第312話 Jプレミアツアーシリーズ王者 黒川真吾

 冬希達が全日本選抜自転車ロードレースU~18が開催されている群馬サイクルスポーツセンターに到着した時、レースは残り5周となっていた。

 1周約6kmのコースなので、ゴールまで30km程度という計算になる。

「ここが群馬サイクルスポーツセンターかぁ」

 冬希は、このコースで走ったことはないが、大きなレースがよく開催される場所なので、関東圏のトップクラスの選手で走ったことがないというのは、異例なことと言ってよかった。

 辺りを見回していると、奥の方で左側から右側に走り抜けている選手達が見えた。

「お、あそこがコースかな」

 冬希が呑気に歩き出そうとすると、竹内が冬希の腕を引っ張った。

「いえ、手前の舗装路が計測ラインです」

 冬希のすぐ目の前を、かなりのスピードで選手が駆け抜けていった。

「うわっ、危うくコースに飛び出すところだった」

「本当にここを走ったことがないんですね」

 伊佐が、呆れた様子で言った。

 知り合いに挨拶をしてくると言って、コントロールタワーの方へ行っていた神崎が戻ってきた。

「随分しんどいレースになっているみたいだね。3周終わるまで、逃げが決まらなかったらしいよ。序盤からかなりハイペースになってしまっていたみたい」

 神崎は、レース展開も聞いてきてくれたようだ。

 冬希も経験があるが、逃げたい選手達がアタックを仕掛け、逃したくない選手達が後ろから捕まえにいく展開になると、澱みのないペースになって、全ての選手が苦しむことになる。

「元々、ここは逃げが決まりにくいコースですからね」

 伊佐が言った。中体連の全国大会で、ここを走ったことがあると言っていた。

「逃げている選手は12名、慶安大附属の植原選手、宇部フリーデンの黒川選手、国体で茨城から出場していた牧山選手もいるようです」

 竹内は、逃げ集団が通過した後にスマートフォンのスタートリストと照らし合わせたらしい。

「優勝候補は大体含まれているようだね。まあ、全日本選抜は本当に個人戦だから、力がある選手が残って、他は脱落した、というところかな」

「神崎先生、どの選手に有利な状況なんですか?」

「このままスプリントに行けば、間違いなく黒川選手が勝つだろうね。ただ、それはみんなわかっているから、逃げ集団の選手達は、みんな黒川選手を潰す方法を考えているはずだよ」

「一緒にゴールまで行くと、勝ち目はないですからね」

 伊佐は、高低差まで書いてある看板のコース図を見つめながら、つぶやくように言った。自分がレースに出ていたらどう動くか、シミュレーションをしているようだ。冬希も、コース図を見てみた。

「植原は、このあたりでアタックを仕掛けるんじゃないかな」

 冬希は、一番傾斜がきつい場所を指差した。

「心臓破りの坂ですね。でも、黒川選手も、全く坂が登れないわけではないですよ」

「その黒川選手を引き離す必要はないんだ。ただ、嫌がらせの攻撃を仕掛けるというか・・・」

 言われた伊佐も、竹内も、冬希の言葉に首を傾げている。

「はは、それを何度もやられたら、黒川選手はたまらないだろうね」

 神崎だけは、笑っている。

「あ、ほら。植原は仕掛けたみたいだよ」

 冬希が、手前ではなく、奥側のコースを指差して言った。あのあたりは、登り切った後に下り始めたあたりになっているはずだ。

 植原が逃げ集団から飛び出し、それを黒川が追いかけている。

「誰かがアタックをかけたら、黒川という選手は自分で追いかけざるを得ないんだ。みんな彼を疲れさせたいと思っているからね。誰も手伝ってくれない。自分ばかり追いかけさせられる状況に、ストレスを感じることになるだろう」

 これは恐らく、今後冬希も直面するであろうことが予測される事態だった。オールラウンダーの転向すると言っても、スプリント力では他のオールラウンダーの選手達に比べて有利なのは間違いないのだから。

「青山くん、黒川くんはJプレミアツアーでシリーズ優勝するほどの選手だからね。彼の戦い方を参考にするといいよ」

 神崎は、尤もらしく言った。

「こういう展開を予測されて、青山先輩をこの場に連れてこれらたのですね」

「流石は、今年躍進した神崎高校の監督をされているだけのことはありますね」

 竹内と伊佐は、尊敬の眼差しで神崎を見ているが、冬希には、一人で行くのが寂しいので冬希達を道連れにしたが、なんとなくレース展開的に連れてきた理由みたいなものが見つかって安堵している表情にしか見えなかった。

 植原は、毎回同じところでアタックを仕掛け、その都度、黒川が追いかけるという展開を3回ほど繰り返した。

 コースの向こう側で引き離した植原は、最初の2回は手前側の計測地点のある直線あたりで追いつかれていたが、三度目では、単走のまま通過していった。

「あれ、後続が来ないですね」

 伊佐も驚いている。

 コースの下手から、怒鳴り声が聞こえてきた。3人ほどの選手が、自転車を降りて何やら揉めているようだ。

「てめえら、勝つ気がないなら出てくるんじゃねえよ!」

「き、君はプレミアツアーで優勝するほどの実力があるなら、もっと長い時間先頭を牽くべきだ」

 逃げ集団の中にいたガタイのいい一人の選手が他の選手の胸ぐらを掴んでいる。ゼッケン番号1番だから、黒川選手のはずだ。

 止めようとしているのは、牧山だ。

 逃げ集団にいた3〜4人は、だいぶ離されてはいたが、植原を追いかけていた。

 レースはレースで続いている。

「おい、やめろ」

「五月蝿い、離せ!」

 牧山は止めようとするが、体格差がありすぎて、黒川が腕を振り解いた拍子に、弾き飛ばされた。

 黒川と同じジャージを着用した、チームメイトらしき選手がやってきたが、黒川の姿を見るなり、小さくため息をついた。

「あーあ、こいつこの状態になると、止められねえんだよな」

 黒川を止めるのを諦めたようだ。

「自力で勝つ力がないやつが、出てくるんじゃねえ!!」

 黒川が、捕まえている選手を殴ろうと丸太のような腕を振り上げた。

「やめましょう」

 冬希は、黒川の腕を掴んだ。

 牧山の時とは違い、力ずくで振り解こうとはせず、むしろ驚いた表情で黒川は冬希の方を振り返った。

 先頭の植原は、ゴールまで残り2周を切っていた。

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