第294話 国体本戦3日目 動く佐賀
2日目の山岳ステージでは、逃げている茨城の牧山のサポートは千葉のチームカーの役割だったが、平良柊が総合リーダーとなったことで東京と千葉の優先順位が入れ替わり、総合リーダーを擁する千葉が、柊のいるメイン集団のサポートに回り、東京のサポートカーが逃げ集団で牧山のサポートをやることになった。
千葉のサポートカーには、植原のスペアバイクや、東京チームのボトルも積んでいた。
佐賀の坂東裕理がメイン集団を牽引している間に、逃げ集団とメイン集団との差は、6分にまで広がった。
冬希には、その動きが不可解に思えていた。
メイン集団の後ろを走っている千葉のサポートカーの中で、槙田は、妨害とも思える裕理の動きに毒づいていた。
「なんなんだ彼は、まったく迷惑な。牽引できなければ、引っ込んでいればいいものを」
「槙田先生。自分には佐賀の坂東選手が、ただペースがないだけでタイム差を広げてしまったとは思えないのです」
「なにか考えがあっての事、ということを言っているのかい。タイム差を広げて何になるというんだ。2人しかいない佐賀は、逃げに選手を送り込んでいるわけでもないのに」
確かに、状況を考えれば槙田の言うとおりだと、冬希も思う。
しかし、裕理の性格を知っている冬希は、どうしても不安を払拭できずにいた。
メイン集団前方で動きがあった。
逃げ集団に小玉を送り込んでいる宮崎が、そこに有馬を合流させるべく、アタックを始めた。
宮崎のアシストたちは、有馬を引き連れて集団から抜け出しを図る。
「小玉と合流する気だ。絶対に行かせるな」
植原が叫ぶ。伊佐は全力で加速し、抜け出しを図ろうとする有馬の後ろに張り付いた。
伊佐も、一応総合順位では上位ということになる。
有馬としても、このまま逃げ集団に追いつくまで、伊佐に張り付かれたまま行くわけにはいかない。
有馬に張り付いた伊佐の後ろに、同じく宮崎を追ってきた静岡のアシストたちの列が追いつき、飛び出した宮崎チームとメイン集団が一本に繋がった。こうなっては、宮崎の飛び出しは失敗したと言える。
宮崎チームは何度か同じようなアタックを行ったが、結局キレのある脚を持つ伊佐に付かれ、諦めた。
この宮崎がアタックにより、メイン集団のペースは一時的に上がり、逃げ集団との差が4分にまで縮まった。
宮崎がアタックを諦めて集団の後方に下り、メイン集団は再び東京と静岡がコントロールを始めた。
攻撃を仕掛けた宮崎も、それを阻止した東京と静岡、そして千葉も、一度脚を休める必要があった。ゴールまではまだ70km以上ある。
ふと、メイン集団から一人の選手が抜け出した。
宮崎がやったようなキレがあるアタックではなく、自然にペースが上がって一人だけ先頭に出てしまったという雰囲気だ。
佐賀のジャージ。天野優一だ。
「植原さん、どうします?」
伊佐が植原に判断を仰いだ。伊佐も率先して宮崎を潰しに行ったので、それなりに疲弊している。
「ゴールまで70km、そして逃げ集団とのタイム差も5分まで広がった。とても一人で行ける距離じゃない」
逃げ集団は3人いる。それ天野が合流しようとすれば、3人でローテーションする逃げ集団に一人で追いつかなければならない。どう考えても動くのが早すぎる。
「少し脚を休めたら、メイン集団もペースアップする。そうすればすぐに吸収できる。伊佐も下がって休んでいてくれ」
伊佐は頷くと、ボトルを受け取るためにサポートカーを呼んだ。
審判車から呼ばれた千葉のサポートカーは、審判車の前にでた。
総合リーダーチームであるためチームカーの隊列の一番前に位置する事ができていた。
「ボトルをお願いします」
「はいよ」
冬希は、伊佐から呼ばれていると無線で聞いた時から用意していたボトルを渡す。
「どう、調子は」
「流石に宮崎のアタックは骨が折れました。今は集団後方で休めと言われています」
「そっか。植原と同じチームで走ると、大変かもしれないけどいい経験になりそうだね」
「そうですね。ただ、僕は植原さんと同じ慶安大附属に行きたいわけではないんです」
「そうなの?」
「自分が行きたいのは、青山さんと同じ神崎高校です」
「そうなの!?」
冬希は、心底驚いていた。伊佐は慶安大附属に入り、植原と共に戦って行くものだとばかり思っていた。
「僕は、スプリンターになりたいんです。でも慶安大附属は総合優勝を狙うチームなので、出場する選手たちは、総合系のアシストに限られてしまいます。スプリンターとしての僕の居場所はないと思ったんです」
総合エースとスプリンターを両方抱えるチームはある。立花がいる福岡産業は近田という総合エースがいたし、赤井がいる愛知の清須高校も岡田という総合エースがいた。当然、冬希のいる神崎高校も船津の総合争いのために戦ったので、その一つだ。だが、慶安大附属は、総合エースを勝たせるためのチームなので、確かにスプリンターという脚質の選手がレースに出てきたところを、見たことはない。
「でも、東京から千葉の神崎高校って受験できるの?」
これには横から槙田が答えた。
「私立高校は、学校の規則で制限されていなければ、どの県から通っても問題ないはずだよ」
「そうなんですね。でも、遠くならない?」
「それは大丈夫です。僕の家は葛西なので、むしろ慶安大附属より遥に近いと思います」
「ははっ、なるほど・・・」
冬希は、言いかけて全身に鳥肌が立つのを感じた。
昨日から再三逃げに乗っていた茨城の牧山、宮崎の小玉、そして3人目はどこの選手だったか。
『逃げ集団は現在2名、茨城牧山、宮崎小玉。長崎の水野はドロップしました』
佐賀と長崎の位置が隣同士ということは、冬希も流石に知っている。
もしも長崎の水野という選手が、長崎県から佐賀大和高校へ通う自転車競技部の生徒であった場合、佐賀の天野は、宮崎が再三試みた、前待ち作戦、を易々と成功させたことになる。
天野がメイン集団から飛び出したことを知った水野が、逃げ集団から離れて天野と合流するとしたら、メイン集団の総合上位勢は、一気に苦しい立場に立たされることになる。
「伊佐くん、申し訳ないが、君たちのエースとうちのエースに、伝言をお願いできないかな」
もう、手遅れになっているのではないか。
冬希の胸に、一抹の不安がよぎった。
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