第293話 国体本戦3日目 植原の決意

 国体3日目、最終日。

 中級山岳ステージのスタート前、1年生にして東京代表チームのエースに抜擢された植原博昭は、いつになく集中できている自分に満足していた。

「じゃあ、いってくるよ」

「頑張ってね」

 植原が所属する慶安大学附属高校の自転車競技部マネージャー、沢村雛姫に見送られ、スタート地点へと移動する。

「調子はどうだい」

 選手移動用の通路と一般客を仕切る柵の向こう側から、青山冬希が声をかけてくる。

 植原は、自転車を止めた。

「秘密だよ」

「春先から第一線で走り続けているのに、すごいなぁ」

「そうは言うけど、インターハイは、露崎さんのアシストだったからな」

 冬希は、国体前に事故に遭って鎖骨を骨折し、この国体本戦は欠場となっている。ブロック大会の平坦ステージでは圧勝だっただけに、この本戦でも出場していれば活躍は間違いなかっただろう。

 冬希が負傷してから、植原は冬希から疲れが溜まっていると注意力が散漫になるから気をつけるように忠告を受けていた。そのおかげかどうはかわからないが、無事に本戦に出場はできている。

「まあ、ほどほどに頑張って」

「お前は気楽でいいな」

 植原は苦笑しながら再び自転車を走らせた。

 植原は、中体連での活躍が認められ、慶安大附属で1年生エースとして、全国高校自転車競技会に出場することになった。慶安大附属は、前年のエースである露崎が2年生にして退部し、海外へ行ってしまったため、総合エースというポジションが空席になってしまったのもあった。

 監督は、本来なら今年は、3年の露崎をエースに据えつつ、次のエース候補をスカウトするつもりだったようだ。

 1年生にして総合エースという役割は与えられたものの、チームからも監督からも、いきなり総合優勝争いを期待されてはいなかったし、植原自身もまずは高校の自転車ロードレースの戦い方を学ぶつもりでレースに臨んでいた。

 しかし、植原が意識を変えざるを得ない出来事が起こった。

 同じ一年生の青山冬希が、層が厚いと言われるスプリンターたちを倒し、第1ステージの優勝と、総合リーダージャージの着用を決めたのだ。

 無名だった冬希の活躍に、中体連で活躍して期待されていたはずの植原は、まずは戦い方を学んで、などと考えていた自分の能天気さに怒りを感じた。

 それから、相手が3年生だろうが、前年度の総合優勝者だろうが、植原は果敢に攻めたし、死ぬ気でついていった。

 結果、全国高校自転車競技会で、植原は総合表彰台に上がる事ができたし、最終ステージで優勝した中学時代のライバル、立花道之と共に、今年の1年はレベルが高いと言われるようになった。

 ただ、1年で最強のロード選手は誰かと言われれば、殆どの人が青山冬希を挙げるであろうし、そのことについては植原自身も異論はなかった。

 泰然自若として他者への攻撃性を全く見せない冬希の人間性は、かつて中学時代に立花と闘志を剥き出しにして戦ってきた植原のレースに臨む姿勢にも、大きな影響を与えた。

 尊敬すべき男がライバルとして存在することに、植原は感謝すらしていた。

 だがその上で、そろそろ自分も誇れるべき実績を残し、冬希と肩を並べるべきだと考えていた。

 そのためには3大大会と言われる全日本選手権、インターハイ、国体のいずれかでの総合優勝しかない。

「チャンスはここしかない」

 1年生最後のチャンスだ。植原はかつてないほどの決意で、レースに臨んでいた。


 レースのスタートが切られた。

 最後のステージで花を咲かせようと、総合タイムで遅れている選手たちの激しいアタック合戦が始まった。

 メイン集団をコントロールするのは、総合リーダーチームの千葉県代表チームだ。

「流石に上手いな」

 植原のチームメイトであり、慶安大附属高校の先輩でもある麻生、夏井が感嘆の声をあげるほど、千葉県のレースコントロールは完璧だった。

 総合タイム差が5分以内の選手の逃げは決して許さず、また総合タイムで大幅に遅れている選手たちの逃げでも、グループが6名以上になった時点で、確実に逃げグループを潰しにかかった。

 全国高校自転車競技会で、ほとんどのステージで総合リーダーチームとしてレースをコントロールしてきただけのことはある。

 指示を出しているのは、千葉の総合エースである平良潤で、選手全員のタイム差を暗記しているのではないかというほど、完璧な制御だった。

 メイン集団の先頭を牽引する千葉の選手は、大川と竹内で、いずれもタイムトライアルに強い選手だという。

 交互に脚を休ませながら、急激な加速力ではなく、ペースを加減速することで、確実に逃げを潰していった。

 逃げが大人数になると、メイン集団で先頭交代に加わる人数を超えてしまう可能性があり、そうなった場合は逃げ集団に追いつくのが大変になるのは、植原たち東京代表や、宮崎、静岡のチームも同じことだ。

 総合上位勢がそれぞれが協力しながら、逃げる選手の選別を行っていたが、逃げたい選手が多く、なかなか落ち着かない。

 130kmのレースのうち、実に20kmをアタック合戦に費やした結果、流石に選手全員が疲弊し始めた頃、前日に逃げを決めていた茨城の牧山、長崎の水野という選手、そして宮崎がコントロールしている間にスルスルと二人に合流した宮崎の小玉の3人の逃げが確定した。

 植原としては、宮崎の選手はあまり逃したくはなかった。

 総合優勝争いをしている宮崎の有馬の、おそらくは前待ち作戦のための逃げであろうし、逃げに選手を送り込むことで宮崎は、レース中盤に発生するであろう逃げ集団を追いかける先頭交代に加わる必要がなくなる。

 エースを側で守る選手が一人減るというデメリットがあるので、前待ち自体が完璧な作戦というわけではないが、色々なパターンの作戦をとるチームが多いと警戒しなければならない事が増えるため、煩わしさがあった。


 千葉代表チームのエース平良潤は、アタック合戦が終わって平穏を取り戻したメイン集団に安堵しつつ、ボトルの水を口に含んだ。

 後ろでは、総合リーダーの赤いジャージに身を包んだ双子の弟、平良柊の姿もある。

 レースは、全体で130kmと長丁場になっている。

 ゴールまでの40kmは20km周回コースを2周する。

 周回コースは、最初の6kmは登り、4kmが下りで、残り10kmが平坦となっている。

 標高差は400mで、平均斜度は6%強となっている。

 前日のような激坂ではないし、平坦区間が多いため、柊や千秋のようなピュアクライマーにとっては、適正的に厳しいコース設定になっている。

 逃げている3名は、総合タイムで言うと、トップの柊から7分〜10分ほど遅れており、余程のことがない限りは逃げ切られても総合タイムで逆転されることはない。

 潤は、逃げとのタイム差は7分程度まで許容範囲だと考えていたが、千秋の静岡と、植原の東京は5分以上は差を広げたくないらしく、現在はその2チームがメイン集団を牽引し、逃げ集団とのタイム差をコントロールしている。

 メイン集団の先頭に、佐賀の坂東裕理が出てきた。

 佐賀チームは、天野優一が総合上位につけているものの、ブロック大会の成績が振るわずに選手枠が2名となっており、今日のステージの優勝を狙いに行くというアピールのための先頭交代にも、参加できる選手は裕理しかいなかった。

 裕理はメイン集団の先頭に立つものの、それほどの力のある選手ではないためか、先頭集団のペースは落ち続けた。

「ペースが遅すぎるぞ」

「おい、もういいから替わってくれ」

 耐えかねた東京代表のアシスト麻生や夏井が文句を言った。

「へへ、すみませんねぇ」

 下卑た笑いを浮かべなが、裕理は下がっていく。

 逃げている3名とメイン集団との差は、6分にまで広がっていた。

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