第10話 軍会議


 軍の参謀本部には余人を決して通さない区域が多数存在する。数多の衛兵によって守られている最奥の会議室では、ロードリックを含めた五人の男達が議論を活発に交わしていた。

 オルテガを退けたとはいえ、未だ世界は数えきれない程の戦争の火種を燻らせている。この小国を守る為に、危機感は常に持たなければならなかった。

「アドゥーチャがフェオドラと同盟を組もうとしているらしい。フェオドラにはあの大艦隊がある。それが成されれば、アドゥーチャは東への足を手に入れた事になる。両国の同盟は厄介だ」

 発言したのは口髭を蓄え、子供が泣き出しそうな眼光の鋭さを持つオールポート大将だ。

彼は大貴族でもあり、抜きんでた才覚で数年前のオルテガとの戦いにおいて幾つもの戦いを見事勝利へと導いている。今や英雄としてその名前を知らない国民はいないだろう。

「どちら側に付くかが問題ですね。北海側か、南海側か」

 そう言ったのは真っ白な白髪の老人、サンドフォード中将だ。老いはきているが特に北海側と総称される国々の知識が豊富で、引退を周囲から止められて軍籍に留まっている。

「ユルヤナは植民地での民衆の蜂起に苦心しているようです。当分の間、援軍は期待できないでしょう」

 周辺国の情報を付け加えたのは若いバリエ少佐だ。功績目覚ましく、将来を担う人材になる事をオールポート大将から望まれ、このような最重要機密の場所にも出入りを許されている。

「フェオドラの交渉役は誰が? アドゥーチャは確か、カミロ・リアスエロ議員が積極的に動いていたかと思ったが」

 オールポート大将の右腕であるブレナン中将が疑問を呈し、皆の意見を窺った。

 四人が侃々諤々の活発な議論を交わす中、一人私は他の者と距離を置いていた。

静かに腕を組み、彼らの言葉に耳を傾けながらも自らの意見を主張しない。それが求められていないと理解しているからだ。

 この場にいる者は全員、私が何者であるかを知っている。そして前の戦争で天来衆の有用さを目の当たりにした面々でもあった。一族が協力関係にある事を喜び……そして、何処かで怖れているに違いない。

 これは人間と暮らしてきた経験から確信でき、不必要に不信を煽れば居を構える国であっても敵対関係になりうるのを重々承知していた。

 だからこそ人間に混じって大方針を決める事には参加せず、分をわきまえた振る舞いに努めている。

「やはり、アドゥーチャの情報が必要だな」

 会話がこちらに向かいそうなのを察知し、意識を集中させた。各国の状況、一族の配置、そして次に何を求められそうなのかを考え準備する。

「ムーアクラフト少佐。アドゥーチャに貴殿の特殊諜報部員を送り込む事は出来るか?」

 オールポート大将の問いかけに、思案の結果を即座に答えた。

「直ぐには無理でしょう。オルテガの人員を一部引き上げさせ、そちらに回さねばなりません。どれほど急いでも十カ月はかかります」

「遅い」

 予想出来ていたブレナン中将の苦言に、内心辟易しながらも顔には出さなかった。

 彼等にとって天来衆の諜報など、魔法の様に考えているのだから始末に負えない。

 実際は非常に泥臭く、また危険と隣り合わせの作業ばかりであるのを、理解しようとしないのだ。

 けれどそれも今更だと思う程に知っていたので、どう説得するか。それを考える。

「まずアドゥーチャ側に二点、非常に大きな壁があります。彼らの言語体系は極めて複雑で、習得に時間がかかるでしょう。また閉鎖的な為、そもそもアビークとは接点が限られます。何処で誰と最初に入れ替わるか。或いは潜り込ませるか。それの見極めにも繊細な選別が必要です。また、オルテガの人数を減らさざるを得ないので、その場合特にキリル方面の情報が手薄になるかと」

「それは許容しかねる」

 オールポート大将が即座に却下する。バリエ少佐はまるで責めるような視線を向け、こう言った。

「君の家には、まだ天来衆の者がいたかと思うが」

 全くの無理解さ故の発言だった。全員が全員、諜報に適正のある者ばかりではない。

 そして敵国に潜り込むのがどれほど危険な事であるのか。また、長期間に渡り嘘を吐き続けるのがどれほど精神に負荷をかけるのか。それらの全ての犠牲を天来衆だからという一点で無視しているとしか思えなかった。

 しかし人間と波風を立てようとは思っていないので、なるべく冷静に言葉を選ぶ。

「申し訳ありませんが、適正というものがあるのです。漁師しかしてこなかった老人を、四か国語を流暢に話す貴族の男に扮装させるにはどれほど時間がかかるでしょう?」

「やってみなければ分からないだろう」

 バリエ少佐は安易にも思える速さで言葉を被せてくる。いや、真実そう思っているのかもしれない。人間である彼らと、私の間には決して埋められない深い溝があった。

 それは国の為という名目で命を捨てる事も厭わないという軍人の一面として、時に表出する。

「私には一族の者に対する責任があるのです。天来衆の任命に関しては一任させていただきます」

「私にも、国民に対する責任がある。同じく、君にも」

 バリエ少佐の熱弁は私には白々しく聞こえた。

 国に全てを捧げる彼の熱意など私には理解出来ない。我々は一族の者の為に生き、その為に死ぬ。全く関係のない者達に捧げる命など存在しない。

 人間とは違い命に限りはないが、それ故にあの世も来世も信仰しない。終わりは何処までも終わりでしかない。

 そして死を厭うあまり、死に時を失ってこんな所まで来てしまった。

 人間の若者の熱意渦巻くその生き方が、羨ましくさえ思う。死の恐怖を超える程の何かを信じてられるのだから。

 オールポート大将もバリエ少佐を下がらせようとはしない。あわよくば、これ以上の協力をさせようという魂胆が透けて見えた。それらから私は一族の者を守らねばならない。

「能力の伴わない者を前線に送る事は許容しかねます。特殊諜報隊の人員はこれ以上増やせません。オルテガの者を一部撤収させ、十カ月。これは譲れません」

 毅然とした態度で言い切れば、流石にそれ以上詰められる事は無かった。皆の意識が私から外れていく。

「ではそろそろ決を採らねば。いかがしますか? オールポート大将。オルテガの人員を移動させるか、アドゥーチャをそのままにするか」

 サンドフォード中将がオールポート大将にその穏やかな視線を向けた。

「アドゥーチャは特徴的な赤目の民。天来衆以外の者には無理だろう。代わりに、準備の十カ月でオルテガの普通諜報隊の人員を増やせ」

「間に合いますか?」

 不安が残るバリエ少佐の問いに、オールポート大将は揺らぐ事無く言葉を返す。

「分からん。しかし我々が準備を十分に備えて事態を迎えられた事の方が少ないだろう」

「……そうですね」

 バリエ少佐はこの前の戦争での酷い状況を思い出し、それ以上追求するのを諦めたようだった。

 やがて会議が終わり、オールポート大将が忙しそうに部屋を後にした。ブレナン中将が部屋を出る際に、ロードリックの肩を軽く叩いて言う。

「任せた。いつものように、頼む」

「はっ」

 軍式の礼で返せば、満足そうに頷いて去っていく。バリエ少佐は少し苦々しそうに、一言も発さず部屋を出て行った。

 表面上どのように接してこようが、軍の内部において私が気を許す事は出来ない。一人になって漸く張り詰めていた空気を緩ませ、溜息を吐く。

 今日は少し早く帰りますか。

 やる事は山積みだが、根を詰めて行った所で長期間に及ぶ仕事においては非効率だ。

 参謀本部前に止められた迎えの馬車に乗り込めば、一族のニールが私を出迎えた。

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