第314話 黒川の決断
大会のスタッフの後ろを歩きながら、冬希は牧山に話しかけた。
「牧山、レースを途中でやめてしまってよかったのか?」
「俺はもう、脚がなかったからな。限界だ。もう1周もついていけなかっただろう。最初のアタック合戦で頑張りすぎたんだ。植原や、黒川というユースチームの選手は、まだまだ余裕がある状態だったから、あのまま走り続けても勝ち目はなかったよ」
途中、神崎、それに竹内と伊佐が駆け寄ってきた。
「青山くん、なんかやっちゃった?」
心配している、というより好奇心からという感じで神崎が聞いてきた。
黒川と揉めていた選手が、慌てた様子で割って入ってきた。
「青山選手は、俺を庇ってくれたんです。俺が黒川と揉めてしまって・・・・・・。売り言葉に買い言葉というか、馬鹿にされて頭に血が昇って。殴られそうになったところを、助けてくれたんです」
「へぇ、黒川選手か。また大物と揉めたね」
神崎は、深刻そうに腕を組んでいる。だが、口の端が笑ったような形になっているのを、冬希は見逃さなかった。
「まあ、僕も一緒に行くよ。伊佐くんと竹内くんは、後で連絡するから好きに見て回っててよ」
「はい」
伊佐は頷くと、こっちは本当に心配そうな表情をしながら、竹内と一緒に、優勝して仲間に祝福される植原の方へ向かって歩いていった。
コントロールタワーでの事情聴取の結果、全員お咎めなしとなった。
牧山たちが、何もなかったと言い張ったのだ。
黒川と揉めた選手は胸ぐらを掴まれたし、牧山も止めようとして黒川に弾き飛ばされたので、厳密に言えば、何もされなかったというわけではなかった。しかし、彼らが何もされなかったと主張したので、それ以上追求するわけにはいかなかったようだ。
黒川としても、面倒な事態にならずに済んだのはありがたいことだったので、コントロールタワーを出た後に二人に素直に謝罪した。
「頼むよ黒川。あと一回トラブったらチームを辞めないといけなくなるところだったんだからな」
「辞めちまえば良いじゃねぇか」
多田を始め、その場にいた全員がキョトンとしている。
「多田、お前はわかれよ」
「いや、わかるわけないだろ。今年Jプレミアツアーで個人総合優勝だぞ。来年にはお前は確実に昇格できるだろ」
「来年、成績が悪ければ昇格はなくなるかも知れないだろ」
「それはそうだけど」
昇格する選手が決まるのは、3年生時の秋以降だ。それに対して黒川は2年生のうちに個人総合優勝をしてしまった。タイミングが早すぎだのだ。
1年を通して全国を回るJプレミアツアーを戦い続けることに、黒川も心身ともに消耗していた。
そして個人総合優勝を決めて以降、気持ちが切れてしまっていた。
全日本選抜には出場こそしたものの、練習にも集中できず、コンディションは最悪と言ってよかった。優勝してしまったJプレミアツアーに対して、来年もう一度、ライバルとなりうる選手のいない中で戦うことに対して、モチベーションが持てなかったのだ。
だが、全日本選抜に出場してよかったと黒川は思い始めていた。青山冬希という男と戦ってみたいと思ったのだ。
自転車ロードレーサーとして以上の奥深さを、冬希に感じた。飄々としてはいるが、腕を掴まれた瞬間、得体の知れない恐ろしさのようなものを感じた。黒川は喧嘩慣れしていたが、だからこそわかることがあったのかも知れない。
黒川はずっと、高校自転車ロードの選手たちを、見下していた。
1つ上の学年の露崎隆弘という男が、全国高校自転車競技会で4連勝した時も、初戦は高校の部活動の中での話だと、歯牙にもかけなかった。その気持ちが変わったのは、露崎が海外に渡ったという話を聞いた時からだった。
黒川は、プロになるかも知れないと思いつつ、コンチネンタルチームのユースに入った。だが、海外に行くなどということは考えもしなかったし、それだけ強い気持ちを何かに持てるとも思えなかった。
黒川が高校の自転車競技や露崎に抱いていた優越感は、綺麗さっぱりと消えてしまっていた。
その露崎が、日本に帰ってきてインターハイに出場した。
圧倒的な実力差で総合優勝を決めてフランスへ帰っていったが、平坦ステージで青山冬希という1年生に2回負けた。
黒川には、露崎がどの程度コンディションを整え、どれぐらい本気でインターハイに臨んだかはわからなかった。そのため露崎に勝ったとはいえ、それほどその1年生の興味を持つことはなかった。ただ、光速スプリンターと呼ばれる青山冬希の名前は頭に刻まれた。
そして実際に今日会ってみて、俄然興味が出てきた。Jプレミアツアーにもう一度勝つより、この男を倒す方が、より前に進める気がしたのだ。
「ここまでやっておいて、自転車をやめるのかよ」
多田は、慌てた様子だ。
黒川は、多田も自転車競技を始めて、レースに出るということが好きになっていることを感じていた。
「やめねえよ。ユースやってたら自転車部に入れねぇだろうが」
「は?」
「極光学院にも自転車競技部があるだろ」
「うちの学校の自転車競技部、万年最下位だってお前が馬鹿にしてただろう。というか高校自転車競技に参加するためにユースやめるのかよ。プロはどうするんだよ」
「高校で実績残してもプロには入れるだろ」
黒川は、冬希に向き合った。
「青山、全国高校自転車競技会に出てこい。スプリントで俺に勝ってみろ」
「いや、俺ら出れるかどうかわからないし、なんで前回優勝校に対して胸を貸すみたいな立ち位置になってるんだよ」
冬希は、黒川という選手の名前は知っていた。部で購入している自転車の雑誌を見ると、Jプレミアツアーの結果が載っており、たいてい優勝者は黒川だった。
黒川の申し出には、単純に驚いていた。だが、それ以外にも困った要素はあった。
冬希は、自転車競技部の顧問兼理事長の神崎を振り返った。
神崎は、楽しくて仕方ないと言った表情で、冬希の視線に頷きを返した。
それを冬希は、言っていい、という意味だと捉えた。
「来年の全国高校自転車競技会は、スプリンターではなく総合エースとして出場する予定になっているので」
早まらないで、と冬希は言いたかった。だが
「ふん、総合優勝争いで勝負しようってことか。いいだろう」
黒川は、完全に考え違いをしていた。
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