第296話 国体本戦3日目 天野の提案

 先頭まであと30秒というところで、佐賀代表の天野優一は、高校のチームメイトである水野良晴から発射された。

 逃げている茨城代表の牧山保まで、自力で追いつける距離だ。

 水野は長崎県代表で、敵チームと言うことにはなるが、同じ高校の自転車競技部のチームメイトという形になる。同じ1年生同士、一緒に練習もしたし、ウマも合った。

 水野は、佐賀に引っ越す事が決まっており、引っ越し先から通える佐賀大和高校を受験し、合格していた。

 しかし、祖母が亡くなったことで

「引っ越す理由がなくなった」

 とのことで、長崎の佐世保に留まることになった。

 水野は、進学が決まっていた中の突然の出来事に、1.5次試験も終わったタイミングで新たな進学先を探すより、遠方でも佐賀大和に通う道を選んだ。

 今年入学した1年を走らせた後、当時全日本チャンピオンだった坂東輝幸は、天野と水野、が使えるやつだ、と言った。

 どちらか片方を全国高校自転車競技会へ連れて行く、という話だった。

 全国の舞台に立てる喜びと、高校生になったばかりの自分達が全日本チャンピオンを抱えるチームで上手くやっていけるかの不安を比較すると、メンバーに選ばれても選ばれなくてもいい、というのが天野の本音だった。

 水野も同じ感想だったようで、

「天野が出たいなら、僕はいいよ」

 と言っていた。

 坂東の弟である坂東裕理が、水野は時間をかけて育てるべきだ、という一言で、全国高校自転車競技会には、天野が出場することになった。

 裕理の言った意味は、すぐに分かった。

 水野は、長時間の通学に加え、家庭内のいろいろな事で、4月はほとんど練習に参加する事が出来なかった。

 裕理は水野に対して、休日に長時間電車に乗って佐賀まで来て練習するよりも、長崎県内で出れるレースにできるだけ勝っておけと言った。

 水野は、その言に従い、五島や対馬で開かれたレースも含め、多くのレースで上位入賞を繰り返した。

 水野が出るレースのアシストのために、天野が長崎のレースに出場することもあった。

 そして、それらのリザルトの水野のチーム名には、佐賀大和高校自転車競技部の名前はなかった。

 その理由について、裕理は

「国体で兄貴を勝たせるための布石」

 と言い、水野は今回の計画について、本当に面白い、とやりがいを感じている様子だった。

 結局、長崎で好成績を残し続けた水野は、長崎県代表の国体強化選手に選ばれることになった。

 夏休み期間中に坂東輝幸は、海外に行ってしまい、計画は立ち消えになったかに見えた。

 ところが裕理の

「せっかくだから」

 という、極めていい加減な理由で、天野で実行に移されることになった。

 水野は、

「これが終われば、ようやく僕も佐賀大和高校を名乗れる」

 と笑っていた。その笑顔の裏に、水野なりに苦悩を抱えていたのだという気がした。

 だから、天野は負けられないと思った。

 佐賀大和高校の作戦は、弟の坂東裕理が計画し、兄の坂東輝幸が微調整を行なっていた。

 全国高校自転車競技会では、スプリント賞争いに関係のないはずの松平の強襲を受けるまでは、ほぼスプリント賞を手中に収めていた。

 全日本選手権では、スタート直後の登りでペースを上げ、他チームのスプリンターを篩い落とした。

 インターハイでは、スプリント賞を狙うための綿密な裕理の計画を、

「フィニッシュ地点で与えられるスプリントポイントは、露崎と青山でポイントを食い合うから、中間スプリントだけで獲れる」

 と兄の坂東輝幸が一蹴した。

 裕理は、信じていない様子だったが、現実に青山冬希は露崎をゴールスプリントで下し、露崎のスプリントポイントを奪って見せた。

 国体での作戦もそうだが、この兄弟の考える作戦に対し、天野は肯定的でも否定的でもなかった。

 自分の意見はなく、与えられた役割を如何に遂行するか、という点に集中していた。

 天野は一定ペースで走り続け、牧山に追いついてきた。


 牧山は、一緒に逃げグループを形成した宮崎代表チームの小玉が、同じチームのエースである有馬の前待ちであることを認識していた。

 一方で、長崎代表チームの水野まで、天野の前待ちだということには、二人が合流して追ってくるまで気がつかなかった。

 県が違っていても、同じチームであることで多少協力することは、考えて見ればありうることだ。

 インターハイでも、違う高校だが仲が良い選手同士が協力することぐらいある。

 だが、何が不満かと言えば、純粋な逃げ屋として、逃げ切りを狙っての逃げではなかったことに対して、小玉と水野に文句を言いたい気分だった。

 後ろから、佐賀県代表チームの天野が近づいてきた。

 水野、小玉が離脱してから、ずっと一人で、それなりのペースで走り続けていた。

 牧山はずっと休めなかったが、天野は水野と協調することで、多少は脚を休めることができているはずだ。

 ペースが違いすぎる。

 冬希一人が、佐賀に気をつけろと言っていた。

 天野という選手は、全日本選手権で5位という順位以上のポテンシャルを発揮したと、一緒に走った冬希は感じていたそうだ。

 このままゴールまで、一気に走りきってしまうつもりなのだろう。

 もう、抵抗する余力もない。

 諦めきった表情で、なすすべもなく天野にかわされていく。

「一緒に行きませんか」

 振り返ってそう言った天野の顔を、牧山は信じられないと言った顔で、見返していた。

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