「これは私の、趣味です。大人しく貢がれて下さい」

「へぁ」

 思わず変な声がでた。夢なんじゃないだろうか。

 余りにも眩しい言葉と笑みに、顔が真っ赤になっていく。

「さあ。まずは一棚分、選びましょうか」

 そう言ってロードリックは私の手を引いて店の中を歩き出した。

 自分がとても不利な戦いをしているのだと、思い知らされる。

 強烈に注がれるこの好意を、果たしてどれだけ私はいなせるのだろう。既に十分直撃を食らってしまっている。

 ロードリックは私がよく読んでいる作家の名前を見つけて本棚の前で立ち止まり、手に取る事もせず私に聞いた。

「この辺りで気になる作家の名前はありますか?」

「えっと……。ヘドヴィカ・ボドラーク。エマヌエル・ゲントナー。オリガ・ウトキン……後は、この辺りの人達が少し気になっています」

「分かりました」

 思いついた名前を聞かれるままに十五人ほど答えると、彼は傍にいた店員を呼びだして名前を覚えさせた。

「それらの作家の作品全て、購入します。詳細は使いの者が教えますので、私の家に運んでください」

 これが貴族の買い物か。

 富豪の買い方にあんぐりと口を開けてしまう。私の間抜けな顔を見て、ロードリックは少し笑った。

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