第187話 高校総体自転車ロード 第3ステージ(霞ヶ浦〜筑波山)②
真理は、この日は応援にはいかず、春奈と勉強会を行なっていた。
夏休みだが、部活を行う生徒や、学校で補習や自習のために登校している生徒のために、食堂も営業している。
春奈と真理は、学食のTVでインターハイの自転車ロードの中継を見ながら、勉強をしていた。
「冬希くん、なんかあの黄色ジャージの選手と仲が良さげだね」
春奈が、紙コップの自販機で買ったホットのミルクティに口をつけながら言った。
「実際に仲良いみたいだったよ。なんか掛け合いみたいな感じだった」
真理は、熱々のほうじ茶をふぅふぅしながら飲んでいる。
学食のテレビは音が消してあり、解説者が何を言っているかはわからないが、ずっとTV中継を見てきた春奈は、なんとなくレースの展開がわかるようになっていた。
「うわ、ペース速そうだなぁ」
空撮映像のメイン集団は、どんどん一列棒状の縦長になっていく。
「なんで一列になっているとペースが速いってわかるの?」
真理がTV画面から春奈に視線を向けた。少し元気がないのかなと思っていたが、実際に会ってみるとむしろ生気に満ちているように見える。
「えっと、ゆっくり走っていると空気抵抗ってあまり気にならないから、みんな横に広がったりして走るんだけど、スピードが上がると、空気抵抗が大きくなるから、みんな誰かの後ろで走ろうとするの。だからどんどん隊列が細長くなっていくんだって」
「春奈さん、詳しいね」
真理は、なるほど、と甚く感心した様子だが、春奈の知識はテレビの受け売りだった。
メイン集団の前方に、佐賀大和と背中に書かれたジャージの選手が出てきた。
「あ、あの人も逃げるのかな」
「あー、あれは多分・・・」
メイン集団の先頭付近で、佐賀大和高校の坂東兄弟の弟の方、坂東裕理は、逃げ集団に加わろうとアタックしようとする選手たちを制止していた。
「な、な、もうやめよぜ!こんなこと続けたって何にもなんねぇよ!お前も、ほらお前も。どうせ追いつけねぇって!見てみろよ、みんな疲れちゃってるじゃねーか。みんな迷惑してんだよ!」
片っ端から止めるように声をかけまくっている。だが、裕理の兄、元全日本チャンピオンの坂東輝幸は、さっさと逃げに乗ってしまっている。
自分のチームのエースが逃げに乗っておきながら、他チームには、みんなのためだから逃げを諦めさせようとする厚顔さに、流石のスプリンターチームたちも閉口したが、アタック合戦を終わらせたいという意味では利害が一致しており、坂東裕理の声かけで逃げようとする選手たちが躊躇している隙に、スプリンターチームたちが、メイン集団の先頭に広がって蓋をしてしまった。
完全に進路を妨害しているというよりは、これでアタック合戦は終わりだ、という意思表示のためで、無理矢理押し通れば、アタックをかけられないこともないが、そういう空気を読まない選手は、他の選手たちから嫌われるため、こうなった場合は、アタックをかける選手はいなくなることが殆どだった。
「尾崎、清須高校が逃げに赤井を送り込んだ」
「まずいな、赤井を先行させて、後で岡田と合流させるつもりだろう」
「前待ち作戦か」
丹羽が苦々しげに言った。
逃げ集団は、12名程度で、山頂フィニッシュの山岳ステージとしては、特別多い方ではないが、露崎擁する慶安大附属と並んで優勝候補である、インターハイ3連覇中の清須高校の1年生が逃げに乗っていた。
それ自体が清須高校の戦略に幅を持たせており、同じく総合優勝を狙う洲海高校としては、対策を練らなければらないところだった。
洲海高校も、逃げに選手を送り込めれば1番いいのだが、丹羽はこの後の登りで尾崎をサポートする役目がある。しかし、今のところ手駒は1年生の千秋しかいない。
千秋は、相変わらずやる気のなさそうな顔をしている。あまり細かい指示を出しても、やりたがらないだろう。
できるとしたら、逃げ集団への嫌がらせで、合流しても一切ローテーションに加わるなと言って、逃げを潰させるぐらいだろう。
「いや、むしろ千秋以上の適材はいないかも知れないな」
尾崎は思った。スプリンターたちが蓋をしている状況で、アタックして他の選手から嫌われても気にしないメンタルを持ち、逃げ集団でローテーションに加わらなくて白い目で見られても、平気な男は、もしかしたらこのインターハイの選手の中では、千秋と坂東弟ぐらいしかいないのではないか。
「千秋、お前にいい話がある」
丹羽と尾崎は、千秋を呼び寄せた。
「お前には、今日から色々仕事をしてもらわなければならないと話していたと思う」
千秋は、あからさまにめんどくさそうな顔をした。しかし、第3ステージ以降で頑張るからと、第1、第2ステージでの「仕事」を大目に見てもらっていたのだ。
「本来なら、ボトル運びとか、集団の牽引とかやってもらいたいところだが、一つお願いを聞いてくれたら、あとは何もしなくていい。やるか」
「本当ですか?」
サボるための努力を惜しまない、という妙なポリシーを持った千秋の目の色が変わる。
「今から、逃げ集団に追いついてくれ。そしたら、あとは何もしなくていい。先頭交代に加わらなくていいし、集団にぶら下がって、俺たちが追いついてくるのを待っていればいい」
「喜んで」
居酒屋のように答えた。何もしなくていいというのは、千秋にとって何事にも代え難い、甘美な響きがあった。
逃げ集団に追いつくには、頑張らなければならないが、そこさえクリアすれば、今日はもうゴールしたも同然なのだ。
「逃げている選手の、最後の一人が諦めるまで、逃げにぶら下がっておいてくれ」
千秋は、小さく頷くと、メイン集団の前の方に進出して行った。
「あの」
スプリンターチームのアシストたちは、相変わらず集団に蓋をしている。その選手たちに、千秋は話しかけた。
蓋をしている選手たちは、門前払いをしようとしたが、強豪校の洲海高校のジャージだったため、思いとどまった。
「な、なんだ」
緊張が走る。
「俺、お腹痛くて便所に行きたいんで、ちょっと先行していいっすか?」
蓋をしている選手たちは、お互いの顔を見合わせた。相手は名門校の選手であるし、他のこととは違い生理現象なので、ダメだというわけにもいかない。できる限り総合優勝争いには関わりたくなかった。
「わ、わかった。よし、通れ」
ペースを落としたメイン集団から、千秋が抜け出していった。
後に、逃げを指示した尾崎、丹羽両名もが頭を抱えたくなった、インターハイ史上初の出来事
『便所アタック』
は、こうして決まった。
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