第322話 新学期

 国内プロチームU-18のプレミアツアーシーズン総合優勝の黒川は、多田の家におしかけ、冬希が出場したエンデューロのラップクリップをタブレットて見つめていた。

「これじゃわからんなぁ」

 ぼやく黒川に、多田も全く同意見だった。

 レースはハイペースで進み、逃げたグループは、1時間後には一気にペースが落ちた。

 追走していた一番大きな集団は、先頭のペースが落ちたことに気が付かずに、特に優勝を狙いにいく選手も出ずに、そのまま周回を重ねていた。

 それらも含めて、冬希は一人で全く別のレースを走っているかのように、一定ペースを刻み続け、結果的に優勝していた。

「1周1.5kmの小さなコースだ。無理もない」

 多田は、溜息まじりに言った。

 周回を重ねるごとに誰が何周回かわからなくなり、最終的には色々な周回の選手がごちゃごちゃと集団を形成して、レース結果はゴールしてみなければわからない。流石にある程度個々の選手の実力がはっきりしているプレミアツアーではありえないが、単発でお互い誰が誰だかわからないようなレースでは、よくあることだろう。

「やっぱり、最終的には俺が一緒に走ってみるしかないだろうな」

「それはもう、全国高校自転車競技会の本番じゃなきゃ無理だろ」

 多田と黒川が、冬希がエンデューロにエントリーしていたことに気がついたのは、確定したスタートリストが発表されてからだった。

「おそらく、調整中に変な横槍が入らないように、締め切りギリギリにエントリーされたんだろう」

「多田、変な横槍ってなんだ」

「俺たちみたいなののことだ」

「なるほど」

 黒川は、TVに録画されている冬希のレースは全て見ていた。勝っていたレースも、勝敗に絡まないレースも全てだ。

 多田が、そのレースは国体チャンピオンの天野の方が強かったぞとか、全日本選抜で優勝した植原の方がペースが良かったと言っても、黒川は何の興味も示さなかった。

「まだ年度内にどこかのレースに出るかもしれん。関東のレースはチェックしとかんとな」

 事前に冬希が出るレースがわかれば、黒川も多田もエントリーするつもりだった。それは、もう好奇心の域を出ないものではあったが、きっと冬希からすると、ただの

「意地悪参加」

 でしかないだろうと、少なくとも多田の方は理解していた。


 冬希は、その後はレースに出ることもなく、3月を迎えていた。

 先輩である、昨年のチームのエースだった船津は、無事に都内の大学に合格した。

 卒業式の日に、自転車競技部の冬希、平良潤、平良柊から花束を渡された船津は、大学に入っても自転車競技を続けると3人に言った。

 フランスのコンチネンタルチームにいる郷田隆将は、結局卒業式のシーズンになっても、日本には帰ってこなかった。坂東曰く

「オフシーズンは、主力選手がどこもおらず、WCIポイントの稼ぎ時だから」

 とのことだった。

 露崎、坂東、郷田の3人は、優勝こそなかったものの、着実にWCIポイントを稼ぎ続け、チームのプロチーム昇格に欠かせないメンバーとなっているようだ。

 年度が新しくなり、伊佐と竹内が入学してきた。当然自転車競技部の部員として、全国高校自転車競技会の総合優勝を目指すことになった。

 二人は即戦力で、入学直後に行われた全国高校自転車競技会の予選会でも、1位、2位で神崎高校の千葉県予選会突破に貢献した。前年度の実績から、竹内、伊佐という有力新人選手が集中した神崎高校に対し、他の千葉県の高校は、なす術がなかった。

 東京都の予選会では、慶安大附属が危なげなく突破したが、スタートリストに中にそもそも植原の名前が無かった。去年は全日本選抜まで出場したため、今年はギリギリまで始動を遅らせたいと思っているのかもしれない。冬希は、相変わらず植原とは連絡を取り合ってはいたが、そういったチームの内情に関わることについては、あえて触れないようにしていた。

 逆に山口県の予選会の結果では、全日本選抜に出ていた黒川、多田ともに出場し、極光学院高校が初の全国出場を決めていた。この点に関しては、選手層が厚い慶安大附属に対して、元々全国など縁がなかった弱小自転車競技部の予選会を突破させるには、例え疲れがあったとしても、黒川、多田が予選会に出ざるを得なかったのだろうというのが、監督兼理事長の神崎の考えだった。

 少しばかり驚いたのが、佐賀の予選会で優勝したのが、佐賀大和高校の坂東裕理だったという事だった。佐賀大和が予選会を突破したという点では予想通りだった。しかし、一昨年の全日本チャンピオンである兄、坂東輝幸を支えていた頃から、自分が表立って優勝しようとはしないタイプだと思っていた冬希は、流石にどういうことか裕理に尋ねてみた。

「俺の実力を世に知らしめておこうと思って」

 と得意気なメッセージが返ってきた。冬希は、裕理が本音を正直に話すわけがないことを知っている。予選会は出場した各校の選手の合計タイムで順位が決まる。県内ですらマークされていない裕理が飛び出して逃げ切ることで、チーム自体のタイムを稼ぎ、国体総合優勝の天野や、アシストとして期待される水野を温存したかったのではないだろうか。

 12月の全日本選抜権まで戦った慶安大附属の植原や、極光学院の黒川よりはマシかもしれないが、10月の国体で総合優勝するほどの激戦を戦った天野は、9月の国体ブロック大会までしか出場していない冬希に比べると、全国高校自転車競技会に向けての疲労や仕上がりの調整という意味では、不利な状況にあると言える。

 去年は、何もわからないまま出場していた冬希は、1年を経て、もっと色々な事柄が入り混じって、全国高校自転車競技会が始まろうとしていることに、新鮮な驚きを感じていた。去年も冬希の知らないところで、きっと色々な思惑がぶつかり合った中で、大会が始まっていたのだろう。

「何を考えてたの?」

 昼休み、運河沿いのベンチで空を見上げていると、いつも一緒のお昼を食べている荒木真理が声をかけてきた。

「もうすぐ大変なレースが始まるなって」

 冬希が神崎高校へ入学するために自転車に乗り始めたのは、真理と同じ高校に行きたかったからだった。

 真理と付き合い始め、期待以上の結果を得られたと言って良かった。

 その点だけを考えると、実際にはいつ自転車競技を辞めても良いのかもしれない。だが、冬希は思っていた。

「まだ辞めるには早すぎるかな」

「え?」

 慶安大附属の植原、福岡産業の立花、冬希を追って全国高校自転車競技会に乗り込んでくる黒川、海外に行った露崎、坂東、郷田たちとの繋がりもある。それらが捨て難いというのもあるが、自転車でレースに出ること自体が、自分は好きなんだろうと思う。

「まあ、頑張ってくるよ」

「うん、頑張って」

 二人はベンチに座ると、それぞれの弁当箱を開けた。

 冬希の弁当箱には、細かく切られたイカの一夜干しと、子持ちししゃもが所狭しと並べられていた。

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