第374話 坂東裕理

 天野が総合リーダージャージを獲得した。

 第9ステージでのことだ。残りは平坦の第10ステージ。総合優勝はほぼ確定か、というような見出しの記事も見られた。

 だが裕理の心に達成感など、微塵もなかった。

 天野は最善を尽くした。しかし、冬希はまだ十分に天野を射程距離圏内にとらえている。

 可能であれば、10秒差以上をつけたかった。それで冬希が明日のステージで勝ってボーナスタイムを獲得しても、逆転不可能となるはずだった。

 ギリギリのところで踏みとどまった。それが千葉であり、冬希なのだろう。

 冬希の、茫洋とした姿を思い出した。

 裕理にとって、理解が及ばないという人間が何人かいた。冬希もその一人だ。

 ドアをノックする音がした。

「入れ」

「失礼します」

 中田葵という1年生だ。大人しくまじめな性格だが、頭が切れるので管理面での取りまとめをやらせていた。彼がいるだけで、裕理の負担はかなり軽減されている。

「バイクの点検整備、洗浄完了しました。各選手の補給食等の準備もできています」

「ご苦労だった」

「失礼します」

「待て」

 裕理は、出ていこうとした中田を呼び止めた。

「お前は、明日の千葉の出方をどう思う」

「読めません」

「読めないという事は、読ませないようにしている、ということだ」

「はい、そうかもしれませんが、今まで彼らが、事前に作戦を立ててそれを実行するような戦い方をしていたというようには、僕には思えないのです」

「続けろ」

「はい、それに青山冬希という人は、類まれない忍耐力と爆発力、それに冷静さも持ったひとかどの選手だと思います。そんな人の思考を読めるとは、思っていません」

「そうだ。だから総合リーダーを獲得したにもかかわらず、こちらから仕掛けなければらないんだ」

 千葉は、今までも他のチームの動きに対応する、というようなレースをしてきた。王者のように、受けて立つような戦い方だ。それが最終ステージも続くという事を、裕理は苦々しく思っていた。

 一番勝てる確率が高いのは、南を勝たせることだ。

 冬希が明日のステージを取りこぼせば、集団ゴールにさえ持ち込めば天野は勝てるのだ。

 彼をもって彼を制す、基本的な戦い方といっていいだろう。

 他にも、冬希を黒川と戦わせるという方法もある。

 天野が集団から遅れるそぶりを見せれば、黒川が色気を出して千葉に攻撃を仕掛けるかもしれない。

 他にも、横風を利用して手段を分断し、千葉を上手く置き去りにできるかなど、色々な方法が思い付きはするが、どれも成功する気がしなかった。

「せめて、山口に多田が残っていればな」

「グルペットにいた水野先輩の話では、宮崎がグルペットを崩壊させたという事でした」

「有馬め、悪辣なことをする。タイムアウトギリギリまでグルペットのペースを落とし、自分たちだけ一気に加速して置き去りにしやがった」

 第9ステージではこれまでのタイムアウト者に数倍する20名の失格者を出していた。多田のように制限時間クリアが絶望的になり、DNFを選んだ選手もいる。

「宮崎の真意はわかりません」

「ああ、だが山口が見せた隙を、見逃さなかったという見方もできる」

 黒川は、スプリント能力も高い。南の障害になりそうな黒川のアシスト多田を、先に潰しておこうと思ったとしても、裕理は驚かなかった。

「明日、俺たちはどう戦うのが良いと思うか、お前の意見を言ってみろ」

「奇襲である必要はないと考えます」

「要点を言え」

「天野先輩が、青山冬希を倒すということです」

 当たり前のことを、と言いかけて、思い止まった。

「天野が、冬希に先着をすれば終わる、ということか」

 中田は黙ってうなずいた。

 裕理が見落としていたものを、中田が指摘して見せた、ということだ。

 これは、という戦い方だ。シンプルだがわかりやすい。そして何より、佐賀としても戦いやすい。

 腑に落ちた。求めていた戦いである気がした。

「全員を集めろ。ミーティングを行う」

 中田により、選手と帯同スタッフ全員が集められた。

「クールダウンは十分やったか」

 選手たちは、全員頷いた。

「明日は、天野が冬希を倒す。それが全てだと心得ろ」

 有利の言葉に、一様に驚いた表情を見せた。

「裕理さん、俺もそれが一番いいと思う」

 水野が言った。鳥栖と武雄もうなずいている。

「千葉が、こちらの奇策を警戒して動きが鈍くなれば、徹底的にその隙を突いていく」

 奇襲、というよりも強襲するような戦いになると裕理は思っていた。

 レース直後は疲れ切った表情をしていた天野の両眼にも、光が戻ってきていた。

「俺も含め、天野以外の選手全員、完走しようなどと思うな。逃げようとする小物たちをすり潰すことも、メイン集団を牽引することも、一つ一つの動きが、天野が冬希を倒すということに帰結する。その事を頭に入れておけ」

 水野、鳥栖、武雄の表情に緊張が走った。しかし、それは決意からくるものに見えた。

「以上だ。散れ」

 裕理は手を振って解散を促した。

 無能のふりをやめた時から、いつかこういう日が来るという予感はしていた。

 天野だけが残った。

 天野には殊更、激を飛ばす必要がある思わなかった。チームメイトが自らの完走すらも犠牲にして、自分を勝たせ居ようとする、その事だけで、この男は実力以上のものを発揮するだろう。

「裕理さん、ありがとうございます」

「今日はゆっくり休め」

「今夜は眠れないかもしれません」

 天野は笑っている。

「男には、人生に一度ぐらいはそういう時があってもいいだろう」

 天野だけではない。自分にとっても明日は、全てを賭けた勝負の時なのだ。

 裕理は、天野を残して会議室から出た。

 無性に、一人になりたい気分だった。

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