第337話 全国高校自転車競技会 第2ステージ③
逃げ集団が通過して2分30秒後、メイン集団も中間スプリント地点を通過した。
メイン集団内で、争いは起きなかった。
メイン集団の先頭で通過した多田にも、もはや1ptも与えられるポイントは残っていなかったのだ。
冬希がチームメイトたちのところへ戻ってきて、チームのキャプテンである平良潤に状況を説明した。
メンバーを逃げ乗せているチームは、追走に協力することはない。現状ではメイン集団は山口の多田が一人で牽引している状況なので、逃げ集団が全員で順調に先頭交代していれば、30対1の戦いとなっているところだが、タイム差が広がっていないところを見ると、実際にはそうなっていないようだ。
「この状況は、佐賀がうまく邪魔をしてくれているということか」
「ですので、今のうちに前を追いたいなと思っているんですけど」
終始落ち着いている表情の潤に、冬希は言った。
「危険ではないでしょうか。まだ40㎞以上残っています。失敗すれば、うちの選手だけ脚を使わされて、冬希先輩がほかの総合有力チームに置き去りにされて、大きなタイム差をつけられてしまえば、第2ステージでうちの総合優勝争いが終わってしまいます。うちだけそんなリスクを背負う可能性があるのでしょうか」
伊佐は、痛いところを突いてくる、と冬希は思った。だが潤は落ち着いて言った。
「伊佐、総合有力チームなんか、僕たちが勝手に思っているだけで、そんなものは存在しないんだよ。逃げている30人も含め、冬希は参加している全選手に勝たなければならないんだ。東京の植原や、佐賀の天野、山口の黒川に勝てばそれでいい、というわけではないんだ」
言われて伊佐は黙りこんだ。潤は続けて言った。
「冬希、負けても仕方ないというレース、周囲を納得させられる戦い方というは、出来るかもしれない。植原や黒川、天野と同じようなレースをして、同じように負けて、総合2位や3位を獲る。よく戦った。そういうレースをして負けたなら仕方ないと、みんな言ってくれるだろう。だけど、僕は冬希に、そういうものから自由になって戦ってもらいたいんだ。冬希は1年生の時から、多くの勝利を積み重ねて、他に例を見ない程の活躍を見せてくれた。そんな冬希が、他の誰かを意識するのではなく、この大会の中心は自分だという、それぐらい我儘になって戦った時、どういう結果をもたらすのかが見たい。それで負けて文句を言うやつがいても、放っておけばいい。だったら冬希以上に戦える人間を連れてくればいいんだ」
まあ、僕には無理だけどね、と潤は笑った。
「でも、ここで温存しておけば、後半のステージで巻き返すチャンスも・・・・・・」
「伊佐、ここで失敗して敗退するようなら、最初から全国高校自転車競技会の総合優勝なんか、不可能だったというだけのことだ」
「貴方、本当にあの潤先輩ですか?」
竹内が心底驚いたように言った。竹内にとって、国体で総合エースとして一緒に戦った潤は、もっと綿密で慎重な人だった。目の前にいる潤は、豪胆といってもいい割り切り様だ。総合エースという責任から解放されて、人が変わったように見えるだろう。
「竹内、伊佐と二人交代で三瀬峠の上り口まで全力で牽いてくれ。上りが始まったら、僕と柊で冬希を牽く」
「ほいよ」
柊が気の抜けた声で応えた。
「逃げに選手を送り込んで、集団の後方でのうのうと走っているチームを、パニックに陥れてやろう」
潤は、人が悪い表情で言った。冬希も、潤が変わったと改めて感じていた。
メイン集団は、千葉の攻撃により大混乱に陥った。
落ち着いた雰囲気で進んでいる中、急に60㎞/h近いスピードまでペースアップしたことで、横に広がっていた200人以上の集団は1列に伸びきった後、所々で中切れを起こしていた。
前の選手についていけずに、付き切れを起こしている選手に対して罵声が飛び、仕掛けた千葉に対しては怨嗟の声も上がっていた。
「あいつら、本気で始めやがった」
「逃げ集団を捕まえるつもりなのでしょうか」
「正気か!?」
佐賀の坂東裕理も、ここまで冬希が本気で動くとは考えていなかったようだ。
できるだけ差を縮めておく、という走りではない。
準備をしていた佐賀も、序盤で水野を逃げに乗せるために働いて後方に下がっていたアシスト二人を戻せていない。
千葉のペースアップに対応できたのは、先頭にいた多田と黒川の山口勢、そして植原率いる東京の5人、そのうしろに佐賀の2名、天野と裕理が飛びついた。
宮崎の有馬もその後ろにかろうじて残っているが、アシストはおらず、自分で脚を使って追いついてきたようだ。
メイン集団は、複数個所で発生した中切れのため、40人程度まで絞られていた。愛知や福岡といったスプリンター系のチームは、かろうじて追ってきていたが、三瀬峠を上り始めた途端に、それぞれのエースのペースが上がらず、メイン集団から遅れ始めた。
先頭の千葉からも、2名のアシストが下がってきた。東京や、他のチームも平坦系のアシストは千葉の作り出すペースについていけない選手たちが脱落してきている。
「千葉の平良兄弟がペースを作っている。おそらく冬希がついていける、ぎりぎりのペースで走っているんだろう」
だとすると、青山冬希の登坂能力は決して油断できないものであると考えるべきだろうと、天野は思った。裕理は上りきるまでで力を使い果たしそうな勢いであるし、天野のほうも決して余裕がある状態ではない。
前を見ると、東京は麻生、夏井、植原が残っている、山口は、多田も黒川も残っている。多田は、メイン集団をずっと牽引しながら走っていたはずだが、まだ千葉のペースアップに対応できるだけの余裕を残していたということだろう。底が知れない。
半ばまで登ってくると、逃げ集団から千切れたと思われる選手たちに追いついてきた。ここまで簡単につかまるとは思っていなかっただろう。逃げに送った選手たちは、逃げ集団から遅れ、そのチームメイトたちはメイン集団から置き去りにされる、そういった地獄のような目にあっているチームが、どれほど発生するのか。自業自得とはいえ、そういったチームは今大会での勝負権を失っていくことになるだろう。
30人で逃げ集団が出来たというだけで油断したのかもしれないが、昨年の優勝チームである千葉がそんなに甘いはずはないのだ。
逃げていた選手が次々と吸収され、集団にも残れずにすぐに千切れていく。
彼らは、自分が全国高校自転車競技会でステージ優勝を勝ち取れるかもしれないと、一瞬期待に胸を躍らせていたかもしれない。
しかし、メイン集団に吸収されていくときの表情は、絶望の色に染まっていた。
逃げ集団の中で、最後まで残ったのは2名だった。
最後までローテーションを妨害していった水野も、そこそこで下がっていった。牧山もこれ以上抵抗するつもりはなかった。明日以降もレースは続くし、明日以降も逃げに乗らなければならないのだ。このレースで力を使い切るつもりはなかった。
2分半ついていたタイム差は、次に知らされたタイミングでは1分となっていた。
今はもう15秒とない。
「もっとペースを上げましょう」
焦りを隠せない声で、牧山と一緒に走っている愛知の玉置が言った。
馬鹿な奴だ、と牧山は思う。
玉置は、逃げている最中に、先頭交代のローテーションに加わらなかった選手の一人だ。
インターハイ常連校の次期総合エース候補らしく、実力はあるようだが、1年生のようで、まだ状況判断が甘いのだろうと思った。
玉置自身がステージ優勝できなくても、あのまま逃げ集団がゴールできていれば、最も総合優勝に近い選手になっていただろう。だが、多くの選手が先頭交代に加わらないのを見て、自分も加わらないで、脚を温存したほうがいいと思ったのだろう。
結果、逃げ集団の崩壊に加担する結果となっている。
牧山は、玉置の懇願を無視した。
後方に総合リーダージャージの黒川を含むメイン集団が見えてきた。先導するのは千葉だ。冬希の姿も見える。
新人賞ジャージの竹内を含む第2集団はその1分後。
スプリント賞ジャージの南を含む集団は、もう3分以上遅れている。
牧山と玉置は、なすすべもなくメイン集団に吸収された。
宮崎の有馬が、アシストも連れずに単独でいた。他の選手は、南を集団に引き上げようと下がっていったのだろう。
「がんばれよ」
牧山は、集団に追い抜かれながら、気が付くと冬希に声をかけていた。
冬希の口元が笑った気がした。
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